第24話 願った呪い



 降り注ぐ剣雨を前に、男の『呪魔』は徒手空拳で迎撃の構えを取る。

 熾した蒼炎を纏い膨れ上がる呪力の気配。

 そして演舞かのように洗練された動きで殺到した剣の腹を殴りつけ――無数の破片へ粉砕した。

 確かに複製で作った『祟水蒼牙』はオリジナルと比べて耐久度も呪具としての質も劣る。

 だが並の『呪魔』ではそれですら劇薬だというのに、それを顔色一つとして変えずにへし折るか。


 ……一応、を使う覚悟もしとくか。


 ギュッ、とオリジナルの『祟水蒼牙』の柄を握り、密かに心の中で決意する。


「笑止。水蛇の贋物で我を殺せると思ったか、人間ッ!」

「ああ、よくわかったよ。――でも、減点だ」


 くいっと指先を動かすと、地面へ散乱している『祟水蒼牙』の破片が糸で手繰られたかのように動き出す。

 俺が操れるのが剣だけだなんて一言たりとも言った覚えはない。

 破片が赤褐色を斬り裂き蒼銀の風が吹き荒れる。

 ダイヤモンドダストのように殺意を帯びた破片が煌めきを放つ。


『呪魔』も徒手空拳での防御は厳しいと判断してか、周囲へ蒼い炎を散らして範囲殲滅を行う。

 炎と破片が接し――押し負けたのは破片だった。

 赤熱しドロリと溶け落ちた破片が形状を維持出来ず銀色のモヤへ姿を変える。

 俺と『呪魔』を隔てていた刃の壁は消え去り、ギョロりと白濁した眼球がこちらを向いた。


「征くぞ、人間」

「やっば」


 抜き身の刃を首元へ当てられたような悪寒、尋常ならざる殺気が視線と共に叩きつけられる。

 咄嗟に躊躇ちゅうちょを棄てて身体に呪力を満たす。

 刹那、顔面に抉るような角度で繰り出された貫手を、背を逸らしてかわした。

 ヒュ、と背筋が凍る風きり音が鳴り響く。

 たたらを踏む俺へ攻撃の手を休めず、拳が、蹴撃しゅうげきが矢継ぎ早に迫る。

 

 鼻先を掠める蒼炎が呪力の抵抗をものともせず皮膚を焦がした。

 ひらりと舞うプリーツスカートの裾が蒸発する。

 遅れて両手で握る『祟水蒼牙』で応戦するも、膂力りょりょくでは敵わない。

 極限まで研ぎ澄ました集中が時間の流れを緩慢に感じさせ、一つ一つを冷静に捌いていく。

 一進一退の攻防、互いに致命打は一つも与えられていない。

 ……らちが明かない、一旦距離を取りたいな。


「――シッ」


 炎拳を掻い潜り、横薙ぎに銀閃が奔る。

『呪魔』の男は機敏な反応で後ろへ退く。

 生まれた間隙、すかさず頭上で『祟水蒼牙』を複製し間髪入れずに投射した。

 剣雨の対応に追われているうちに俺は後ろへ下がり、乱れた呼吸を整える。


「……こりゃキツいな」


 深呼吸、熱された空気が体内を巡る。

 思わず歪む表情、歯を食いしばって耐えながら呪術の制御を維持する。


 陽菜が耐えられていたのは、同じように火の呪いに適性があったからだろう。

 正直、既に辛い。

 汗がひとりでに溢れて滝のように流れている。

 喉が乾ききって、頭が釘を打たれているかのように重く痛む。

 長く続けば意識を失うだろう。


「やっぱりアレを使うしかないか。四の五の言ってられる状況じゃない」


 一息に覚悟を決め、ありったけの呪力をかき集めて熾す。

 電流が流れたかのように痺れを伴う痛みが駆け巡る……気にするな。

 余分な感情を排して呪術を組み上げるのに専念する。


 それは俺が願った呪いである。

 それは届かない何かへ手を伸ばす為の呪いである。

 定められた因果へ叛逆する刹那の剣。


 視線の先で俺を凝視する『呪魔』の姿。


 しかし、もう。


「――手遅れだ、残念」


 キンッ、とさっきまで両手に握っていた『祟水蒼牙』が甲高い音色を響かせて

 紙芝居のように場面が切り替わる、そんな違和感。

 前後に齟齬が生まれるそれは至って正常である。


「…………ぁ?」


 異変を感じたのか『呪魔』が首を押え――ズズ、と首が横へ滑る。

 そのまま『呪魔』の頭部が転がり落ちた。

 理解不能、そう言いたげに眼が開く。

 首の断面は滑らかだが、人間と違って黒いモヤが溢れるだけだ。

 それが『殺した』という罪悪感を薄れさせるようで、いつまでも浸っていたくなる。


 やがて分かたれた胴体と頭部からも黒いモヤが立ち上り、完全に死んだことを告げていた。

 確認し安心した身体が緊張から解き放たれ、弛緩した警戒。



「――死んでなかっただけでも驚きだが、そんな隠し玉があったとは知らなかった」

「ッ!?」


 静寂に響いた若い男の声。

 飛び上がる心臓、急に現れたその存在を探り――見つけた。

 瓦礫の山で足を組んで座る、趣味の悪い左半分だけのペストマスクで顔を覆った黒衣の男。

 露出している右の頬には黒い痣……呪憑きか。

 加えて感じる呪力も膨大、それこそ特級に匹敵するレベル。


「ああ、俺はからすと名乗っている。生きていたらしいな、『千剣』」

「……さっきの『呪魔』の仲間か」


 驚きを抑えて問うと、一瞬の間を置いて頭を抱えてくつくつと嗤った。


「何がおかしい」

「何が? 何もかもだよ。コイツらは仲間でもなんでもない、都合のいい協力者ってだけだ。それに――俺は人間だ、呪い風情と一緒くたにするな。反吐が出る」


 嫌悪感を隠そうともせずに吐き捨てた男――鵶に嘘をついている様子は見られない。

 にしても「コイツら」、それと「協力者」ね……天音が言ってた奴らがコレか?


「まあ、いい。今日のところはコイツの呪いを回収しに来ただけだ。『千剣』、お前に用はない」

「目的はなんだ」

「折角逃がしてやるって言ってんだ。目障りだからどっか行け。それとも――今ここで死ぬか?」


 ぞわり、と粟立つ皮膚。

 蟲の大群を目にしたかのような不快感、思わず踏み込む意思が弱まる。

 ここで放置するのは良くないと勘が告げていた。

 しかし、消耗が激しくまともに戦える状態じゃないのも事実である。

 今コイツとやり合えば確実に死ぬ。

 利害の一致と言えば聞こえがいいが、後々この影響が響いてくるだろう。


「……ちっ、わかった。今は俺もお前の邪魔はしない。だからお前も俺の邪魔をするな」

「俺に指図するな。さっさとその女を連れて失せろ」


 言われなくてもそうするっての。

 壁に凭れて座る陽菜へ歩み寄って、手を差し出す。


「立てるか?」

「……なんとか」


 苦しげに笑ってみせた陽菜が手を取り、互いに肩へ腕をまわして支え合う。

 見上げた赤褐色の空が次第に薄れ、青い現実を取り戻しつつあった。

 呪災は終わった、けれど新たな問題が生まれつつあるのを身をもって知った。


 静かに振り返った先。


 男の姿は煙のように消えていた。

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