正義感は犬を殺す 4

 家に帰ると、珍しく兄が居た。4つ上の兄は実家の隣の隣の市で一人暮らしをしている。

「おかえり」

 夕飯を食べる手を止めて兄が言った。

「あ、うん……そっちも」

 突然のことにオレは目をそらし、とりあえず荷物を置くために自室へと向かった。


 食卓にはいつもより二品ほど多くのおかずが並んでいた。兄は突然帰ってきたらしいが、舞い上がった母が冷蔵庫にあるもので作ったのだろう。

 すぐ近くに住んでいるのに中々実家に顔を出せないのは、その職業が特殊だからだ。国公立大を出た後、兄は警察学校に入った。

 子供の頃から、兄は優秀だった。成績は常に学年上位で運動神経も良く、おまけに顔も整っている。明るい性格も相まって、兄は男子にも女子にも人気だった。オレが小学校に入った時には、兄のクラスの女子たちが弟であるオレの顔を見に来たくらいの人気ぶりだ。

 そんな兄を持つと、弟は当然比較される。出来が悪い上に父親似で目が細かったオレは、高すぎる周りの期待に応えることができなかった。

 中学でも兄は良い成績を収めて、進学校に合格した。当然、両親は勉強の面でオレにも期待していただろう。だがもともと苦手という意識があったオレは、そのプレッシャーに耐えることができなかった。兄が頭角を現していくにつれて、オレは落ちこぼれ街道を進んでいった。


 幼い頃には一緒に遊んだ記憶もあるが、小学校の高学年あたりから、オレは兄に何と話しかけていいのか分からなくなっていた。4コという微妙な歳の差もあって兄の方もちょうど反抗期に入っていたので、その頃から兄弟の間には少しずつ溝ができていったように思う。

 オレが反抗期を迎える頃には、同じ屋根の下で暮らしていてもほとんど会話をすることがなくなっていた。


 両親は、兄に及ばないまでもそれなりの成果を期待していた弟がどんどん堕落していくのを見て、諦めがついたようだった。実際にひどい態度をとられたり何か言われたわけではないが、そういうのはなんとなく察しがつくものだ。

 このままではダメだという思いと、どうせ自分には何もできやしないという絶望感が常に渦巻いていた。そのうち自分でもどうすればいいのか良く分からなくなって、気づけば高校を卒業してふらふらとした身分になっていた。

 それは大学を卒業した兄が家を出た後もしばらく続いた。


 20歳を迎えた頃、成人式の知らせが届いた。その文字を見た時ようやく、モヤがかかっていた頭がはっきりとしたような気がした。今のままではきっと参加することはできないだろう。周りの友人たちは大学へ行ったり、すでに働いたりしている。フリーターを続けているのも何人かいたが、そういうやつは何か夢や目標を持っていた。ただただボーッとしているのは自分だけだった。

 オレは慌てて就職先を探した。特にやりたいこともないのだから、とにかく定職に就こうと思ったのだ。それでもスカスカの履歴としどろもどろな受け答えではどこも相手をしてくれず、気持ちだけがはやっていた。そうして酒に逃げた時に親方に拾ってもらったのだった。


 一方で兄は順調に警察学校を卒業し、そのまま交番勤務になった。勤務先は兄が住んでいる隣の隣の市にある閑静な住宅街にあるらしい。オレが直接聞いたのではなく、電話をもらった母が嬉しそうに父に報告しているのを耳にしたのだ。

 両親ははじめ警察という職業を反対していた。それは危険なことに巻き込まれる可能性があるという理由もあったが、本当はもっと稼ぎのいいところに就職してほしかったのだろう。

 オレも、てっきり兄は一般企業のサラリーマンとしてバリバリに働くと思っていた。そしてそこで出世するか、もしくは独立企業をして、順風満帆な人生を歩むものだとばかり思っていた。

 だから、突然警察学校に入ると言い出した時には正直驚いた。あの紺色の制服を着て、街ゆく人たちに笑顔で挨拶しているような姿は想像がつかなかった。兄が何を思ってその道に進んだのかは分からない。でも、一度決めたらなかなかその意思を曲げないことだけは知っていた。

 兄は両親を説得して、警官になった。今では2人とも納得して、その職業を応援している。オレは意外ではあったが、もとから蚊帳の外の出来事だと思っていたので、特に深い興味ももっていなかった。


 そんな兄が母の手料理を美味しそうに頬張っていた。

「あんた、ちゃんと食べてるの?」

 母が笑顔でいるのを久々に見た気がする。

「まあ、コンビニ弁当が多いけど」

 兄はそう言いながらコロッケに箸を伸ばしていた。

 父は何も言わず、ちびちびとビールを飲んでいた。でも、オレは父がそうやって酒を飲むのは特別な日だけだということを知っていた。

 久しぶりに食卓で会話があった。もちろん、オレはそこに参加していない。母が兄に質問し、兄が笑って答えている。時々、ボソッと父がそれにコメントした。

 別に避けられているわけではないだろう。オレはそこに参加するべきかどうするか、腹のうちを探っていた。だが考えていると急に腹がいっぱいになり、早々に切り上げることにして席を立った。

「あら、もういいの?」

 珍しくご機嫌な母が聞いてきた。一瞬、しんと空気が静まり返る。

 刺さるような視線を感じ、オレはそれに背を向けた。

「……あー、ちょっと外でつまんできたから」

 口からは咄嗟に嘘が出てきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る