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 翌朝にはどうにか気を取り直したと思しきチセは、食事もぺろりと平らげた。

 お互い昨晩のことには触れずに片付けを終え、旅支度を整える。ジークお手製の自動走行二輪車オートバイに荷物を載せ、忘れ物がないか確認してから、二人は野営場所を後にした。


 それから十分と経たないうちに、操縦桿ハンドルを握るジークの背が叩かれた。すぐさま右手で安全帽ヘルメットスイッチを押すと、風を切る音に混じって、チセの声が耳に届く。


「――ねえジーク! これからどこに行くの?」


 安全帽をかぶっているわりにはえらく声が通るな、と訝しんだジークは鏡越しに背後を一瞥し、直後に声を張り上げた。


「危ないから、走ってる時に安全帽を脱ぐな! ――古馴染の街だ、お前の仲間もいるぞ」

「うそ! ほんとに?」


 背後でチセが腰を浮かせかけた気配を感じ、たまらず叫ぶように呼び掛ける。


「本当だ、頼むからじっとしてろ! とにかく安全帽をかぶれ!」

「これかぶったら、お話できないよ?」


 そもそも、走行中に会話をしようとする行為自体が危険だ、とチセを諭さんと試みる。


「だいたい、走ってる時に話をしようと思うな! 揺れたら舌噛むし、万一こけたら事だろ!」

「わたし、治癒力だけは高いから、怪我してもすぐ治るよ?」


 ――これはだめだ、と早々に悟ったジークは、嘆息してから潔く頭を切り替え、交渉の方向に舵を切った。


「いいからかぶれ! 大人しくかぶってたら、次の休憩の時にでも、装着したまま話ができるように加工するから!」

「やったあ!」


 どうにもしてやられたような気がするのが釈然としないが、安全な走行には代えられない、と己に言い聞かせ、ジークは一路、先を急いだ。




 それから昼にほど近い時刻まで走り続け、ジークは日当たりのいい、少し開けた草地で二輪車を停めた。周囲に不審な気配がないことを確かめた後、チセに昼餉代わりの携帯食料を放り、ジークは道具箱と安全帽を持って地面に座り込んだ。


「ひーふ、ほうやっへほははひへひふほうひふるほジーク、どうやってお話できるようにするの?」

「食いながら喋ると、喉に詰まるぞ。……音声変換器マイクをつけるだけだ」

「『まいく』って、ジークが持ってるその丸い物のこと?」


 ごくりと頬の中身を呑み下したチセが、琥珀の瞳を輝かせてジークの手元を覗き込んでくる。首肯したジークは、道具箱から工具を取り出しつつ、チセに尋ねた。


「この安全帽、大きいか?」

ひょっとねちょっとね

「揺れた時に動いて、顔にぶつかったりしないか?」

ほこまへひゃないそこまでじゃない

「……じゃあ、これで大丈夫だな」


 呟いたジークは、手にした捻鋼錐ドリルで安全帽に小さな穴を三か所開ける。続いて穿った穴の内側に部品をあてがい、小型の音声変換器マイクを取り付けようとしていると、チセが慌てた様子で声を上げた。


「――待ってジーク! ねえ、わたしもやってみたい!」


 チセは食べかけの携帯食料を脇に置き、大きな双眸をきらめかせて、ジークに懸命に訴えかけてくる。

 予想外の言葉に面食らったのは一瞬で、次いで胸の裡に湧き上がったのは、躊躇だった。


(……教えて、いいのか?)


 知識を得た者は、科学技術取締官に狩られることになる。ましてチセは、すでに追われる身だ。彼女を、これ以上の危険に晒すことになってもいいのか?


 ――けれど、と己の耳元で、誰かが囁く。


 知識があれば、チセが生き延びられる確率は、上がるのではないか?

 なぜなら、お前自身がそうだったろう、と。


 チセの、真剣なまなざしを見つめる。溢れんばかりの好奇心の奥に潜んだ純粋な探求心を琥珀の瞳の中に認め、ジークは深く、息を吐いた。


(……この食いしん坊が、途中で食べる手を止めてまで、やってみたいってことだよな)


 ちらりとチセの脇に置かれた携帯食料を見遣り、観念したように苦笑を浮かべる。


「わかった。じゃあ、取り付けだけやってみるか」

「やったあ!! ジーク、ありがとう!」


 表情を綻ばせ、全身から光を放たんばかりに喜びの気配を漂わせるチセに、ジークはまず、手本を示す。


「いいか、ここに穴があるだろ。で、片方の手で音声変換器マイクとこの部品を押さえて、上から軽く螺子をねじ込む。……こんな感じでな。もう片方の手は、螺子回しドライバーを持つ。右回りに回していけば締まるし、左回りに回すと緩む。まずは右回りで締めてみな」

「わかった!」


 意気込んだチセは、ジークから螺子回しを受け取り、早速右に回し始めた。その手つきに、お、とジークは内心感嘆する。


(――螺子回しの握り方はばっちり。曲面に対してまっすぐ締めていくのは難しいのに、なかなか上手いもんだ。……よく、見てたな)


