髪の毛 4

 刑事に連れられて私はまず娘のもとへと向かった。

 病室のドアを開けると、とっくに聴取の終わっていた旦那がベッドの脇に座っていた。立ち上がった彼は、ベッドに駆け寄る私を優しく受け止めた。

 さっきまで青白くなっていた娘の顔には赤みが戻り、すやすやと寝息をたてている。

「ついさっき、眠ったとこなんだ」

 私はそっと娘の頬に手を当てた。娘はあったかかった。ひとりでに涙がポロポロこぼれ落ちてきた。それが毛布の上に小さなシミを作っていく。旦那が私の両肩を優しくつかんだ。


「容体は安定しています。処置が早かったので、おそらく後遺症が残ることもないでしょう」

 背後から医師の声が聞こえてきて、私は振り返った。

「念のため、今晩はここで様子を見てください」

 私たち夫婦は頭を下げた。そして旦那は少し迷ってから一歩前に進み出た。

「お願いです。娘の中につまっていたものを見せていただけませんか」


 刑事は渋い顔をしたが、ものがものだからと旦那の要請を承諾した。それは別室で保管されているらしい。

 私は娘のそばを離れたくなかったが、見ておかなければいけないと思った。おそらく娘を苦しめたそれに関しては、自分が一番情報を持っている。

 若い女性警官に娘を任せて、病室を出た。


 薄暗い室内で待っていると、しばらくして医者が戻ってきた。手には銀色のトレーを持っている。それは禍々しい雰囲気を携えて、トレーの中央に静かに転がっていた。

 一目見ただけで、その場にいただれもがその異常さを感じ取ったはずだ。

 真っ黒な髪の毛はしっとりと濡れていた。猫の毛玉のようなフワフワとした物ではない。私はしめ縄や海外土産でもらった紐製の身代わり人形を思い出した。その塊は明らかに何かの念が込められていると、そう直感した。

 刑事が話していた通り、結び目が幾重にも折り重なっていた。編み込みを連想させるようなきれいな物ではなく、乱暴な印象だった。おそらくこれが何か異常なまでの執念を感じさせる原因になっているのだと感じた。

 思っていたよりも大きい。たぶんまあまあな重さもあるだろう。こんなものがつまっていたなら、相当苦しかっただろうと再び娘のことを思い出し、今にも涙が溢れそうだ。しかし、今は泣いている場合ではない。この憎い塊を作った犯人を早急に突き止めなければいけないのだ。私は出かかった嗚咽を必死に飲み込んだ。

 隣の旦那は、何か言おうとしても言葉が出ないという様子で口を開閉している。その場にいる全員がその黒い塊をしばらくの間無言で注視していた。


「……これは人間の毛ですか」

 沈黙を破ったのはベテラン刑事だった。

「そうですね。私が知りうる限りでは人のものだと思います。馬の毛にしては細すぎるし、そもそも長すぎる」

 塊から目を離さずに医者が答えた。

 刑事はしばらく塊を見つめた後、私の方を振り返った。

「一応お聞きしますが、見覚えはありますか」

「あるわけないじゃないですか!こんな気持ちの悪いもの」

 答える前に旦那が声を荒げていた。

「こんなものを娘の口につめこんだと、私や妻を疑っていたんですか!」

「落ち着いてください、一応の確認です」

「だから、そんなもの」

「この塊は見たことがありません」

 私は旦那を遮って答えた。その声に、興奮していた様子の旦那は少し落ち着きを取り戻したようだ。


「そうですよね、こんなもの……」

 若い刑事が強張った顔で呟いた。

「ただ」

 私は言葉を続けた。

「この髪の毛には見覚えがあります」


 広い室内に響いたその声に、場が凍りついたように感じた。そこにいる全員が私に注目しているのがわかる。旦那が声を震わせながら聞いてきた。

「見覚えって、どういうことだよ」

「奥さん、詳しくお話し願えますか」

 刑事の目つきがさっと鋭くなった。

 私はゆっくりと数ヶ月前に起きた出来事を話し始めた。


「もちろん私のものじゃありません。でも、これに似た髪の毛を家で見たことがあります」

「家で?」

 旦那が私の顔を見る。私は頷いた。

「ええ。数ヶ月前、娘が持っていたんです。それと同じような長くて黒い髪の毛でした。しかも数本ではなく、束で。もちろん私のものではありませんし、どこにあったのかも見当もつきません」

「それで、その束はどうしたんですか」

 刑事が部下にメモを取らせながら聞いてきた。

「それが、あまりにも気味が悪くて、捨ててしまいました」

「……まあ、そうしますな」

 刑事は残念そうな顔をしていたが、私のことを気づかってくれたようだ。

 旦那はどうして自分に言わなかったのかという顔をしていたが、何も口にしなかった。

「すみません。本当に急に湧いて出てきたように思えて、怖くて」

 刑事はしばらく難しそうな顔をして、腕を組んでいた。


「お二人に黒い長髪の人物に心当たりはありますか」

 私は旦那と顔を見合わせた。

「そりゃ、まぁ居ますけど」

「教えていただけますか」

 メモをとっていた男がさっとペンを構えた。

「でも、数が多すぎて」

 私が困惑したように言うと、ベテランの刑事は小さく頷いた。

「まあ、黒くて長いってだけならどこにでも居ますよね。でも、一応あげられるだけ名前を教えてください。もちろんこの塊も詳しく調べますが……」

 刑事は私たちの目を見てこう述べた。

「これは殺人未遂事件の可能性があります」


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