第29話 タダの善意です



 陽菜が目覚めたのは天音の予言通り、午後1時を回った頃だった。


 俺の顔をみた陽菜の表情には玉虫色の感情が滲んでいて、一言では言い表せない複雑さだった。

 自分の勝手な行動が咎められるとでも思ったのだろう。

 けれどそれは俺だって同じこと。


 だから、かける言葉なんてこれで十分。


『おかえり』って。


 現代の医療……というか治癒効果のある呪具を使用しての治療により、一週間で万全の状態まで快復した。

 そもそも呪術師は身体に呪力を回せば自己再生能力を活性化出来るために、普通の人よりも治るのが早かったりする。

 そんなこともあって無事一週間後に退院し、現在。


「退院おめでとう、陽菜」


 俺の家には陽菜と海涼、そしてどこから話を聞きつけたのかシャンパングラスを片手にした天音が集合していた。

 テーブルには俺と海涼で作った色とりどりの料理がずらりと並んでいる。

 金色の衣に身を包んだ天麩羅、赤身が鮮やかなローストビーフを初めとして、和洋関係なく作りたいもの食べたいものが揃った形だ。


「んーっ、美味しいっ!」


 陽菜が海老の天麩羅てんぷらを頬張り、心底幸せそうに頬を緩めた。


「そりゃよかった」

「やっぱりはるちゃんの料理は最高だよ! いつでもお嫁に来ていいからね!」

「俺が嫁入りするの……?」


 褒められているのだろうが素直に喜べない。

 俺も塩をつけたシソの天麩羅を食べてみる。

 さく、と揚がった黄金色こがねいろの衣が砕けて、シソの風味が口いっぱいに広がった。

 うん、ちゃんと揚がってるみたいでなによりだ。


「海涼もどうだ? ってもう食べてるか」

「先輩の……天麩羅は……どうして……っ」

「落ち着いて食べろよー」


 一心不乱に玉葱のかき揚げを食べ進めながら真剣な表情で呟く海涼へ声をかけていると、不意に右肩に手が乗せられた。


「はるはるも飲んでるかーい?」


 男子高校生的なノリでシャンパングラスを目の前で揺らす天音。

 波打つ透明な液体からは微かにアルコールの香りが漂っていた。

 シャンパンを持ってきたのは天音、飲むのも天音。

 色んな意味で気をつけておかないとだろうな。


「飲んでねぇし飲まねぇよ? てかなんで榊が居るんだよ」

「こんな楽しいイベントに誘ってくれないなんて酷いじゃないですかぁー」

「さてはこいつ既に出来上がってるな……?」


 にゃははと猫のように笑って撓垂れ掛かった天音がローストビーフを箸で摘んで口へ運んだ。

 こっちは海涼が作ったのだが、確かに酒との相性は良いだろう。

 天音が味わって食べているかはおいといて、だけど。

 天音は平常運転がアレだから酔って絡んでるのかそうじゃないのかが分からない。


「あー、ボクも何か作ればよかったですかねー」

「お前料理出来たの……?」

「失敬な! ボクだってゆで卵くらい作れますよ」

「料理舐めてんの? 一から扱いてやろうか?」

「嘘ですよ。レシピさえあればフランス料理のフルコースくらいは作りますよ?」


 多分素で言っているのだろう。

 こいつなら作りそうだなという末恐ろしさがあるからなんとも言えないが。


「適当にアレンジして作るので結局レシピはお飾りになるんですけどね」

「ダメじゃん」

「あ、でも作るだけなら出来ますよ? ボクって天才なので」

「嫌味か」

「純然たる事実有根ですっ♪」


 天は二物を与えずという言葉があるが、色々与えたかわりに常識を失ったら意味ないだろ。

 こいつの場合は二物どころか世の中の大抵は高水準でこなせるからな。

 少なくとも嘘ではないのだろう。

 生態を知る限り自分で作っている姿を想像できないのはご愛嬌か。


「人を巻き込んで飲むお酒は美味しいですねー」

「巻き込んでる自覚があっただけで驚きだよ」

「じゃあ巻き込みついでに。今日は泊まっていくつもりなのでよろしくお願いしますね」

「やっぱりか……」


 なんの躊躇もなく酒を飲み始めた時点で薄々察してはいたけれど、本人の口から言われると頭を抱えてしまう。

 泊めるのは吝かじゃないが、静かにしてくれる保証なんて一切ない。

 約束しても穴を突いてあれこれ言うのが目に見えているのだ。

 まあ、天音とはいえ女性一人で夜道を歩かせるよりは幾分かマシか。


「はるちゃんっ!」

「お、なんだ?」

「今日もありがとっ!」


 眩しい太陽のような笑み。

 それだけで、自分がしてきたことが報われ肯定された気がして。

 でもそれを直接伝えるのはなんだか恥ずかしくて。


「……俺がやりたいようにやっただけだよ」

「あの時陽菜は待っててって言ったけど。期待、してたんだ。もし陽菜がどうしようもなくなったら、あの日みたいにはるくんが来てくれるって」

「買いかぶりすぎだ。あんなのは偶然、次があるかなんて俺にもわからない」

「……うん、そうだね。絶対に次も助かるなんて保証はない。けど、来てくれるって思うんだ」


 全幅の信頼を湛えた陽菜の確認。


「先輩に何を言っても無駄ですよ。死にたいって言っても助けに来ます」

「そうですよー。人助けしないと生きてられない病気なので」


 陽菜に続いて確信とも取れる海涼と天音の肯定。

 三人からの言葉が心の奥へ奥へと染みていく。


「――でも、陽菜はこのまま助けられるだけなんて絶対に嫌。強くならなきゃって思った。まだまだ弱いんだって知った」


 確かに、それは正しいのだろう。

 力がなければ言葉を尽くしても無意味。

 理想論を語ったところで現実は何一つ変わりはしない。

 手を、足を動かして初めて一歩踏み出せる。


「――ふむ、ここはボクの出番ですかね?」


 フライドポテトを咥えながら天音が呟く。

 行儀が悪いから食うか喋るかのどっちかにしてくれ。

 そんな心からの祈りは届くことなく、追加のフライドポテトが口へと運ばれた。

 顔を上げた陽菜と海涼の視線が天音に集中する。


「実ははるはるも特訓したいって言ってましてね。ついでなので二人も一緒にやりますか?」

「お願いしますっ!」

「私もお願いします」

「いい返事ですねボクとは全く大違いですよ」


 やる気に満ちた二人の声音に平坦な口調で返す。

 しかし紅い目だけは新しい玩具でも見つけたかのように爛々としていた。


「天音……なんのつもりだ」

「珍しくも珍しい単なるタダ・・の善意ですって。二人は強くなれるしシスコン野郎は妹と触れ合える。ボクは忙しさと引き換えに青春の汗を流せ……いや冷静に考えなくても別に流したくないですね」

「最後本心漏れてんぞ」

「いやんはるはるのエッチ♪」

「どこにそんな要素があったのか一から説明してもらっていいか!?」

「えっ、汗って単語に反応したんじゃないんですか? てっきり女の子の汗に興奮する変態かと――ったぁっ!?」


 無言で天音の額へデコピンを炸裂させた。


 むしゃくしゃしてやった、後悔はしていない。

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