第6話:君を看病したいと願う

 楓は放課後、本来呼び出す予定だった公園にいた。何をしていたかというと、何もしていなかった。


 土橋くんの家……


 どこにあるのかというのは中田から聞いていたものの、どうも向かう気になれなかったのだ。土橋くんが嫌いなのではない。むしろ逆である。


 急に押しかけていいのだろうか……


 そう、彼女は迷っていたのだ。もう既に手にはお粥の素とかリンゴとか色々買っていたものの、いざ家に行く勇気がなかった。


 それでも、ここでずっと過ごすわけにもいかない。楓はそう思いつつもブランコに揺れていた。どうしよう……と呟いていた。


 よーし、まずはイメージトレーニングをしよう。


 楓は訳の分からない練習を始めた。勿論注釈しておくが彼女はアスリートではない。


 まずピンポンを鳴らすでしょ!?

 家族の誰かが「はーい」って答えるでしょ!?

 それから……「クラスメイトの内山楓ですけど?」

 いやいや誰のって言わないと!! もしかしたら土橋くんにも兄弟姉妹がいるかもしれないし。

 だとしたら……「赤葉くんのクラスメイトですけど?」

 赤葉くんって!!!!! そんな下の名前を呼んじゃうなんて!!!! もうこんなの!!!!!

 添い遂げるしかない……

 それで、それで……土橋くん……いや、赤葉くんの部屋に入って……

 りんごをおいしそうに頬張ってくれて……

 おかゆを食べさせてあげて……

 こんなのもう、結婚するしかない……


 老後まで完全にシミレーションした後で、楓ははっと我に返った。イメージトレーニングしようと思ったら妄想トレーニングをしてしまっていたのだ。


 何故あんな無駄な時間を……


 楓は後悔と自責の念に駆られた。恥ずかしい妄想に落ち込んだのではない。病床で苦しんでいるであろう土橋くんのことを思うと、こんな所でぐだぐだと考えを巡らせている自分が急にバカらしく思えたのだ。


 そうだ!土橋くんは今も何かしらの病気で大変な目に遭っているのだから、このリンゴを届けることこそ今の使命なのだ。楓のお粥を彼は待っているのだ。


 実際は全く持って待っていないが。


 そう思って太腿をバンバンと二回叩いた。ばっとブランコから降りて立ち上がったら、膝の裏にブランコの椅子が激突して痛かった。暫くそれで悶えていたものの、立ち上がってからは真っ直ぐ前を見て歩き始めていた。


 楓は土橋が隣の市に住んでいることは知っていたものの、具体的な場所はよく知らなかった。思っていたより高校に近くて驚いた。電車なら一駅、自転車の方が早く着くくらいの、丁度いい距離だった。


 Googleマップに従ってたどり着いたその家は、表札が土橋ではなかった。しかしその周りに、土橋と書かれた家は見当たらない。


 え!?!?!?!?!?


 楓はパニックになった。住所はあっていたが、名前が違っていたのだ。しかもとても庭が広い、大豪邸って感じの佇まいだった。楓の住んでいる3LDKのマンションとは、それこそ比べ物用がないほど広かった。


 庭には木が生い茂り、一面の芝生に……小さな池もあった。造りは和風で、木造建築の味がむんむんと醸し出されていた。2階もあるし、蔵のような建物もあった。もしかして、おばあちゃんの家とか?


 楓は我ながら冴えているだと思った。それなら表札の名字が『濱元』になっていても大した問題ではないと。しかしながらその表札には続きがあった。


 どう見てもWordの行書体で書かれたその下の名前に、赤葉という文字は見当たらなかった。やはり、別の家の前に来てしまったのだろうか。そんな疑念が楓の中でわいてきた頃、通行人の1人が楓に気が付いた。


「あれ、内山さん?」


 それはダルダルのTシャツに短パンを履いた土橋だった。手には楓と同じくスーパーの袋を手に持っていた。いつも以上に髪の毛がボサボサだった。うわあ!! 貴重なオフショットだあ!!