 ひそかに感心していると、眉根を寄せたチセが、不意にぴたりと手を止めた。


「……ジーク、なんか、斜めになってきちゃった。どうしたらいい?」

「ん? ああ、そういう時は一度緩めるんだ。こんな風にな」


 再び手本を示せば、チセは瞬きもせずじっとジークの手先を見つめ、なるほど、と神妙な顔で頷いた。


「途中まで戻して、もう一回締め直せばいいんだね。やってみる」

「完全にまっすぐになるまで戻せよ。……そう、上手い。いいぞ、また締めろ」


 驚いたことにチセは、完全に垂直に戻った絶妙な頃合いで、ジークの声掛けを待たずして螺子を締め始めた。その後も螺子が曲がっては緩め、再び締め直し、と時間をかけながらも、着実に完成へと近づいていく。


「――やったあ、できた! どうかな、ジーク?」


 たいそう嬉し気に顔を上げたチセから、安全帽ヘルメット螺子回しドライバーを受け取り、仕上げに軽く調整を加える。ふう、と深く息を吐き、チセ、と低い声で呼び掛けると、一転してチセは不安げに眉を下げた。


「え、なに……? もしかして、ダメだった?」

「チセ。――上出来だ! お前は抜群に筋がいい。本当に初めてか?」

「う、うん」


 わしゃわしゃと撫子色の髪を掻き混ぜるようにして頭を撫でると、わわ、とチセは驚いたような声を零した。


「それならいっそう凄いぞ。よく一回手本を見ただけで、螺子回しの持ち方から力の入れ加減まで再現できたな! おまけに螺子の傾き具合までわかるとは」

「え、だって、見たものをそのまま真似しただけだよ? 傾いてるのだって、見ればすぐわかるし……」

「それは誰にでもできることじゃない。――チセ、いっそ俺の弟子になるか?」


 半ば冗談、半ば本気で口にすると、チセは呆けたように動きを止めた。

 しまった、余計なことを言ったか、とジークが発言を撤回しようとしたその時、咲きほころぶような笑みを浮かべたチセが、はにかんだ声で囁いた。


「……褒めてくれて、すごく、嬉しい。――じゃあ今日から、ジークのこと、お師匠様って呼ぶね」

「いやそれはやめてくれ」

「どうしてですか、お師匠様?」

「背中がむずがゆくなるからだ! ほら、後は俺がやるから! 昼飯の続きも、食べるんだろ!」

「もちろん、食べるけど……。えー、なんで? かっこいいじゃん、お師匠様」

「とにかく却下だ! こっ恥ずかしい」


 不満げにむくれるチセに背を向け、ジークは引き続き音声変換器の設定作業に集中することにした。




 昼食を摂り終えた二人は、改造した安全帽をかぶり、再び自動走行二輪車オートバイに跨った。すると走り出すや否や、チセがはしゃいだ声で話しかけてくる。


『ねえ師匠! 聞こえる?』

『聞こえない』

『聞こえてるじゃん! もー、そんなに師匠って呼ばれるのが嫌なの?』

『わかっていただけたようで何よりだ』

『じゃあ、何て呼べばいいの? ほら、ジークだって、お師匠様のこと……〝じじい〟! 〝じじい〟って呼んでたよね! それならいい?』

『通信切るぞ』

『それもダメなの!? 待って! 切らないで!』


 わざと冷淡な口調で告げると、チセが本気で焦った声を出すものだから、ジークは忍び笑いを喉の奥で噛み殺した。試しにしばらく黙っていてやろうか、と意地の悪いことを考えていると、不意に、『……もう切った?』と、水のように静かな声が、耳元にぽつりと落ちた。


『昨日、起こしちゃってごめんね。――聞いてくれる? わたしと、お姉ちゃんのこと』


 先程までとはまるで違うその響きに、ジークは一瞬息を呑んだ。

 ぽつ、ぽつ、と。音もなく降り始めた雨のごとく、チセは言葉を継いでいく。


『物心ついた頃から、わたしはずっと、施設の中にいたの。……いや、いた、って言っていいのかなあ? わたし、〝能なし〟って呼ばれてたし、ずっといないものとして扱われてたから』


 じわ、と波紋のごとく、耳朶から脳に、全身に、チセの声が浸透していく。

 あまりの内容に、口を挟んでよいものなのか、チセが語るに任せて黙ったままの方がよいのか、咄嗟には判断しかねた。

 だが、かつてのチセの境遇に心を痛めると同時に、ジークの修繕師としての冷徹な眼は、チセの言に引っかかりを覚えてもいた。


(――いないものとして、扱われていた? チセたちは、労役や……〝実験〟を課されているんじゃないのか?)


