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 歴史を遡ること、およそ二百年。

 かつてこの大陸には、互いに覇を唱えんとする二つの大国が存在していた。


 片や大陸東部を支配する科学技術の雄、シルヴェイン。

 片や大陸西部に君臨する生物工学の祖、ザルムネード。


 数百年の長きにわたって大戦を繰り広げていた二大国が、競うように軍事技術を発展させる過程で生まれ落ちた存在こそが、他ならぬ〝混成種コンフェリオン〟である。

 その名が示すとおり、〝混成種〟とは、人間の姿を模した複製体に、高い殺傷能力を持つ他の生物の因子を掛け合わせた、新たな生命体の総称である。

 人間と変わらぬ外見を持ちながら、その実は純然たる殺戮兵器である〝混成種〟の登場により、戦局は一気に生物工学の国ザルムネードに傾くかのように思われた。

 しかしながら、結果として、大戦は唐突な幕切れを迎える。


 ――の、滅亡をもって。


 その時何が起きたのか、史上誰一人として、真相を明らかにした者はいない。

 ある日、突如として二大国の国境付近で『大災厄ナ・ラ・ディス』が発生し、両国の領土は大半が焦土と化した。

 後世に伝わるのは、ただ、その事実だけである。


 大戦と災厄によって人口を大幅に減らした二大国は、結局和平を結ぶことはなかったものの、ようやく争いを止め、それぞれ長い年月をかけて復興を遂げていった。やがて再び統治が敷かれるようになった際、ザルムネードには、現在に至るまで影響を及ぼす、一つの国是が生まれた。


 ――二度と大戦を繰り返してはならない。ゆえに、戦に繋がりかねない技術は、発展させることを禁じる、と。


 大戦に伴う貧困と復興に疲弊しきっていた民は、諸手を挙げてこれに賛同した。しかし、それまで技術の恩恵を受けていた者たちからは、ほどなく不満が噴出した。

 曰く、今まで苦しい生活に耐え忍んできた我々に、不便な生活様式を強いるのか。我々は今こそ豊かな生活を送る権利があるはずだ、と。

 膨らむ一方の不平を扱いかねた為政者たちは、とある代案を持ちかけた。


 ――戦に繋がりかねない技術を再興させることはできない。ならば、危険な技術は国が管理し、その恩恵のみを民に還元しよう、と。


 その提案がどれほどの危うさを孕んでいるかに気付いた者は、こぞって声を上げた。しかし、これまでの豊かな暮らしを求める圧倒的な声に搔き消され、決死の訴えの数々は、存在しなかったことにされた。

 結果として人々は再び快適な生活を送ることができるようになったものの、政府が提案した技術の制限は、至る所に障壁として立ちはだかった。


 例えば、仕事道具が故障した時の替えひとつさえ、所有することは許されない。科学技術が組み込まれた物品の製造はすべて政府の統制下に置かれ、所持数が極めて厳格に定められているゆえである。


 一方、壊れた物品の修理はといえば、すべて政府の専門技官に一任され、数月、あるいは数年もの間、戻って来るのを待ち続けなければならない。おまけに修復料は法外な値であり、新たな物を購入する方がよほど話が早い。その上、壊れた物を買い替えようにも、生産数が限られているため、購入申請をしたとてすぐには手に入らないときている。


 こんなはずではなかった、と嘆く人々の意識を逸らすために、為政者たちは不満の捌け口を新たに用意した。


 ――〝大戦を激化させた悪しき存在〟であると喧伝された、生物兵器への迫害である。


 彼らが存在しなければ、あの未曽有の大災厄は発生しなかったはずだ。

 大災厄さえ起こらなければ、我々は今も、何不自由のない生活を送れていたに違いない。

 数多の人間を殺めた、罪深い第Ⅰ種混成種を――大戦終末期に造られた、最も危険な殺戮兵器どもを――逃がしてはならない。狩り尽くせ。

 人間の中に紛れて息を潜めている獣を、一匹残らず炙り出せ。


 声高に主張する為政者の思惑に、恐ろしいほどあっさりと、人々は従った。

 人間とは似て非なる怪物として、〝混成種マザリモノ〟という呼び名を与えられた彼らの生き残りは、大半が殺されるか、あるいは施設に収容されて苦役を課されている。


 ――その、数少ない例外たる少女が、今、ジークの目の前に立っている。


 人間と一目で区別がつくように、第Ⅰ種を除いて、〝混成種〟は鮮やかな髪色をしている。無論、いくら染めようと、その色が褪せることはない。

 チセが、〝猫〟――政府の技術取締官を恐れるのは、当然だった。国是に仇なす者を狩り、〝混成種〟を生き物とも思わない彼らが、管理下に置かれていない〝混成種〟をどのような目に遭わせるかは、想像に難くないからだ。


