拾漆――一寸の虫にも五分の魂

「は、はらい者……?」


 姫の頭は未だ目の前で何が起きたのか分かり切っていない。

 さっきとは明らかに雰囲気が違う少年、その先で腕に見た事の無いような傷を抱えて呻いている変態。それと、少しだけ焦げ臭かった。

 目の前の少年がやったことは明らか。でもその正体が矢張り未だに分からない。

「おのれ……長良の血を隠していたな? 、コイツのピンチを引き金トリガーにしたんだ……クソ!」

 小さな声でそのような事を言ってる。何の事?

 やがて真っ黒な火傷が如くの傷を負った腕を抱えながら彼は笑い出した。

「ふふ……こんな事、お姫様の手前だから本当はいけないのだけれどねェ」

「……」

「取り敢えず和樹くん。端的に言うとね、君はちょっとばかり……厄介なのだよ」

 突き出した右手で指を鳴らす。――途端に景色はモノクロームに変色した。

 影響を受けていないのは魔術師の他にお姫様。彼の死ぬ所を見せてもっと怖がらせてやろうという算段なのだろう。本当に腹の立つ。

「即座に黙らせてやろう!」

 その瞬間黒い炎を腕にたぎらせ、こちらに突っ込んでくる。

「……! はらい者!!」

 しかし――。


 バチイ!


 また凄まじい音を立てて相手が弾かれた。真逆の一振り”のみ”である。

 ――時間は。時間はどうした。

 魔術師の頭からは混乱しか生まれない。何故って、自分が干渉しているのは世界の絶対的ルールであって、唯の人間に破れるものではない。この場合の唯の人間とは能力を持たない一般人とかいう意味ではない。

 ――だというのに。

 この少年に他の誰とも違う何かを感じた。腹の底が冷える。

 現状敵わないと悟ったらしい黒魔術師がこちらを向いたまま慌てて後退を始めた。そこに無言で少年が突入していく。

 走りながら、親指を噛んだ。

 振るった手の先から紅の飛沫が空に弧を描く。


 激突。


 先程の彼からは想像の出来ぬような立ち回り。黒魔術師が大変戦いにくそうに顔を歪めている。

 何合も重ねた。

 少年が横を向く瞬間その瞳が紅の線を夜闇に残し、ハッと息を呑む。

「グ……しつこい!!」

 更に傷を沢山作った魔術師が眉間にえぐい量の皺を寄せて、地面に拳を叩き込む。直後、向こうの方で大人達を監禁したあの黒炎と地割れが直線上に伸び、和樹に襲いかかった。

「はらい者!! 逃げて!!」

 しかし彼はそれを紅い瞳で見つめるだけ。

 恐怖で足でもすくんだか?

 否、今の彼にそんなはずはなかった。

 質量の暴力さえ、彼の術の前では無意味。

 鬼道により瞬時に生成された魔法陣は黒魔術に打ち勝った。

「……!!」

 驚愕と久々の焦りとで、言葉が出ない。

 その間にも彼は魔法陣を払って果敢に立ち向かっていく。

「人間相手にこんな事!」

 大量の爆発が彼に向かって飛んでいく。その隙間狭間を全て読み切って数秒後、彼は魔術師の目の前で鬼道を手に宿していた。

 いつの間に。

 紅に輝くその瞳だけ、獣のようにグロテスク。


、はらい者団の団長をしている」


「覚えておけ、この腐れ外道が」


 それは彼の口から確かに音として男に伝わった。


「グ!!」

 至近距離でいつかの黒々とした閃光が爆ぜる。しかし首を少し曲げただけで避けられた。衝撃は星々煌めく夜空に吸い込まれていく。

 相対して彼の手に、どこかで見た赤い光の網が輝いた。

【天網】

 慌てて地面を蹴ろうとした足を掬われる。

【縛!】

 ひっくり返って制御の利かない体に駄目押しで魔法陣を重ねてやった。

 ここまでくるともう彼は抵抗が出来ない。魔術も時間の支配も心の掌握さえ全てが妨害される。

 まるで彼にばかり特化したようなものではないか。

 今ばかりは、今ばかりは目の前の少年が物凄く恐ろしかった。

 ――そうとも。この展開には覚えがある。

 山草と長良の初代であり、全てのはらい者の原初、山草千吉。

 彼の事だ、彼にやられたのだ。

 その昔はまだまだ未熟ながら自らが背負った「使命」なるものに燃えていた時期があった。今は燃えていないという訳ではないけれど、今よりかは確かに心は燃えていた。老いはいけないなぁとかどこかで思いつつ。

