捌――ケ・セラ・セラの家

「夜も近いって事だね! さ、帰ろ――」


 そしてその台詞の尻尾はふと聞こえた息継ぎに阻まれた。


 皆の視線がその後に続いて聞こえた清らかな声に向けられる。


 歌。

 金花が、歌った。

 空の上の、雲の上の。

「彼」の孤独を想う歌。


「……『テルーの唄』」


 知られた映画の挿入歌の名前をれいれいさんがぽつりと呟いた。


 静かな、美しい声は田んぼの間を通り抜け、疲れた人々の心にしみわたる。――それは俺らだって例外じゃない。


 彼女がその曲を選んだ真意とは何だろう。

 きっとあの大きな鳥の「誰も知らない心理」に思いを馳せている。

 それが本当なのかどうかは考えても分からないけど、何だか知らないその奥に込められた優しさにこれ以上何も言うことは出来なかった。

 傍に居る誰かをいたわり慈しむ。それだけできっと俺ら、十分だ。


 やがて一番が終わった所で胸の辺りで手を祈るように組む。

 拍手をしようと思ったところで――異変が起きた。


 彼女が淡く金色に発光して、伴い、金色の靄のようなものがプールから漏れ出て来たのだ。


「……!」

「これって……!」

「彼女の歌のチカラ……」

 そうやって驚いている間にも俺らの周りを円状に囲うように同じ金色の靄が立ち昇り始め、思わず金花の周りに張り付くように集った。

「何が起こっているんだ……」

 それでも金花は気付かずに歌い続ける。その目尻に涙の雫を浮かべながら、周りの異変には目を向けない。

 目を閉じて、ひたすらにひたすらに。

 思いを寄せるようにしとやかに歌う。

 じきに靄は冗談のレベルを遥かに凌ぐ量で俺らの周りを覆い始める。まるで今日の昼にフウさん達が池の周りを覆ったあの霧の様だ。

「ちょ、これ、ヤバい……?」

「止めた方が良いかな、れいれいさん?」

「――や、止めるな」

 そう言って向こうを指差す。

 その先に一瞬見えたのは――


 誰かの足……?


「あれって……!」

「ああ、お出ましだ」

 れいれいさんがニヤリと笑んだ。

 ――、その時が来たんだ。

「ア!! どうしよう!!」

 と、二番を歌い終えた途端頭を抱えてパニックを起こす金花。

「どうしよう、歌っちゃった! 今向こう側に足が見えた……食べられちゃう、殺されちゃう!!」

「いや、構うな、歌い続けて!」

 れいれいさんが肩を抱いて真正面から向き合った。

「もしもの時は俺らが守るから」

「……」

 またその頬に紅がほわりと浮かんだ。

 そのきょとんとした顔に興奮したようにれいれいさんが言う。


「鍵は! 金花!」


 悩みを持つ妖が辿り着く、異空間。

 何もしないでそこに辿り着ける訳がない。

 考えれば当たり前の事だった。


 金花が語りかければ来てくれるんだ。


 安心したようにふと笑った金花。

 そのまま三番を歌い始めた。

 そしてサビに差し掛かると同時に――靄が一気に開け、その向こう側に今まで存在しなかった大きなお屋敷が現れた。

 その前に一人の男性と儚げな印象の大人な女性が立っている。


「ようこそ、金花。君のことを待っていたよ」


 歌が終わった直後、拍手をしながら出迎えてくれたその男性は彼女を温かく出迎えてくれた。


 * * *


 いつの間に実が付いたのか黄金の稲穂が揺れる田んぼに囲まれてその大きなお屋敷は立っている。

 広い庭で沢山の座敷童達が遊び、そこは賑わいを見せていた。

 縁側に置いてあるラジカセからは調子よく『ケ・セラ・セラ』が流れている。

「改めてようこそ。私は長良たける

 岳さんは天然パーマに眼鏡の優しそうなお兄さん。

 れいれいさんよりは若そうに見えるけど、それでもそんなにガッツリ若いってわけでもなさそう。

「こっちの彼女は『水神』だ。水を司る神様だよ」

「よろしくね」

 水色のまとまった髪が後ろに流れ、額の辺りに光る円いオパールとそこから両側に流れていく天女の羽衣のようなベールが美しい。

 着物も水色で統一され、目元も水色が入っていて本当に綺麗。

 女の子は抱きしめただけで壊れちゃいそうだけど、この神様は触っただけで消えちゃいそう。

「岳さん、だな。よろしく。――すまん、水神は視えなくて」

「いえいえ、それは仕方のない事です。それより金花を連れて来て下さってありがとうございました、。あちらからの働きかけが無いとこちらは干渉できないので……あの時お声をかけて頂いて助かりました」

