チューリップと元ヤン姉弟

 ヒロが来店してから、毎日リュウトは一人で考えていた。

 このままここで、美容師の仕事のかたわら、バンドを続けていくのか。

 それとも、今までの自分を捨てて、ヒロについてロンドンに行くのか。


(はぁ……。いきなりそんな事言われても、オレ英語とか全然しゃべれねぇし……)


 言葉の問題も気になったが、一緒にバンドを続けている仲間の事や、家族の事、店の事。

 自分を父親のように慕っているハルの事。

 そして、彼女の事……。


(オレがここにいたって、アイツがオレのものになる事なんてねぇのはわかってるけど……)


 ただ、ここにいれば、時々でも彼女に会える。

 自分以外の誰かを想う彼女に会えるのは、彼女がここに来るか、よほどの偶然しかない。


(よく考えたらオレ、アイツと何回会った?)


 リュウトは思い出しながら指折り数える。

 彼女が偶然店に来て再会した日。

 カードを取りに来た彼女と居酒屋に行った日。

 ショッピングモールで絡まれている彼女と偶然遭遇して、バイクに乗せて食事に行った日。


(えっ……?たったの3回?!)


 もっと何度も会っているような気がしていたのに、彼女と会ったのは、たったの3回。


(それでこんなにアイツの事ばっか考えてるなんて……オレはバカか?)


 もっと会っているような気がしているのは、いつも彼女を想っているからなのかも知れない。

 最初は、これは恋なんかじゃないと自分に言い聞かせていたはずなのに、いつの間にか彼女の事ばかり考えて、気が付けば会いたいと思うようになっていた。

 次はいつ会えるのかもわからないのに、ここにいればいつかは会えるだろうと思って待っている自分がいる。


(また来るかどうかもわかんねぇのに……)


 ロンドンに行けば、彼女の事もキレイさっぱり忘れられるだろうか?

 新しい出逢いに、心がときめいたりするのだろうか?


(でも……やっぱり……アイツに会いたい……)




 いつものように夕方になり、リュウトは予約客のカットで手が離せないルリカの代わりに、ハルを迎えに行った。


「とーちゃん、これあげる」

「ん?」


 帰り道を歩いている途中で、立ち止まったハルが鞄の中から何かを取り出し、小さな手でリュウトに差し出した。


「なんだコレ?」


 赤い折り紙でできたそれは、よく見るとチューリップのようだった。


「ちゅーりっぷ。ハル、一生懸命作った」

「へぇ……。そんな事もできるようになったんだな。でもせっかく上手にできたのに、ママにあげなくていいのか?」

「うん。それはとーちゃんの」

「そっか。ありがとな」


 リュウトはハルのくれた折り紙のチューリップを眺めて、くすぐったい気持ちで微笑んだ。


(こんなのもらっても仕方ねぇんだけどな。ハルからのプレゼントじゃ、要らねぇとも言えねぇや)