 その当時は世に溢れてやまなかった大量の怨霊共が良い道具になると思っていた。当時邪魔で邪魔で仕方のなかった男を排除するにはとても相性の良いものだと。

 しかし気付いた時には怨霊は全て祓われ、逆に相手に新たな発想を与えていた。――二つの術の完成の瞬間。

 一敗地に塗れた。

 それは永い永いこの人生最初にして最大の敗北。自分が未熟だっただけではない、奴は完璧すぎた。攻撃が一つも当たらず、防御も瞬時に破壊される。二つのチカラを自在に使い分け、どちらにも彼の実力が最大限に発揮される。

 本当に本当に怖かった。

 それが今目の前で再現されかけようとしている。

 嫌でも動悸が激しくなった。

 とても滑らかな動作で肩掛け鞄から札が取り出される。

 紅い瞳がこちらの額をふっと見た。

 走りつつ、魔法陣をこちらに引き寄せて跳躍。

 額に狂いなく狙いが定められた。


 しかし。だがしかしだ。


 その瞬間。ほんの一刹那。

 彼と千吉との致命的な相違点がそこで露になる。


 振りかぶった札の軌道が彼の額を捉える事はなかった。

 気付けば魔法陣は破られ奴の姿はそこに無い。

 直後、瞬間的な移動によって背中に激突した衝撃が彼の体を地面に突き倒した。

「キャア!」

 間髪入れずに腕を背中に回させ、陰で拘束。念の為、同時に傷口も塞いでおいた。これで長良の鬼道が猛威を振るう事は叶わない。

「ぬかりましたね、貴方の体ではまだ山草と長良の術を使い分ける事は難しいようだ」

 こちらを激しく睨むその頭を屈折した足の膝で踏みつける。

「知っていますか、山草と長良のチカラをわざわざ初代が分けた理由。二つ同時に持ち、使いこなす為には相当の体力と技術を使うからでもあるんですよ」

 喋りながら細く長い、冷たい五指を喉に滑らせる。

「大きな力は確かに貴方を助け強大な敵を討ち滅ぼす為の手段にもなりましょうが、如何せん扱いが難しい。全くのド素人がとある競技において突然チームのエースになることはないように、貴方のこのチカラだって突然使いこなせるようになるわけではない。ある程度の経験が必要だ」

