第2話 交換条件

 ところが健人の一方的な楽しみにはならなかった。茜は余裕のある笑みを浮かべて健人にすり寄ってきた。


―――茜さん、僕に何かしようと企んでいるんだろうか。


 ジャージ姿で立ちふさがった。


「健人! ここで働いてることは勿論クラスのみんなには内緒なんでしょ?」

「勿論でございます、茜さん」

「じゃあ、私も黙っててあげる。その代わり……」

「……その代わり……」


 茜は、更に健人に近寄り耳元で不気味な声で囁いた。


「学校では、あなたは私の彼氏ってことにしといてくれない?」

「かっ、かっ、かっ、彼氏、ですかあ!」

「そうよ。私は健人の彼女ってこと。あくまでも偽装よ。だって、私を追いかけまわす男子がうざいんだもの」


―――確かに彼女は美人だし、男子からは同級生からだけではなく、他のクラスの生徒や上級生までもが、教室の前で彼女を覗き込んだり声を掛けたりしている。


 ちやほやされて嬉しくて話したい時もあるだろうが、一人になりたい時や話したくない相手だっているだろう。


「というと、僕は虫よけスプレーのような役割をするのですか」

「……ん、まあ。いい方は悪いけど、そんな働きね。話したくない男子から声を掛けられた時に、健人君がナイトの様に私を守るってこと」


―――そうですかあ。もてる女子は辛いですな、と感心してしまった。


 そんな発想は健人にはない。


「あくまでも偽装だから、校内にいる時に口裏を合わせるだけよ」

「実は、全くの他人ということですね」

「そう。どうかしら?」


 茜さんは、そんな突飛な提案をしてきて、大真面目な顔をしている。


 上目遣いに媚びるような視線で健人を見つめている。どんどんすり寄ってきて、揉み手までしている。猫がおねだりをするときにこんな態度になるんじゃないのか、というような態度だ。


 これでは断われない。というか、彼女は雇用主のお嬢様だった。元々断れる話ではない。


「かしこまりました。努力してみます」

「ばれないようにやってね、健人君」

「はい、ばれないようにしまが……」

「だけど、なあに?」

「うまくやれるか、実際のところ自信はありません」


―――彼女いない歴十五年の僕が、偽装彼氏などという高度な仕事が務まるんだろうか。かなりハードルの高い仕事だ。どうやって振る舞ったらいいかもわからない。


「やり方がわからない、とそう言うことね」

「まあ、そんなわけで」

「その時は私が適当にごまかすから、言われた通りにして」

「そうなのですか……」


 同級生なのに、敬語を使ってしまっている。これでは彼氏になど見られないだろうが。


「敬語を使うと怪しまれますよね」

「そうね。学校では、使わなくていいわ」

「分かりました」


 この屋敷で茜さんに会ったことが驚きだったのだが、彼女から出された条件はさらに驚くべきものだった。


―――この仕事に興味を持ったばかりに……アルバイトを始めたいなんて言い出したばかりに……。


―――ああ、なんていうことになったんだ! もう嘆いても遅い。


 演技をしているうちに本当に好きになってしまったらどうするんだろうか。まあ、全くタイプが違うし、そんなことにはならないだろうが。


「まだ心配事があるの」

「いえ、別に……」

「はっ、はあ。そうかあ。本当に好きになったらどうしようって、勘ぐってるんでしょう。でも大丈夫よ。本気にはならないから」

「そうでしょうとも。僕も本気にはなりません。僕ってホントに地味でオタクで、目立ちませんから」

「そうね。今まで、同じクラスだったことにも気がつかなかった」


―――ひどいなあ。そこまで言わなくてもいいだろう。


 彼女は、じっと健人の顔を見て観察している。今日のスタイルは黒いズボンに白いワイシャツだ。髪の毛は短く横分け、顔のパーツは小さく、黒縁の眼鏡をかけているし、鞄の中には教科書以外にはゲームやコミックしか入っていない。彼女がいるなんてたぶん誰も信じてくれないだろう。


 これからどんな学園生活になってしまうんだろう。健人の心配とは裏腹に、茜は満足げな顔で手を振った。


「じゃあ、学校でね!」

「……は、い……」

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