「とーちゃん、元気出た?」

「えっ?」


 何気ないハルの一言に、リュウトはなんの事かと驚いた。


「とーちゃん、ずっと元気なかった。ハル、とーちゃんが元気ないと泣いちゃうの」

「……」


 自分では気付いていなかった部分を、ハルはずっと見ていたのかと思うと、なんだかやけにいじらしくて、リュウトはハルの頭を何度も撫でた。


「ありがとな、ハル。おかげで元気出た」

「ホント?」

「ああ」

「やったぁ!!」


 リュウトは無邪気に喜ぶハルを抱き上げ、歩き出した。


「元気出たお礼に、家までだっこしてやる」

「ありがとうのちゅーは?」

「……それはねぇな」

「えー、なんで?」

「なんでも」

「じゃあ、ハルがおっきくなったら、ちゅーしてくれる?」

「それはそれでマズイだろ……」


 相変わらずストレートな愛情表現をするハルをリュウトは羨ましく思いながら苦笑いをして、ハルをだっこしたまま帰宅した。



 その日の夜。

 リュウトが部屋でビールを飲みながらぼんやりしていると、ルリカがやって来た。


「一緒にどう?」


 ルリカはウイスキーのボトルを差し出した。


「ああ。いいな」


 大きめのグラスにロックアイスを入れ、ウイスキーを注いで乾杯した。


「珍しいじゃん」


 普段、リュウトの部屋に滅多に来る事のないルリカが、ただ一緒に酒を飲むためだけに、わざわざ来たとは思えない。


「たまには姉弟で飲むのもいいじゃん」

「そうだな」


 リュウトは不思議に思いながらも、黙ってグラスを傾ける。


「今日、ハルにチューリップもらった?」

「ああ、これな」


 テーブルの上に置いた折り紙のチューリップを手渡すと、ルリカはそれを受け取って、穏やかに微笑んだ。


「ハル、なんか言ってた?」

「保育所で一生懸命折ったんだって。それ渡したらとーちゃん元気になった、って喜んでた。あの子、アンタの事ホントに好きだよねぇ」

「ああ……。なんでだろうな。親父代わりみたいなもんか?」

「確かに父親はいないけど、ハルは単純に……純粋にアンタの事が好きだから好きって言うんだよ。あの子にしかわからないリュウトの良さがあるんじゃない?」

「ふーん……」


 まっすぐに自分と言う人間を見てくれている人がいると思うと嬉しいような、でもそれが幼い姪っ子のハルだと言う事を考えると、リュウトは少し複雑な心境になる。


「気持ちは嬉しいけど、相手がハルじゃな……」

「嫁に行ける歳になる頃には、ハルもきっとイイ女になってるけどね、私の子だから」

「そん時オレいくつだよ……。14年後って、オレもういい歳じゃん。……ってか歳の差もアレだけど、オレ、ハルの実の叔父さんだぞ?なんで自分の娘を弟に差し出すんだよ?!」

「ああ、私とアンタ、血繋がってないから安心して」

「へぇ、なるほど、そりゃ安心だな!……ってなるか!!」

「おぉ、コレがリアルノリ突っ込みってヤツだな。やるじゃんリュウト」

「いやいや……ちょっと待てよ……。なんかもう、わけがわかんねぇんだけど……」

「だから。アンタと私、異父姉弟じゃなくて、完全に両親とも違うから。私、サツキの最初の旦那の連れ子。アンタ、サツキと2番目の旦那の間にできた子だから」

「えー……ちょっと待てよ。じゃあなんで名前に同じ字が入ってんだ?」

「私がサツキの娘になったの、まだ生後3か月くらいの時だから。親父、女グセ悪くて嫁に逃げられたんだよ。それをサツキが私も一緒に拾ってくれたらしい」

「なんじゃそりゃ……」

「でも働かねぇわ女グセ悪いわ、クズ同然だったから、ルリカ置いて出てけ!!って言って、すぐに叩き出したんだってさ」

「連れてじゃなくて、置いて?」

「元々はヤンキー時代の仲間だって。サツキは親父が好きで拾ったわけじゃなくて、実の母親に捨てられた上に、親父がどうしようもない男でかわいそうだと思って、私をサツキの子にするために連れて来たんだって言ってた」

「……スゴすぎ……」

「その後、サツキ、2番目の旦那の子を身籠ったから結婚したでしょ。で、リュウトが生まれて名前付ける時に、単純にこの字がカッコいいし姉弟だから一緒でいいじゃん、ってだけの理由で、同じ字が入った名前にしたんだってさ」

「二十歳にしてこの事実は衝撃過ぎるわ……」

「アンタ、知らなかったんだね」

「聞いた事ねぇもん。まさか……ハルは知らねぇよな?」

「難しい話はしてないけど。結婚はできるって言ってある」

「子供になんちゅー事言うんだよ!!」

「いいじゃん、ハルもアレで結構ちゃんと女だよ?血が繋がってたら法律上アウトだけど、繋がってないんだから問題ないって」

「そういう問題じゃないと思うぞ?」

「まぁね。そんな単純じゃないのはわかってるよ。ハルが大人になっても、まだアンタの事が好きかどうかもわかんないけどね。今は結婚したいくらいアンタの事が好きなんだから、夢くらい見させてやってよ」


