「魔力の無い魔術師」9

  9


 魔法が使える可能性――。

 もし、本当に魔法が使えたとしたら、どれだけ嬉しいことだろう。


 嬉しい?

 ぼくは自分で思って自分で不思議に思った。

 どうしてぼくは嬉しいんだろう。

 魔法を使えるかもしれない。そのことが、どうして……。


 やっぱりぼくは魔術師なんだ。

 魔術師の血が流れているんだ。


 ずっと認めてもらえなかった。誰にも認めてもらえなかった。

 でも、もし魔法が使えたら。このぼくにも魔法が使えたら……。


 ふふふ。お父さんはびっくりするかな。魔法を使っているぼくを見てなんて言ってくれるかな。今までのこと悪かったって、そう言ってくれるかな。


 そう思ったから、ぼくは嬉しかったんだ。

 でも……。

 でも、もし本当に魔力がないのだとしたら……。


 ***


 夜になっていた。

 ぼくは家で一人、昼間に貰った魔術書を見つめた。

 これからどんな練習をするのだろう。魔力を発動させるために、どれだけの練習が必要なんだろう。


 努力すれば、練習すれば、魔法が使えるようになるんだろうか。いや、世の中に絶対なんてない。努力しても、練習しても、魔法が使えるようにならなかったら……。


「無にはならんとおれは思う」


 彼はそう言っていた。


「結果がすべてではない。結果に至る過程で何をなしたか。それが大事なのだとおれは思う。無駄な努力などこの世に存在しない。例えその時は結果が伴わずとも、努力はいずれ、何らかのかたちで君に報いるだろう」


 よく分からなかった。そんな経験、したことがなかったから。努力ってなんだろう。結果ってなんだろう。何をしても駄目だった。何をしても怒られて、誰も褒めてくれなくて。ぼくはただ、流されるままに生きてきた。下位魔術師の地位だってそう。ぼくが望んで得たものでも、ぼくが実力で得た者でもない。ただ、与えられただけ。

 でも、最高位の魔術師までのぼりつめた彼の言葉には重みがあった。彼はきっと、血のにじむような努力をして、そこまでの地位にたどり着いたのだろう。


 ……そうなんだろうか。


 彼は見たところ、24、5歳くらいにしか見えなかった。落ち着きがあったからもう少し上なのかもしれないけど、きっと30歳にはなってない。そんな若さで最高位までのぼりつめるなんて。元々才能に恵まれていたからだけなんじゃないだろうか。


 いや、違う。そうじゃない。


 ぼくの肩を叩いた腕の力強さを、ぼくは思い出していた。彼の佇まいを思い出していた。穏やかなのに、誇りと自信にあふれていた。

 単に才能だけで強い魔力を身につけた人の腕じゃなかった。そんな人が持つ雰囲気じゃなかった。人一倍努力して、努力して自分のものにした人なんだ。

 確信は持てなかったけど、ぼくはそう思った。


 だからぼくは、翌日から仕事が終わると街の外に出て魔法の練習を始めた。外といっても街のすぐ近く。魔物が出たらすぐに逃げ帰れる場所だったけど。

 認めて欲しかったから。ううん、たぶんそうじゃない。はじめてちゃんとぼくの話を聞いてくれた人。その人に、がっかりされたくなかったから。

 

 ***


 彼にもらったセベリット・オーブをそばに起き、ぼくは魔法書を見つめた。

 魔法書を、手を使わずに持ち上げる……。

 1日、2日、3日……。1週間たっても、本はぴくりとも動かなかった。


 やっぱりぼくには魔力がないのかな……。

 そうしたら、声が聞こえたような気がした。


―― 17年間できなかったことが、1週間できなかったからといってなんだというのだ? ――


 やけにはっきりと聞こえたので、ぼくは驚いて辺りを見まわしたけれど、辺りには誰もいなかった。

 セベリット・オーブが目に入ったけれど、まさかオーブが喋るわけないし。そういえば彼がこのオーブには特殊な力があると言っていたけれど、さすがにそれはないだろう。


 でも聞こえた、というか、頭に響いた声はもっともだったので、ぼくはそれからも練習を続けた。

 だけど、2週間たっても魔法書は動いてくれなかった。

 彼は2、3週間のうちに連絡できると言っていた。このままでは、何もできないまま彼が来てしまう。

 悲しくて、涙が出そうになった。


―― 悔しくはないのか? ――


 また声が聞こえた。

 え?

 驚いて辺りを見まわしたけど、やっぱり誰もいなかった。でも……。

 

―― 悔しくはないのか?できないことが、悲しいだけか? ――


 セベリット・オーブがぼくを見ていた。いつものように波の模様が揺らめいているだけだったけれど、確かにオーブがぼくを見ているように感じた。

 オーブだ。このオーブがぼくに語りかけているんだ。不思議と素直にそう思った。


 悔しくはないかって?

 ぼくは心の中でオーブに返事をした。


―― そうだ。できないことが、悲しいだけか? ――


 案の定、返事が返ってきた。

 わからない。でも、悔しくはない気がする。

 ぼくは答えた。


―― なぜだ?悔しいから、負けたくないから、人は前に進もうとするのではないのか?悲しみは前進を生まないのではないのか?悲しみにひたるということは、その場に留まりつづけることを意味するのではないのか? ――


 そうなのかな……。


―― なぜ、悔しくないのだ? ――


 わからない。ずっとできないことが当たり前だったから、だから悔しくないのかもしれない。


―― ならばそこに留まるか?できないままで留まるか? ――


 う~ん……。

 オーブの言っていることは間違っていない気がした。できないことが悔しいから、できるように頑張る。できないことを悲しんでいるだけでは、確かに前には進めない。


 ぼく、もう少し頑張ってみるよ。


 オーブは答えてくれなかったけど、ぼくはもう一度魔法書に意識を集中しようとした。

 魔法書に意識を集中し、それを動かすことだけを考えた。


―― 動かそうと思うな ――


 え?


―― 動かそうとするな。動かそうとするのではなく、浮かび上がった結果を想像するのだ。思い描くのだ ――


 結果を思い描く……。


―― そうだ。風のうたを聞け。大地の息吹いぶきを肌で感じよ。風と共にうたい、大地と共に息をするのだ。思い描け。自分が風であるさまを。大地である様を。その中に、魔術書が浮いている、その様を ――


 ぼくは耳をすませた。風の音に。大地の鼓動に。

 赤い太陽がゆっくりと地平線の向こうに沈もうとしていた。


 空が太陽と同じ色に染まり、広がりつつある夜の色と交じり合う。

 世界が不思議な紫色に染まった。


 昼を生きる鳥たちが翼をたたみ、花たちが瞳を閉じる。

 夜を生きる虫たちが目を覚ますまでの一瞬の時。世界が紫に止まった。


 そのときぼくは、世界を感じた。

 昼のうちに蓄えられた大地のぬくもりを感じた。


 一つの命が終わり、一つの命が生まれる刹那せつな

 風が優しくぼくを包んだ。

 ぼくは大地と一つになった。

 

 ふわり。

 

 魔法書が浮いた。

 

 

 

(序章・完)




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