「……」

「どこの馬の骨か知りませんけれども……憑依するタイミングを完全に間違えましたね。もっと早くなければ」

「……」

「さて。出た芽は摘んでおかないと」

 一転、確実な勝利の予兆を胸の奥で感じ取った。ほくそ笑みをせずにはどうしてもいられない。小鼻が膨らむ。

 こいつがいなくなればお姫様を守護する者などいなくなる。本当に今度こそ私のものになる。

 気は興奮によって急いていた。しかし慎重に。

 油断してこれ以上酷い目に遭う事の無いようにしなければ。

 迅速に、かつ確実に。

 指先に力を込める。

「や、止めて!! もう止めてお願い!!」

 ――しかして首にかけたその指が甘やかな声によって妨害された。

 だが彼には寧ろ心地の良い妨害やもしれぬ。

 にやけた瞳が瞬間声の主を振り返った。

「……!」

 ハッとなった姫の顔に直ぐ様恐怖が浮かぶ。だがもう遅い。

「分かりました、お姫様のお願いですから殺しだけは止めておきましょう」

 体を押さえつける足はそのままであるものの、首にかけていた手をまるで人質がするみたいに肩の辺りに掲げた。

「その代わり貴女様とこいつら全員の命とを交換ですよ、分かっていますね?」

 和樹の首に腕を回して無理矢理立ち上がらせ、歩かせる。そのままお姫様の目の前に二人の男が立った。

「ほら、もう言わずとも分かっているでしょう? さ、手を取って」

 もう今度こそ本当に、彼女を守る人物は居ない。

 瞳が彷徨う。

「駄目だ、お姫様! 早く逃げて!」

「黙りなさい――最早ここに逃げ場なんて存在しない。だってここは自分で作った檻だもの、ねぇ? お姫様」

「聞いちゃ駄目だ、君の用心棒達の気持ちを考えてやれお姫様!」

「これこそ聞かなくったって良いんですよお姫様。お勉強嫌いでしたよね」

 空を暫く見つめていた目、その下方で小さな手が震えながら持ち上がる。

「お姫様!!」

「良い子ですね」

「惑わされるな! ――ガハッ」

「いい加減黙らないか」

「ゲホ、ゲホゲホ!」

「ほら、黙っていればこんなに可愛らしい少年だというのに」

 首が絞められ力なく咳を飛ばした彼の想いとは裏腹に彼女の手は奴の広い手の中にとうとう収まった。

 涙の滲む目でそれを視認して息を呑む。

「ハア、ハア……お姫、様……!」

「うふふ、良い子ですね。帰ったらシャワーでも浴びましょう」

「駄目だ、駄目駄目お姫様!」

「さえずるな! ――取り敢えずお前は一緒に来い、奴らがいつ取り返しに来るか分かりませんし、貴方の処分がまだでしたからねェ!」

 奴がご機嫌に言う中、お姫様はずっと下を呆然と見つめている。ぽつぽつと呟いて何とか呼吸を抑えようとしている。

「緊張しますか?」

「……」

「まあ当然ですよね。でも大丈夫、おいで。百聞は一見に如かず。物は試し。来てみたら予想以上に楽しいんだから!」

 ――このままじゃ!

 慌てて藻掻くが体が抜けない。

 やばい!!

「さあ、行きましょうか」

 にこやかに笑みながら姫の手をぐいと引いた。


 ――いや、正しくは、か。


 姫は動こうとしなかった。

 下を向いてぽつぽつ、たどたどしいが呟いている。

「汝、時を巡る、運命の、輪。我と其方の主従の下、時を巻き戻し、給え」

 手も声もかたかたと震えていた。おまじないか、諺か。判別は難しい。

「不安なの……?」

 ふとしゃがんだ執着が彼女の耳元に優しく囁く。

「……!」

 その顔を上げ、黒い蛇の瞳を凝視した。

 口がぱくぱくいっている。

「そんなの私が絡め取ってあげるのに」

 掴んだ手ごと体をぐいと引き寄せ、背中に腕を回した。

 顔が、至近距離に。

「ヤッ……!!」

 つっかえ棒が如く胸に手を突き立て、今度は早口に叫んだ。






【汝時を巡る運命の輪よ! 我と其方の主従のもと、時を巻き戻し給え!】






 ――その瞬間だった。

 お姫様の突き立てた手の下にアメジスト色に輝く時計のような幾重にも重なる魔法陣が姿を現した。

 皆で驚いたように息を呑む。お姫様でさえ驚いていた。

「何……!?」

 そのチカラの強い事は言うまでもない。

 突如奴をきっと睨んだ姫が手を振れば、その体は意志とは関係なしに――強いて言うならば世界の法則に則って――歩き出す。

 彼女は今、死神の総大将の家系にしか伝わっていない術を使っている。今までまともに使う事も出来なかった姫だったが、今は何故だか使う事ができた。

 即ち、特定人物や特定事物の時間の支配。それ相応の魔力は消費するものの、止めるも速めるも、勿論戻す事だって彼女の自由である。この異空間下であれば尚更。

 そのまま男の体は先程辿った自身の運命を逆戻りして、長良の魔法陣に縛られたその「時」まで戻された。こうやって時間を遡った対象は例外を除き、元の時間に戻るまでまた同じ行動を繰り返さねばならない。これが彼女の家に伝わる術最大の強み。世界の法則という絶対的影響力が背後に居る。

 陰の拘束からも奴の腕からも解放されてよろめいている和樹の元に駆け寄り、手を取った。

「ご無事ですか?」

「ああ、大丈夫。ありがとう」

 不意に手を握り返された姫が顔をほんのりと染めた。

 実は先程からずっと思っていたのだが、強さの中に潜む妙に大人っぽい微笑に何だかどきどきする。

 これを何と説明すれば正しいのか。

「それよりも、早くしないと、アレ」

「あ……あ、そうね」

 背後で蝋人形のように固まっている奴の姿にノイズが混じってきた。

 彼のレパートリーにも時間を操る術は存在する。

 いくら長良の鬼道で彼の攻撃一切を封じているとはいえ、運命の通りに行けばもう少しで鬼道の威力が弱まる。

 その瞬間に奴が例の術を捻じ込んで来れば何が起きるか分からない。

「逃げましょう!」

 黙って頷いた。

 二人走って、彼女に引かれるように飛翔。真っ直ぐ仲間達の元へと飛んでいった。


 背後で直後、彼があるべき運命のみちから離脱する。


 * * *


「シュウ! キョウ! 待ってて、今助けるから!!」

「姫様!?」

 一番に反応したのは勿論剣俠鬼。炎の壁の裏側からあの小さき姫の声がする。絶望的な状況下、それだけで信じられないような気分でもあったし、同時にとてもほっとした。

 しかしどうやって?

