その5 木曜日 後編

 ジョージが幕になって、ノッポ男との間に割って入った瞬間、俺は背後から左手を伸ばし、聡子の手首を掴んだ。


 はっとしたような表情で俺を見る。


 続けて俺は右肘でバッグを小突く。

 口金が開いた中から大ぶりの赤い革財布が床の上に落ちた。


『奥さん、財布落としましたよ』


 俺はわざと大きな声を出して女性に声をかける。


 買い物に夢中だった女は俺の言葉にようやく気が付き、


『まあ、気が付きませんでした。有難うございます』と、財布を受取り、彼女はまた買い物に目を向け始めた。


 ジョージは俺に向かって片目をつぶり、親指を立ててみせた。


 だが、その後ろで、あのノッポ男が唇を歪ませ、苦い顔をしているのが分かった。


 聡子は言葉を無くし、戸惑ったような表情をしている。


 すると、

”おい、兄ちゃん”

 俺の背後で声がした。

 後ろを見ると、背の低い、小太りの男がニット帽にブルゾンという格好で立っていた。

 よく見ると俺たちの周りは、いつの間にか胡散臭そうな連中に取り囲まれていた。


 ニット帽は、俺の背中に何か固いものを突き付けている。


 それが何か、すぐに理解した。

”ちょっと付き合ってもらおうか。そっちのあんちゃんも一緒にな”

”ああ、いいよ。その代わりその物騒なものを何とかしてくれないか?何も逃げやせんから”

”駄目だ。こっちの邪魔をした奴らの言葉なんか、おいそれと信じるわけにもゆかないんでな”


 仕方ない。

 俺はゆっくりと彼らの言うがままに雑踏の中を歩きだした。


 向こうは合計で五人、どいつもこいつも”カタギでござい”という面はしていなかった。


 連れて行かれたのは屋上だ。


 昔と違って平日のデパート、それも屋上なんてところは、人っ子一人いやしない。


 隅っこの方にゲーム機を置いた建物があるきりで、後は何もないのだ。


 五人は俺とジョージを、良く晴れた日差しの下で取り囲んだ。


 聡子夫人は一歩下がったところで、心配そうな顔をしてこっちを見ている。

『おう、あんちゃん、何の恨みがあって、俺たちの仕事アキナイの邪魔をするんだ?』


『別に、恨みなんかない。』


 俺は片手で目を覆い、空を見上げた。


『今日は暑いな』


『ごまかすな。おう?』


 ニット帽が持っていた拳銃・・・・ルガー・セキュリティ・シックスなんて珍品だ・・・・の筒先をこっちに向けた。


 ノッポ男はいつの間にかバタフライ・ナイフを取り出し、下げたサングラスの下から細い目を酷薄そうに光らせながら、両手でそいつを弄んでいる。


 他の三人はブラックジャック、チェーン、そして先の尖ったアイスピックのような武器だった。


『おい、ジョージ、どうするね?』

 俺は隣で口笛を吹いていたジョージに声をかける。


『どうって、やるしかねぇだろ?ダンナ』

 彼はハーフフィンガーの皮手袋をはめた手で、一方を拳にし、一方を平手にして音を立てた。


『いいよ。やろうか?ただし先に武器えものを出したのはそっちだというのを忘れるなよ?』


『野郎!』ニット帽がいきなり引きトリガーに手をかけたが、俺の方が奴より何分の一か早かった。


 気が付くと、ニット帽は肩を抑え、その場にうずくまり、情けない声をあげていた。


『こ、こいつ・・・・』

 まさかこんなところで拳銃を持った相手にお目にかかるとは思っていなかったんだろう。


 あの痩せたナイフ男がいきなり突っかかって来たが、それを巧みによけ、ジョージが奴の顎に一発お見舞いしながら、足払いをかけて倒していた。


 残りのブラックジャック、チェーン、アイスピックも、俺たち二人にかかっちゃ、なんてことはなかった。


 その頃になって、ようやくデパートの警備員が三人、慌ててこちらに向かって掛けてくるのが見えた。


 俺は彼らの目の前に認可証ライセンスとバッジを突き付け、

『私は探偵です。急いで警察を呼んだ方がいいですよ』と言い、空を見上げてシナモンスティックを咥えた。

 都会の青空ってのも、いいもんだ。

◇◇◇◇◇


 スリ係の私服と制服の警官、そしてやじ馬で、それまで静まり返っていた屋上は、かつての賑わいを一時的に取り戻した。


 スリ係は俺たちに先を越されたのが余程悔しかったんだろう。

”たかが探偵屋が余計な真似をしやがって”

”もうちょっとでこいつらを逮捕パクることが出来たのによ”

 などと、渋い面をしてぶつぶつ言っていたが、しかしどの途一網打尽に出来たんだ。文句はなかろうと言い返してやったら、

”後で所轄に報告書の提出をしとけ”とだけ返し、五人を数珠つなぎにして、屋上から連れ去った。


 彼らは聡子にも事情を聴きたそうにしていたが、何しろ彼女の犯行現場は現認できていないし、事実何もしていなかったのだから、仕方ないといった様子で帰っていった。


『あ、あの・・・・』


 警官たちが立ち去った後、聡子が俺たちの方を、不安そうな眼差しで見つめながら言った。


『事情は明日、お宅に伺ってお話します。ご主人も交えてね。今日はお帰りになった方がいいですよ。じゃ』


 俺はそれだけ答えると、ジョージと二人で肩を並べてその場を立ち去った。

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