『あ、もちろん労働の頭数には入れられてたし、治癒能力だけはまあまあ高かったから、たまに実験台にもされたよ? でもね、わたしはただ目がいいだけで、戦闘能力がなかったの』


 ああ、と胸を締め付けられるような苦さとともに、理解する。

 ――戦闘のためだけに創造された生物である、〝混成種〟は。

 ただ、殺傷能力のみを以って、価値があるとされてきたのだ。


『だから、人間からも、同胞からも、存在価値がない役立たずだ、って言われてたんだ。人間は元々大嫌いだったけど、それよりも、同胞の方がもっと嫌いだった。――だって、同じ種族なのに、人間みたいに、わたしのことを痛めつけてくるんだもん。馬鹿みたいでしょ?』


 一番嫌いなはずの人間と同じことして、何が楽しいんだろうね、とチセは空恐ろしいほど無邪気な声で、吐き捨てる。


 その、不自然なほどに明るい、乾いた口調が。

 あまりにも、すべてを、物語っていた。



『でもね、お姉ちゃんだけは、違ったの』



 それまでずっと、感情の揺れ一つ見せなかったチセの語りに、そのとき不意に、やわらかさが滲んだ。


『わたしが殴られてたところに、たまたま施設に来たばかりのお姉ちゃんが通りかかってね。……助けて、くれたの。そんなことをしてくれるなんて思ってもみなかったから、本当にびっくりした。どうして助けてくれたの、って聞いたら、あいつらが見苦しい真似をしていたからだ、って』


 背後にいるチセの表情を窺うことはできないが、きっと今、彼女は口元に笑みを浮かべているのだろう、と容易に想像がついた。


『お姉ちゃんはわたしと違って、すごく綺麗で、強くて。……瞳も髪も、夕陽みたいな、本当に綺麗な、あかいろで。――炎を自由に操れるお姉ちゃんは、施設の誰よりも、強かったの。でも、その力で、誰かをむやみに傷つけたりしたことは、一度もなかった。わたしを守ってくれる時や、お姉ちゃん自身が危ない時に、牽制のために力を使うだけ。……本当は、こんな力は欲しくなかった、って言ってたな。話し方はぶっきらぼうなんだけど、すごくすごく、やさしいの』


 それが、チセにとって、どれほどの救いだったか。

 聞くまでもなく、彼女の声色から、ありありと伝わってくる。


『不死鳥と鷹で、鳥の化身同士だったことがわかってから、わたしはお姉ちゃん、って呼ぶようになったの。あのとき初めて、自分が鷹の遺伝子を持っててよかった、って思えたな。――それからは何をするにも一緒で、とにかくずっと、嬉しくて。このままいつまでも、お姉ちゃんと一緒にいられたらいいな、って思ってた』


 けれど今、チセの傍らには、姉の姿はない。

 それが、何を意味しているのか。


『それなのに――お別れだ、って。お姉ちゃんは〝ひけんたい〟に選ばれたから、もう一緒にいられない、って。わたしは、そんなの嫌だって、泣いた。叫んで喚いて、……最後に、一緒に、逃げよう、って、言ったの』


 そして彼女たちは、互いを守るために、実際に行動に移したのだろう。

 その逃避行の結末を、ジークはすでに、予期していた。


『お姉ちゃんの力のおかげで、施設からどうにか逃げ出すことはできた。けど、すぐに大きな音が鳴って――いっぱい人間が出てきて、攻撃されて……でもそれも、お姉ちゃんが、追い払ってくれたの。傷だらけだったけど、逃げながら二人とも笑ってた。生まれて初めての、外だったから』


 追憶に浸るように、あるいはその先を語るための心構えをするかのように、チセは一旦間を置いた。


『それからは、大変だったけど、楽しかった。二人で森で獲物を狩ったり、変装して街に行ったり、初めてのことばっかりで。何をしても、自由で。ずっと隣に、お姉ちゃんがいて。……本当に、楽しかったなあ』


『でも、ずっとは続かなかった。気をつけてたんだけど、跡をつけられてて――わたしが、あいつらに、捕まって。……お姉ちゃんが、チセ、逃げろ、って。わたしを、……わたし、を、逃がすために。代わりに、捕まっちゃった、の』


 まるで、血を吐くような。

 己を焼き尽くすような凄絶な声音で、チセは、告白した。


『ほんとは、逃げたく、なんか、なかった……。たとえ、殺された、って、お姉ちゃんと、戦って、一緒にっ、行きたかった』


 ――なのに、『妹を守るのが姉の務めだ』と彼女の姉は決して譲らず、チセの懇願を聞き届けることはなかったのだ、と。


『お姉ちゃん、わたしのお願いは、いつだって聞いてくれたのに。……それだけは、赦してくれなかった』


 だから必ず、今度は自分が姉を救い出すのだ、と。

 揺るぎない意志を込めた声で、チセは宣言した。



『わたしは、お姉ちゃんを取り戻すためなら、何だってできる』



 凛とした響きを最後に言葉は途切れ、かすかな風切り音だけが、耳朶を静かに撫でていく。

 しばし呼吸も忘れてチセの話に聴き入っていたジークは、ふ、と一つ、長い息を吐き。


『――ま、気を詰めるのもほどほどにな、お弟子さん。……俺も頭と手くらいは貸すぜ』


 軽い口調で独り言のように呟けば、耳元の音声変換器から、ふふっ、とかすかな笑い声が返ってきた。


『――ありがとう、お師匠様』



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