 思っている内に解は提示された。

 目の前の炎の壁が見る見るうちに弱まっていき、地割れも元の状態に戻っていく。

「黄泉様の術!」

 瞬時に悟った。

「皆早く抜け出して! これ、とっても疲れるの!」

 一瞬何が起こったか分からなかった者達も次々と範囲外へと抜けていく。次彼女が力を抜いた時にはそこには先程彼らを囲っていた高い炎の壁があった。

 剣俠鬼は感動した。現状が大変な事に変わりはないがそんなものは最早どうでも良い。

 姫様が! 術を、術を!!

「姫様!!」

 彼女が力を抜いた瞬間神速で飛び込み、力いっぱい抱きしめた。

「そんなに難しく扱いづらい術を……ようお出来になりました! キョウは感涙もので御座います!」

「キョウ……痛いよ」

「あ、ああああ、ああ! あああ相すみませぬ姫様!」

 傍では和樹の周りに仲間達が集まる。

「和樹! 無事だったのね!」

「うん、ありがとう」

「コイツ妙に大人しいな」

 トッカは何かもやくやしたらしく大人びた和樹のほっぺを両側に強く引っ張る。

「イタイイタイ……」

 やっぱりそれ以上が無かったので関節技をかけ始めた。

 ふとナナシが気付く。

「なるほど」

「なーにがなるほどなんだよ」

「イチャイイチャイ……」

「ほら、瞳を見てごらん」

 一同がハッと息を呑む。

「鬼道!」

「ああ、ようやくだ……!」

「なるほど、コレの影響だったのか。道理でつまんねぇ奴だなと思ったよ」

「まあそれは確かにね、ボクも思う。もっとはしゃげやおら」

「はしゃげおら。生きて帰ってきたって事はそれで撤退させたってことなんだろ? もっとはしゃげやおら」

「ああもう、痛い痛い! まだ終わってないって! そっちがはしゃぐなおら!」

「いっ、いてぇいてぇ! お前いつの間に卍固め覚えたんだよ!!」

 ぎゃあぎゃあ騒がしいその場にふと影が近付く。それは何だか乱暴な和樹の肩に手を置く。

「和樹」

 応じ振り返った少年は嬉しそうに目を輝かせた。

 その紅に心臓が止まりそうになる。

西!」

 くったりしている河童を放ってその手を握った。

「ありがとう、和樹を守ってくれたんだよね」

「……」

 分かりやすく混乱する瞳に目の前の少年は気付かない。

「アンタみたいな世話焼きならそうしてくれるって信じてた」

「お、俺は」

「これからも使い魔として一番近くで見守ってやって」

「……」

 もう顔全体が歪まずにはいられない。

 一番近くて一番遠い所に居る彼女の存在に手を伸ばそうとして、どうせ届かないと矛盾する力が押さえつけてくる。

 口づけさえ、してやれなかった。

 仕える身である故に一番愛していた事実を伝えることすら許されず、彼女は気付かないまま自分の傍で恋をし、やがて愛し合った。これまた一番近しい、男子の中では一番信頼していた相手と。

 逐一報告するな、相談を持ち掛けてくるな。何度思っただろう。

 嫉妬の感情よりかは無力感にさいなまれたその日常が吐き気のように胸の奥からせり上がって来る。

 彼女は未だ信じたままだ。自分は親戚の、結婚や恋愛をまず考えない前提で付き合う兄ちゃん位の存在であると。

 この体を時々ふつふつ沸かせてくる病毒のような恋を愛を知らぬまま、信頼ばかりをこの身に非常識的距離でくっつけてくる。

 一歩間違えれば柔肌を乱暴に扱いそうになるこの狂おしい感情を何も何も。

「狭化西? どうしたの?」

 君だ。

 その目が出来るのは、その優しさは君しかいない。

 君しか――。


 瞬間。


 何かに気付いた剣俠鬼とフウが前面に魔法陣を展開して物凄い衝撃を弾いた。その一撃だけで大きなひびが入っている。

 もう何度ぶつかったか知れないのに疲れて弱まるどころか更に強力になっている。

 恐ろしい。おぞましい。


「もう手加減などしない。お姫様をこちらに渡せ!!」


 体の大部分を陰で硬質化した執着が目をかっ開き怒り心頭で叫んだ。

「誰が渡すもんか!」

 ナナシも負けじと血の混じる勢いで叫んだ。

「こっちの対黒魔術陰陽師はらい者がようやく整ったんだ、これ以上お前の好きにはさせないよ!」


「さあ、和樹。一陽来復といこう、夜明けが来るんだ!」


 ナナシの水色の耳飾りが煌めく。

 月を背に浮く因縁を黒真珠の瞳で睨みながら、黒魔術の準備を始めた。


「うん」


 和樹の血液に力がほとばしる。


(つづく)

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