 あっけらかんと笑って話すルリカに、リュウトはもうため息しか出ない。


「はぁ……。ハルはかわいいけど、未来の嫁って言うより、やっぱり娘だよな……。ハルと一緒にいたらパパっぽいって言われたし……」


 リュウトがボソボソと呟いた言葉を、ルリカは聞き逃さなかった。


「へぇ……誰に?」

「……友達」

「ふーん。前にカード取りに来たあの子だ」

「まぁ、そうだな」


 リュウトは急に歯切れの悪い返事をして、グラスのウイスキーを飲み込む。


「リュウトさぁ、わかりやすいわ」

「え?」

「好きな子ができると、リュウトってそんなふうになるんだ。面白いね」

「何わけわかんねぇ事言ってんだよ……」

「素直に言いなよ。お姉様に話してごらん?」

「なんだソレ……気持ちわりぃ……」


 ルリカのいつもと違う口調にリュウトが思わずポツリと呟くと、ルリカは激ヤン時代を彷彿とさせる眼光の鋭さでリュウトをにらみつけた。


「あ?なんか言った?」

「すみません……なんでもありません……」

「わかればよし」


 ルリカはウイスキーをグラスに注ぐ。


「リュウトは全然、自分の事は話さないし……自分のやりたい事とかも言わなかったもんね。自分からやりたいって言ったの、ベースくらいじゃない?教えてーって先輩に頼み込んで……」

「そうだったかな……」

「ヤンキーになったのは、ほぼ私のせい。私と周りの仲間がアンタの事かわいがってたから、自然とこっちに来たのかと思ってたけど……。ホントは違うよね。私たちの期待に応えないとって思ったんじゃないの?」

「覚えてねぇな……。気が付けば、あっちゅー間にヤンキーだったわ」

「周りがどう見てるか……とか、ホントは気になってたよね。高校だって、ホントは行きたかったんでしょ」

「どうかな……。今更だろ。別にオレは今の仕事に不満はねぇよ」

「私がサツキと同じ道を行ったのは、私の意志だけどさ……。リュウトはホントは普通に学校行って、普通の友達と高校とか大学とか行ってさ……ちゃんとした恋愛もしたかったんじゃないかなって、私は思ってるけどね」

「なんだソレ……」

「親になったら、なんとなくいろんなものの見え方が変わってきた」


 得意気に笑って口角を上げるルリカを見て、リュウトは少し感心した。


「へぇ……。さすが母親」

「今から学校に行こうと思ったら、かなり大変だけどさ……ちゃんとした恋愛は、今からでもできるよ。ってか、むしろこれからするべき」

「なんだよ、いきなり……。オレより姉貴の方こそ、いい男見つけて結婚でもしたら?そうすりゃハルにも親父ができるだろ」

「私はいいよ。今はハルがいれば、それだけでじゅうぶん」


 リュウトはタバコに火をつけると、前から気になっていた事をルリカに尋ねた。


「なぁ……。ハルの親父ってさ……結局誰なんだ?なんで一緒にならなかった?」

「人には言えない相手だから、一緒にはなれなかったんだよ」

「なるほどな……」

「誰かは言えないけどね……。理由は単純。好きになっちゃいけない人を、初めて本気で好きになった。それだけ。その人の子を産んで、育てて……幸せだと思うよ」

「その相手って、ハルが生まれた事とか知ってんのか?」

「言ってないよ。一緒にはなれなくても、この子がいれば生きて行けるって思って、潔く身を引いたんだ。私がどう頑張っても釣り合わない相手だったから」

「ふーん……。今でもその人の事、好きか?」

「どうだろう。でも、あの人を超える人はまだ現れてないな。まだ3年しか経ってないし」


 ルリカの話を聞きながら、自分の想いには、どこでピリオドを打てばいいのだろうとリュウトは考える。

 何も言わずに、何事もなかったように、潔く身を引くべきなのか。

 どうせなら玉砕覚悟で、気持ちだけでも伝えてからあきらめるべきなのか。

 それとも、彼女以上に好きになれる相手が現れるのを待つべきなのか。

 自然にこの想いが消えてなくなるまで、静かに待てばいいのか……。


「こんなにしんどいのに……なんで、手の届かない相手を本気で好きになるんだろうな……」

「リュウトもそうなんだ……。血は繋がってなくても、やっぱり姉弟だね」

「手に入らないものほど欲しくなんのかな?」

「こういうの……なんて言うんだっけ?」

「……やっぱりオレら、姉弟だな……」




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