第13話 涙の理由

 


「い゛た゛い゛っ゛!」

「少しくらい我慢しなさい」


 およそ外見は少女の俺が発してはいけないような呻き声が施術室に響いた。

 施術服に染み込んだ心を落ち着ける効果があるオイルの香りはまるで意味を成していない。


 痛かったら伝えてくれと言われていたのに由良さんの手のひらは肩甲骨のあたりを押し続ける。

 今行われているのは呪力障害の治療で凝り固まった呪力の流れを解しているのだとか。

 簡単に言えば肩こり解消のマッサージで俺も専門的なことは詳しく知らない。


 多少なりの心得はあるものの、それだけだ。

 餅は餅屋に、治療は医者に任せるべきだと思う。

 痛いのを耐えれるかと言われれば話が違うけどな!


「しぬ、しぬ!」

「大袈裟ね死ぬわけないじゃない」

「ひぎぃっ!?」


 首筋へと移った手に揉みほぐされ、滞っていた呪力が流れてピリリとした痛みが走る。

 正面の鏡には反り返った俺の姿……海老かな?

 滑稽すぎて自分でも笑えてくる。


 額に浮かんだ汗と仄かに赤く染まった頬。

 血行も促進されている証だな。

 こんなことを考えられるあたりは余裕がありそうだけど身体は素直らしい。


「貴方ねぇ」

「しょうがない、だろ……俺だって好き好んで叫んでるんじゃないっての」

「声を耐えろっていうのが間違いなのかもしれないわね。貴方の呪力の保有量は並じゃない。そんな呪力が一気に流れたら……うん、無理ね」

「諦めんなよ!?」

「どうしようもないわ。恥ずかしいことじゃないから安心して喘ぎなさい」

「ちっとも安心できねぇ」


 叫ぶならまだしも喘ぐってなんだよ。

 呪力が多くて苦労するとは思わなんだ。


「次、仰向けになって」

「はいはい」


 言われるがままに体勢を変えると天井に嵌められた蛍光灯の明かりが網膜を焼いた。

 はだけた施術服を直して目を瞑り、


「お手柔らかに」

「随分な弱気ね」

「背中はまだしも前はまだ抵抗あるんだよ」

「なるべく刺激しないようにはするけど期待しないでね」


 自ら遮った視界で聞こえる由良の声を合図として、彼女の指先が宣言通りに首元へ触れた。

 上から順に呪力の通り道を刺激し、その度に大小様々な痛みを感じる。

 どこかこそばゆさを感じる断続的な刺激。


「触るわよ」

「……一々言わないで下さい」


 身体が強ばるのを止められず、それを察した由良さんの手が目的地から逸れて手を握った。

 不思議と安心する柔らかく温かい手。

 懐かしい感触。


「ちょっと、突然泣いてどうしたの」

「……へ?」

「泣くほど痛かったのなら止めるけど、どうする?」


 気づいたのは指摘されてからだった。

 知らずの間に俺は泣いていたらしい。

 頬を伝い流れ落ちる液体が、今も溢れ出ていた。

 おかしい、どうして。

 もう大丈夫だと思っていたのに。


「……いえ、続けてください」

「そう。貴方が言うなら」


 何か言いたげな由良さんは、しかし自身の仕事を全うしようと俺の胸へ手を当てる。

 全身の呪力障害を治療するためという明確な理由があっても、自分の慎ましく膨らむ胸を触られる度に嫌悪感を感じていた。

 意識とは無関係に身体を巡る名状し難い感覚に自分が壊されてしまうんじゃないかと。

 それは今も変わらない。


「……んっ、っはぁ」

「耐えられる?」

「なん、とか……っ」


 言ったものの、八割方は強がりだ。

 嫌に響く嬌声と熱っぽい吐息。

 我慢しようにも弛んだ理性では抑えられず、それが自分の声だと認識しての悪循環。

 脳は拒絶反応を示しているのに、身体は反射的に反応を繰り返す。

 早く終わってくれ。

 そう思っていた時だった。


「――ごめんね。私は貴方の心を本当の意味で理解してあげられない」


 由良さんの口から覚えのない謝罪を告げられた。

 違う、違う。

 由良に相談した時、彼女は親身に寄り添って不安を少しでも取り除こうとしてくれだ。

 夜は俺が一人なのを見兼ねて朝まで傍に居てくれた。

 泣きついても、混乱で頭が真っ白になっても俺を突き放そうとしなかった。

 彼女の善意にどれだけ助けられたことか。

 ああ、もう、馬鹿らしい。


「――違い、ます。助けられてばかり、ですよ」

「……それが私の仕事よ。これまでも、これからも」


 やっぱり優しい人だ。

 由良は話は終わりとばかりに治療へ集中する。

 全身の施術が終わったのは約一時間後だった。



 施術室から続くシャワー室で汗とオイルを流し気分をリフレッシュ。

 着替えて由良さんが待つ診察室へ入ると、彼女もコーヒーで一服入れているところだった。


「おかえりなさい。具合が悪いとかない?」

「調子がいいくらいですよ」

「ならいいわ。座って少しお話しましょう」


 机の上には幾つもの資料が散らばり、言語もバラバラな本が塔のように積まれている。

 有線のキーボードとマウス、白いコーヒーカップ。

 窓際に置かれた花瓶には紫色の花弁が美しいリンドウが活けられていた。


「……なによジロジロ見て。これは片付けが出来ないんじゃなくて手に届く場所に全部置いてるだけなのよ」

「はぁ、そうですか。整頓くらいはした方がいいと思いますけどね」

「私は把握してるからいいの。掃除は業者の人に任せてあるし」


 典型的な片付け出来ない人の言い訳だ。

 由良さんが気にしてないならいいんだけど年頃の女性としてはどうなのだろうか。


「それより貴方の話よ。治療の時どうして泣いていたの? 自分が担当する患者のことはなるべく知っておきたいけれど、無理にとは言わないわ」

「よりにもよってその事ですか……蒸し返して欲しくないんですけどね」

「誰だって泣く時はあるわよ。もう何度も見てる気がするけれど?」

「うぐっ……」


 涙脆くなったのか精神まで幼くなったのか。

 陽菜の前では弱音を吐かない俺も、由良さんといると自然に出てしまう。

 歳上の彼女に無意識で甘えているのかと考えると恥ずかしさが込み上げてくる。

 加えて今日のアレで俺の理性は限界を超えた。

 もう何も怖くない。


「……で、泣いてた理由でしたっけ。いいですよ、隠すほどのことでもないですから」


 古傷はもう癒えている。

 俺の全てが壊れて、呪術師の世界に入るきっかけとなった事件。


「十年前、ですかね。俺は呪災で家族全員を奪われ呪いと繋がったんですよ。泣いてた理由は由良さんに手を握られて亡くなった母親を思い出した……それだけです」


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