 いや違う違う!! そうじゃなくて、本来寝込んでいるはずの彼が、どうして外に出ているのだ? マスクもしていないし、顔色も良さそうだ。


「土橋……くん?」


「どうしたの? うちに用事? あっ、もしかしてプリントとか持たされてる?」


 この時楓には、土橋くん不良説が浮上していた。学校をズル休みしているのではないかと、そして他校の知らない人と絡んでいるのではと……楓は首を横に振りつつ訝しげな視線を送った。


 無論それに土橋が気付くわけもない。


「そっか、んじゃ俺の家ここだから」


 そう言って鍵を開けようとする土橋。ここで楓は、めちゃくちゃテンパリながらも声に出して呼び止めた。


「あのさ!! …………体調、どうなの?」


 土橋は特に何か隠す態度も見せずに振り向いた。


「んー、あんまり。熱下がらないし」


「熱あるの!?」


「そうそう。後身体が怠い感じがしてて」


「うん、うん」


「インフルっぽい症状でさ」


「インフル!?!?」


 え? おかしいよ!! もしもインフルだってなら、なんで今マスクしてないの??ってか出歩いたらダメじゃん!! もしかして、ご両親がいない??


「外出て、いいの?」


「俺のこと?」


 他に誰がいるというのだ。


「うーん、いいんじゃね?」


 なんて軽い返事なんだ!!


「ご両親の方々は……面倒……見てくれたり……」


 土橋は少し唇を噛んで、すぐいつもの無表情な顔に戻った。


「家にいなくてな……俺しか世話できる奴が居ないんだよ……」


 やはりそうなのか……まずいことを聞いてしまったなと思い、楓は反省した。しかしここで、数ヶ月に1回あるかないかのとてつもない勇気を振り絞って声を出した。


「…………土橋くん、私が面倒見る…………」


 何よりもかわいそうになってしまった。自分自身しんどいのに買い出しをして、誰にも見てもらえないままだなんて、例え目の前に好きでもなんでもない人が居たとしても同情してしまう。況や好きな人。


 打算でも策略でもない。楓は助けたいと思ったのだ。


「ほら、色々買ってきてるし」


「申し訳ないな。他の人に頼むなんて」


「全然!! そんな、苦しんでいる人を見過ごせない!!」


 楓の言葉が胸に響いたのか、土橋はつい笑ってしまった。そして微笑みを浮かべたまま、あの人全く同じ言葉を呟いた。


「内山さんは、優しい人だ」


 そして楓は確信した。そうだ。この笑顔だ。恋に落ちた瞬間は、この爽やから笑顔を見たからだ。誰にも代えがたい、特別な笑い顔。


 大好き……いつか伝えるその言葉を、楓は胸の中で何度もリピートしていた。


「それじゃあ、お言葉に甘えて。ご飯は俺が作るから、運んでくれたら嬉しい」


「え!?!?」


「いや、調理器具とか場所わかってないだろうし、料理作る側はしんどいだろ?」


「いやそういうことじゃなくて……大丈夫だよ!! 私に全部任せて、土橋くんは休んでてよ」


「流石に申し訳ないから! そんな知らない人に看病させるなんて」


「知らないことはないよ、クラスメイトなんだから」


「いやでもそんな……」


 ガチャリ、鍵が空いた。ガチャリ、ドアノブを回した。


 玄関から入ってすぐのリビング、その大きなソファに寝転がる人物がいた。額には熱さまシートのようなものが貼られていて、服はピンク色の寝巻きだった。近くのテーブルにはポカリスエットが置かれており、羽毛布団と毛布をかけて寝転んでいた。


「あいつの世話全部させんのはきついだろ?」


 え?? あいつ?? 土橋の指は寝転がっている女の子の方に向いていた。どういうことだ?? 楓の脳裏に嫌な選択肢が一つ浮かんだ。そしてその悪い予感だけ察知したかのように、土橋は補足を付け足した。


「担任の先生言ってなかったのか? 今日は同居している従姉妹の体調が芳しくなく看病するので休みますって、ちゃんと言ったのに……」

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