「……わたしは、鷹の化身。どうして追われていたか、これでわかったでしょう?」


 頭巾をかぶり直したチセが、昏い瞳で嗤う。口の端に浮かぶのは、あまりにも年齢に似つかわしくない、ひどく乾いた笑みだった。


「さっきは助けてくれてありがとう。……じゃあ、わたしは行かなくちゃ」


 そう言って今度こそ身を翻したチセの背に、ジークは静かに呼びかけた。


「――――待て」


 訝しげに顔だけ振り返ったチセに、ジークは自身の首を示し、淡々と指摘する。


「お前の首に付いてるそいつのせいで、あいつらから逃げられないんじゃないのか?」


 琥珀の瞳がわずかに見開かれ、チセの表情が固まる。どうやら図星らしい、と見て取ったジークは、駄目押しをするように続けた。


「その忌々しい首輪が外れるかはわからんが、無力化するくらいなら何とかなるぞ。これ以上あいつらと追いかけっこを続けたくないなら、もう少しだけ俺に付き合ってみないか?」


 言葉の真意を図るように目を細めたチセは、ややあってから、半信半疑の風情で小さく頷いた。その反応に内心胸を撫で下ろしつつ、ジークはチセに付いて来るように告げ、森の奥へと靴先を向けた。




「よし、着いたぞ」


 夜の森に分け入ること、十五分。ジークが足を止めたのは、一見何の変哲もない、地面の上だった。

 いったいここに何があるのか、と訝しんで周囲を見回すチセに、「わかるか?」と問い掛け、ジークは落葉が彩る大地にどさりと座り込む。首を傾げて眉根を寄せたチセに答えを示すように、ジークは降り積もった黄色い葉を掻き分けた。

 あ、と小さな声が上がる。どうやらチセの視界にも、小さな操作桿ハンドルが映ったらしい。

 操作桿ハンドルを何度か回すと、チセの足元近くで、隠し扉の上げ蓋がわずかに地面を押し上げた。頭巾の鍔を傾け、おそるおそる奥を覗き込もうとしている脇にジークが腰を下ろすと、チセはびくりと横に飛び退いた。構わずハッチを上げると、警戒より好奇心が勝ったのか、チセはそろそろと身を乗り出してくる。


 重い蓋の下には、からくり仕掛けの二重扉が潜んでいる。銃弾すら通さない強度を誇る扉は、熟練の技術を用いて、複雑な手順を踏んでいかねば決して開かない。

 骨の髄まで沁み込んだ動きを、半ば自動的に手がさらっていく。間もなく開錠の音とともに扉が口を開け、入るぞ、と隣のチセに呼び掛ければ、彼女は我に返ったように、慌てて何度も頷いた。


 蓋を閉めて長い梯子を下り、先に終点に辿り着いたジークが灯りを点ける。ほどなく追いついてきたチセは、明るくなった室内を見渡し、目を輝かせた。


「……すごい」


 壁一面に広がる棚に、乱雑に詰め込まれた書物と、床にまで溢れた設計図の束。

 部屋の面積の大半を占める、作りかけの機械類と、ある種の不思議な秩序をもってあちこちに散らばる、種々様々な道具と部品。

 何よりも目を惹くのは、室内の中央に主よろしく陣取っている、いかにも使い込まれた風合いの、巨大な作業机だった。


 申し訳程度に備えつけられた調理場と寝台が、隅に追いやられて肩身を狭そうにしているのが何とも象徴的な、お世辞にも片付いているとは言い難い空間である。


 肌に馴染んだ機械油の匂いが漂う部屋の奥から、どこからともなく椅子を二脚引っ張り出してきたジークは、チセに座るように促した。

 まだ物珍しそうに室内を見回すチセに、自身も椅子に腰かけたジークは、早速だが、と告げて、ずいと身を乗り出す。


「肩、診てもいいか?」


 チセが不思議そうに頷いたのを確認してから、ぼろぼろの衣をたくし上げ、肩の傷を検分する。幸いなことにすでに出血は止まっており、案じていたほど深手ではなさそうだった。

