9月

第20話 距離感がおかしいお嬢様

 夏休みが終わった。

 異常な海の日のことは思い出したくもない。恋人でもここまでするかと言うほどめちゃくちゃにキスをしてしまった。恋人ではないのに。

 めちゃくちゃ気まずくて目もあわせられなくて、ふとした瞬間にアメリを意識して赤くなってしまう。だと言うのにアメリは代わらぬ明るさでいままで通りのフレンドリーさで接してきて、朝晩には軽く触れるキスまでしてくる。

 二人きりの時はありがとうの代わりに頬にキスをしてくるし、なんだこいつは。頭のなかどうなっているのか。


 恋人でもないのにこんなにキスするのはどうかな、とさりげなく言ってみたのだけど、恋人ではないけれど、私達の関係では別におかしくないでしょう、などとぬかされた。


 いやどんな関係だよ!? と言いたくなった桐絵だったが、その後は微笑んでキスをされて本人にそんな意識はないだろうが黙らされてしまった。

 いったいアメリはどうしてしまったのか、不安になるほどだ。それでいて、偉そうに手伝わせてあげると言う態度は変わらないし、桐絵はどう接すればいいのか戸惑ってしまう。


 あれから一週間。始業式が行われ授業が始まり宿題も提出し、日常が戻ってきていた。だけどアメリへの態度は決めかねていた。


「もう、桐絵さん? なんだか最近、妙に浮ついてるわよ?どうしたのよ?」

「ど、どうしたって、あんたねぇ」


 夜、入浴を終わらせて部屋に戻ってきてから、アメリはそう言えばと何でもないようにそう言ったけれど、どうかしたのはアメリの方だ。

 何を自然に桐絵の隣に座っているのか。夏休みになる前は、この小さい四角のローテーブルには対面か直角に座っていたのに、狭い中ぎゅうぎゅうにつめてまで隣に座る意味がない。

 意味があるとすれば、アメリとくっつけて、その馬鹿みたいに熱い体温を感じられて、ついてに柔らかい胸まで当たっていると言うだけだ。


「暑いんだから、ちょっと離れなさいよ。前はこんな風に座ってなかったでしょ」

「前は前じゃない。前より仲良くなったと思ったのは、私の気のせいかしら?」

「そ……それ、は、ど、どういう意味で言っているわけ?」

「どういう意味? 仲良くなったと言うのに、他に意味がありまして?」


 アメリはきょとんと、まるで他意などないように純粋な子供のようにそう首を傾げている。


 桐絵はもう、以前と同じようにはアメリを見れない。前もみたそのとぼけた顔も以前は、全く子供なんだから、と可愛いけれどそれで流せたのに。

 今はそれだけではなく、その少し突き出た唇が気になってしまう。可愛いだけではなく、同じ顔のはずなのにより艶っぽく色気を感じて、下卑た感情が出てくるのを誤魔化すことすらできない。


 ただの友達なんかじゃない。桐絵は過去の友達に、こんな感情なんて抱かなかった。

 だたふざけて一度キスをしただけでは済まない。あの日のことを全部なかったことにして、忘れたとしよう。だとしても、胸に生まれたこの感情はなくならない。


 桐絵にとってアメリはただ美しく可愛いだけの少女ではない。世話を焼いてあげていた手のかかるだけの娘ではなく、キスをしたくて、もっと色々なことをしたいし、してほしい相手なのだ。

 もう、純粋にアメリの世話をしていたころには戻れない。お風呂の世話だって、頭を洗ってあげながら鏡に映るアメリをついつい見てしまうし、背中を流すときも湯船に入っている時も、ずっとその体を盗み見てしまう。


 そうしてもんもんとばかりしてしまう。アメリは気安く、軽くキスをする。それも嬉しいと思ってしまうし、そして同時に、物足りないとも思ってしまう。


 あの夜を、忘れたいはずのあの夜を、もう何度だって味わいたいと思ってしまうのだ。


「アメリはおこちゃまだからわからないだろうけど、いくら仲良しの友達って言ってもこんなベッタリにはならないの。離れてよ」

「なによ。そんなひどい言い方はないでしょう? だいたい、ベッタリにはならない? いったい誰のどんな関係をさして言っているのかしら? 私は私とあなたの関係の話しかしていないわ。それとも、この私と仲良くするのが嫌だっていうの?」

「そ……そうは言ってないでしょ。ただ暑いし」


 わざときつい言い方をして、怒って離れてほしかったのに。アメリは眉をよせてぱんぱんと桐絵の太ももを叩いて文句を言い、離れるどころか触れてくる。

 それに、嫌かと聞かれるのはずるいからやめてほしい。嫌ではないから困っているのだ。嘘でも嫌だ、なんて言えないくらい、嬉しいどころかもっと近づきたいのだから。


「だったらクーラーの温度をさげなさい。ほら、私がとってあげたのだから、感謝してキスのひとつもしたらどうなのよ」

「だ、だからそう言うのをやめろっての」


 せめてもの言い訳をしようにもアメリは容赦なく責め立て、不機嫌そうにしながらも、テーブルの隅のクーラーのリモコンをとって桐絵の前に滑らせ、ずいと顔を寄せてくる。思わず体ごと引こうとするも、アメリは桐絵の左腕を抱き締めるように拘束してして逃げられない。