 消毒だけで済みそうだな、とひそかに安堵したジークは、腰に提げた道具袋から消毒液の小瓶と綿を取り出し、綿にたっぷりと液を含ませる。


「悪いな、ちょっと滲みるぞ。けど、これで雑菌は追っ払えるからな」


 一言警告をしてから消毒綿を傷口に当てると、チセはわずかに顔をしかめた。ついでに手早く他の箇所も消毒を終え、薄い綿布ガーゼを貼り付けて治療の終わりを告げると、チセはほっとしたように息を吐いた。


「よく頑張ったな。――で、ここからが本題だ。ちょっくらこいつを見せてくれ」


 チセの細い首を一周している鈍色の金属環を軽く爪で弾き、ジークは目を眇めた。用途はおそらく、施設に収容された混成種の脱走防止だろう。

 悪趣味極まりないな、と内心で毒づきながら、指で慎重に首輪の感触を確かめていく。……継ぎ目は中央に一つだけで、想定していたよりも厚みはない。だが、幅のわりには、重量がそこそこあるようだ。

 続いて指を内側に滑らせる。肌に触れている側なので、体温が移って温まっているかと思いきや、ひんやりと冷たい。試しに指を金属環に擦りつけ、すぐさま鼻先まで持っていくと、かすかに甘い匂いがした。


「なるほどな。……チセ、何とかなりそうだぞ」

「……え?」


 興味深げにジークの様子を観察していたチセが、面食らったように目を瞬かせる。今までの動作にいったい何の意味があったのか、と問い掛けてくるまなざしを背に、ジークはある物を探しに作業机付近へと向かった。


「確か、まだあったはずなんだよな。……えーと、この辺か……っしゃ!」


 発掘作業を終え、意気揚々と引き上げてきたジークが握っていたのは、銀色の砂のようなものが入った硝子の小瓶と、謎の黒い環状の物体だった。途端にチセの表情が曇ったのを見て取り、ジークは安心させるように告げた。


「これは首輪を無効化するための道具だ。悪いが、あと少しだけ我慢してくれ」

「……本当、に?」


 信じられない、という面持ちで呟くチセに、にかっと笑いかけて。


「ああ、任せとけ」


 ジークはまず、小瓶の蓋を開けた。

 指先に付着させた銀色の砂をほんの少し首輪に擦りつけると、ほどなくその部分だけ黒く色が変わった。予想が的中したことに笑みを深めつつ、小瓶を黒い環状の物体に持ち替える。


「……それ、なに?」


 ばり、べり、と音を響かせながらジークが環状の物体を伸ばしていると、大人しく口を噤んでいたチセが、堪えきれなくなったように問うてきた。


「ん、これか? これは磁気接着帯テープだ。簡単に言えば、首に巻かれているそいつが、お前の居場所をあいつらに知らせるのを邪魔するための物だな」


 答えつつ、首輪を一周するのに必要な長さをざっと目測する。一旦はこれくらいでいいだろう、と結論付けてから、腰の道具入れから出した鋏で接着帯テープを断ち切った。


「そんなこと、できるの? どうやって?」

「その首輪は、おそらく炭鋼石とドラファイトからできてる。ドラファイトはザルコン……この接着帯に入っている成分に反応すると、電気を通さなくなるんだ。つまり、お前の居場所をあいつらに伝える電波を封じられるってわけだな。じゃあ、巻くぞ」


 言うが早いか、首とのわずかな隙間を縫うようにして、磁気接着帯テープを首輪に巻きつけ始める。チセはじっと動きを止めたまま、目線だけでジークの作業を窺おうとしつつ、さらに尋ねてきた。


「なんで、首輪が『たんこうせき』と、ええと、どら、何とか? で作られてるってわかったの?」

「最初に持った時に、厚みのわりに重かった。もう一つの手がかりは、温度だな。お前の首に触れてたはずなのに、肌に触れていた部分も冷たいままだった。炭鋼石は他の鉱物より比較的重いし、熱を通しにくい性質があるから、だいたいそれで当たりはついた。で、ドラファイトは匂いでわかる。金属はだいたい錆みたいな独特の匂いがするんだが、ドラファイトだけは、加工すると熟れた木の実みたいな甘い匂いがほのかに香るんだ。この首輪からは、その独特な匂いがした。最後に、銀砂を擦りつけた時に黒く変色したから、炭鋼石もそれで確定」