 顔をむけると、頑張らなくてもちょっと傾けるだけでキスをできてしまう距離だ。

 どきっと心臓が騒ぐ。


 ここまで言われているのだ。キスくらいしてしまえばいい。あれだけしたのだから、あと何度かしたところで誤差みたいなものだ。

 そんなことはないだろう。と本当は思いながら、桐絵は自分を誤魔化して、そっと顔を寄せた。


 察したアメリは嬉しそうに目を閉じ、唇を突き出す。なんて、可愛い。そのキス顔に目がやかれるようで、瞼の裏に焼き付きながら目を閉じた。


「ん……」


 ぷりっとしたアメリの唇は、触れているだけでその強さがわかる。


 ぞくっといけない感情が背筋を駆け上がりそうになるのを感じて、すぐに唇を離す。

 アメリは少しだけ頬に赤みをさしていて、開けた瞳は少しうるんでいる。


 もっとキスがしたい。それが偽らざる思いだ。ただ唇を合わせているだけではなく、もっと舌を出して、触れ合って、気持ちよくなりたい。


 恋人でも何でもないのに。そんな風に思ってしまう。だけどわからないのだ。アメリはそうではないとして、桐絵はアメリが好きなのだろうか。

 もちろん好きだ。だけどそれが、恋情なのか。それがわからない。他の誰でもないアメリとキスをしたいし、アメリに他の誰かとキスをせず桐絵とだけしてほしい。そうは思う。

 だけどこんなのは、恋ではないと思いたい。


 桐絵はまだ高校一年生で、大人にはほど遠いモラトリアムの中にいるのだ。だから、恋はもっと純粋できれいなものだと信じていたっていいではないか。

 こんな風に、気持ちよくなりたいなんて情欲にまみれて、悪態をついて愛を囁かない関係が恋だなんて、そんなのは信じられない。


 だからきっと、桐絵のこの思いは恋ではない。これはただの性欲と、醜い独占欲でしかないのだ。


 そんなものを、純粋なアメリに見せたくない。知られたくない。自分がたとえ俗物でしかないとして、アメリには綺麗なままでいてほしいと思うのは、きっと友情だ。この思いを大事にしたいと思うのだ。


「これで終わり?」

「え?」


 だと言うのに、アメリは桐絵が隠したい感情を増幅させるように口の端をあげてぺろりと舌で上唇を舐めた。

 その舌に思わず目を奪われていると、ふっと息を漏らすようにアメリが笑い、はっとなってアメリの表情全体を見ると、すべてお見通しとでも言いたげに笑っている。


「な、なにがさ」

「私にするお礼が、この程度なのかと聞いているのよ」

「な……ば、馬鹿な事言わないでよ。これ以上のキスとか、するわけないでしょ」

「別に、私はさせてあげてもいいわよ」

「!? な、なに言ってるかわかってて言ってる訳!?」


 何故かディープキスを誘っていると思えないどや顔でそう言うアメリは、とてもじゃないけれど意味が分かっていると思えない。

 なのにアメリは桐絵の問いかけに、一瞬きょとんとしてから、まるで子供をあやすように優しく微笑む。


「あら、桐絵さん、怖いの?」

「は、はぁ? そんな話誰もしてないんですけど? だいたい、何でキスがお礼になるわけ?」

「キスをすると、気持ちいいじゃない。私、あなたとキスをするの好きよ」

「は……」


 そんな直球な物言いがあるだろか、気持ちいいから好きって、キスをそんな簡単に、特別な意味も感情もなく、気持ちがいいからって。まるで肩でも揉ませるみたいに?


「何よその顔、キスが気持ちよくなかったとでもいうのかしら?」

「そ、それは……そんなの、言えるわけないでしょ」

「何言ってるのよ。イエスかノーか、簡単な話じゃない。言えないっていうことはつまり、答えはでているんでしょう? 答えなさいよ、私だけに言わせてずるいじゃない」


 まるで普通の会話をしているように、照れるでもなくアメリはそう問いただしてくる。桐絵の方がおかしいのかと錯覚してしまいそうだ。


「勝手に言ったんじゃん……悪いかいいなら、よ、よかったけど。てか、普通でしょ。あんなん、絶対気持ちよくなっちゃうじゃん」

「でしょう? 何も隠すことないじゃない。恥ずかしがりやねぇ」

「か、からかうな、馬鹿」


 頬をつんつんしてきたので、その指先をつかんでやめさせる。

 アメリは抵抗するでもなく、手はそのままにずいと顔を寄せて頬に口づけた。


「っ、き、気安くすんな」

「あらごめんなさい、可愛くてつい。で? どうなのよ?」

「なに……本気で言ってるわけ?」


 一瞬何が? と聞き返しかけたが、さっきからアメリが言っているのは一つしかない。すなわち、もっと気持ちいいキスをしないのか、と聞かれている。


「私はいつだって本気よ。でもそんなに聞いてくるなんて、桐絵さんったら、怖いんでしょう?」

「だからなんですぐそう言う話になるわけ?」


 そうやって挑発してわざと怒らせようとしているのかと思うほどのアメリだが、その目は、桐絵の睨みに笑みを深くする様子は、本心で言っているようにしか見えない。


「だってそうじゃない。キスをしたら気持ちいいってわかっていてしないんだから、怖いんでしょう? もっと気持ちよくなってしまうのが」

「っ、ふ、ふざけたことばっか言わないで」

「いいのよ、強がらなくても。桐絵さんが怖がりで弱虫でも、慰めてあげるわ。よしよし」

「ばっ、―――っ」


 ふざけるな。何が怖いだ。何が弱虫だ。桐絵がどれだけの思いで、我慢していると思っているのだ。本当は今すぐにだってキスをしてめちゃくちゃにしたいのを、アメリを汚したくないから耐えているのに。

 なのにアメリはそんな風に言うのか。桐絵の思いを知らないにしたって、そんな無邪気に馬鹿にするのか。


 頭を撫でて馬鹿にされ、お腹の底にある欲望に怒りが入り込み、マグマのように湧き上がってきた。


「このっ」


 そして火山が噴火するように感情に突き動かされるまま、桐絵はアメリの肩を押して床に押し倒し馬乗りになった。

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