 視線は指先に固定したまま口だけ動かし、淡々と接着帯テープを巻き続ける。どうやらチセは、かなり好奇心が旺盛らしい、と頭の片隅に記していると。


「――すごいね! 魔法使いみたい!」


 声を上げたチセが、突然こちらに身を乗り出してきた。


「おい! 動くな、接着帯テープに隙間ができるだろ!」


 慌ててジークが手を止め、顔を上げると。


 ――瞳を輝かせ、興奮した面持ちのチセと、目が合った。


 出逢ってから初めて見せてくれた、チセの年相応の無邪気な表情に、それ以上何も言えなくなる。


「さっき、地面に埋まってた扉を開けてた時も、まるで魔法を使ってるみたいで、びっくりしたけど――ジーク、すごいね!」


 チセは無意識だろうが、今、初めてジークの名を呼んだ。

 もちろん、それだけをもって、心を開いてくれたと思えるほど、単純ではないけれど。


「そりゃどうも。……お嬢さん、あと少しだけ、大人しくしておいてくれよ」


 嬉しい、と感じなかったと言えば、嘘になるだろう。




 それから十五分ほどかけて接着帯テープを巻き終えると、ようやく自由になったチセは、室内を指差しては、あれは何だ、これは何だとジークを質問攻めにしようとした。

 両手をかざし、身振りでチセをなだめたジークは、その前に、と口を開いた。ジークの語調が改まったことに気付いたのか、チセはすっと背筋を伸ばし、真剣な面持ちに変わった。


「これでお前さんの居場所は、敵には伝わらなくなったはずだ。だが、奴らも馬鹿じゃないから、居場所が途切れた地点に、遅かれ早かれやってくるだろう。この意味はわかるか?」

「……ここに、あの人たちが、やってくるの?」


 ややあってから答えたチセの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。しまった、不安にさせたか、とジークが言葉を続けようとするのを遮り、チセは掠れ声で囁いた。


「ごめん、なさい。……わたし、逃げなくちゃって、必死で。何も、考えてなくて。――ジークまで、巻き込んじゃって、ごめんなさい」


 小さな身体を震わせて。罪悪感に苛まれ、力なく項垂れて。


「ごめんなさい。……本当に、ごめんなさい」


 彼女には全く非がないにもかかわらず、迷惑をかけて申し訳ないと、繰り返し謝罪の言葉を口にするものだから。


 心臓を、裏側からひと突きされたように、胸が痛んだ。


「違う、チセは何も悪くない。――俺が言いたかったのは、なるべく早くここを離れる必要があるってことと、チセが、これからどこに行きたいのかってことだ」

「……わたしが、どこに行きたいか?」


 潤んだ琥珀色の瞳が、さざめく水面のように揺れる。それよりジークは、となおもこちらを案じる彼女に、ジークは苦笑とともに返した。


「実は、俺もそろそろ旅に出ようと思ってたんだ。……嘘じゃないぞ。今日、仕事先で、探し人からの言付けを見つけてな」

「だれか、探してる人が、いるの?」

「ああ。――俺の、師匠だ。ここしばらく、行方不明になっててな」


 ジークの脳裏には、ラザロの館の時計台に残されていた暗号が、くっきりと浮かび上がっていた。


 ――儂を探すな。お前も逃げろ。


 あまりにも剣呑な伝言を、師はいったいいつから、時計台に残していたのだろうか。

 師が突然姿をくらましたのは、二月ほど前のことである。しかし時計台の暗号は、埃の積もり具合から察するに、数月前から存在していたと考えられる。

 すなわち師は、消息を絶つ以前から、すでに身に危険が迫っていることに気付いていたに違いない。


(でも、どうして俺には、何も言わなかったんだ?)


 束の間の回想に浸っていたジークの意識を引き戻したのは、チセのか細い声だった。


「ジークも、誰かと、はぐれちゃったの?」

「そうだな。だから、探しに行こうと思ってる。……ジークもってことは、チセも誰かを探してるのか?」

「うん。――お姉ちゃんを、探してるの」


 姉の存在を口にした瞬間、弱々しかったチセの表情に覇気が戻り、琥珀の瞳に光が宿る。混成種に姉妹という概念は存在するのだろうか、という疑問がちらと頭を掠めたものの、それはさして重要なことではないな、とジークは無言で続きを促した。


「だから、わたしは。……お姉ちゃんを、迎えに行きたい」


 強い決意に満ちた、チセのその言葉に。


「じゃあ、決まりだな」


 表情をやわらげたジークは、撫子色の髪を、くしゃりと掻き混ぜた。


「俺はじじいを、チセは姉貴を。――世界中を回ってでも、見つけてやろうぜ」


 目を丸くしていたチセは、今度こそ、ぽろりと一粒だけ、瞳から星を零して。


「……うん!」


 満面の笑みで、大きく頷いた。


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