 ハッとした表情を見せるれいれいさん。

「どこでその名を……」

「長良家の人間、ですから」

「……、……俺をどこまで知ってる?」

「残念ながら小沢怜の名前止まりです。名前が分かるだけですのでご心配なく。貴方のにまで介入しようとは思っていません」

 捉えどころのない笑顔にれいれいさんは不安を隠せない様子だった。

 あれだろうか、情報とか顧客のプライベートとかそういうのだろうか。

「それで、そちらは……ああ、和樹と、黒耀、ですね」

「凄い!」

「ふふ、照れますね」

 はにかんで頬を掻いた人差し指が紅の線を描く。

 ――鬼道だ。

「知ってますか? 和樹。貴方のお母さんは私の妹なんですよ」

「え、そうなんですか」

「ええ、二人兄妹。私は若い時にこちらに越してしまったので余り会ってはいませんでしたが……元気そうで何より何より」

 そのまま愛しそうに柔らかく抱き締めてきた。

 わ、わぁ……。何か不思議な気分。

「和樹はね、本当に小ちゃな頃は私の腕の半分位しか無かったんですよ? それがまぁ、ほら。こんなに巨大になって」

「言い方」

 黒耀がくすりと笑う。つられて他の人達も笑った。

 その穏やかな空気の中、何だか居ても立っても居られなくなって思わず聞いてみる。

「あ、あの、岳さん」

「ん?」

「母さんはどんな人ですか」

「叶歌のこと? あれは乱暴ですよ」

 眉をひそめてポツリ。

 え。

「乱暴?」

「ええ、乱暴です。毎日必ず一、二個はかすり傷を作って、気弱であるのを良いことに幼馴染を連れまわして森で迷子になってギャン泣き。更には食人鬼を捕まえて自分の部下に無理矢理してしまった事もありました。勝手に幼馴染の札に自分で模様を書いて契約をし出すんですからアイツには困ったものです。私達は長良であって山草では無いのに……。幼馴染のその子には本当に迷惑をかけました」

 眉間に手を当ててやれやれと言った様子の岳さん。

 ――良かった、そっちか。

「でもね、その幼馴染が貴方のお父さんですよ。貴方の性格はお父さん譲りで心底安心しました」

 そう言って頭をすりすり撫でてくる。

 思わず顔が熱くなった。

「さて。それでは早速始めましょうか。どうぞこちらへ」

 彼を筆頭に小さいけど何だか威厳のある門を潜る。

「で、これから何するんですか?」

 黒耀が興味津々に聞いた。

「かくれんぼです」

 岳さんは笑顔で返した。

「え?」

「かくれんぼです」

「りぴーと、あふたあみぃ」


「か、く、れ、ん、ぼ!」


 何か生き生きしてる。


 * * *


「まずはアイスブレイク。凍りきった心を溶かして仲間に馴染む為の活動を言いますが……ここではかくれんぼと致しましょう」

「ほうほう」

「れいれいさん、アイスブレイクって大人の社会でもよくやったりするんですか?」

「ん。高校生辺りからかな、大っぴらにやり出すのは」

「へー!」

 何だろう、不思議とわくわくしてくる。

「それではまずジャンケン! 勝った人が鬼!」

「「最っ初はグー、じゃんけんぽん!」」

「ア! れいれいさんが鬼!」

「鬼!!」

「鬼だ!!」

「え、俺が鬼で良いのか? 俺、高性能アイ持ってるんだがなぁ」

「きゃー!」

「きゃー!!」

「よぉし、それならすごおくつまらないかくれんぼにしてやるぅ」

「わー!!」

「隠れろー!!」

「それじゃあ私がタイムキーパーやりますね」

「……それはちょっとずるくないか?」

「鬼道でズルしてるって前子ども達に怒られたんですよ」

 した事あったのか?

「さてさて準備は良いですか。隠れる時間は全部で百秒。その際のルールは二つ。百秒越えたらそこから動かない事。そして門の外へは出ない事。制限時間は一時間です。それまでに半分以上見つけられたら鬼の勝ち、見つけられなければ子ども達の勝ち」

「人数は」

「ざっと百数十……」

「鬼だな」

 楽しそうに腕を振り回した。

「あ、あの、私はどうすれば良い?」

 金花が控えめに手を上げて聞いてくる。

「それはご心配なく。――水神よろしく」

「はい」

 水神がいつかのれいれいさんみたいに手を金花に差し伸べ、そこに手が置かれた瞬間彼女をプールから引き出した。

「きゃっ!」

 ――と、その瞬間彼女の体の下半身、魚の部分に流線型が如くの水を纏わせる。

「どう?」

「え、あれ、凄い! 水の中に居るみたい!」

 ありがとう! とはしゃいで水神にぴょーんと飛びつく金花。やっぱ可愛い。

「それじゃあ、これから百数えますよー」


「よーい」


 ――、――。


「ほい、和樹のすけも発見ナリー」

「や、マジで早過ぎでしょ」

 始まってまだ三分も経ってないのに何十人という人(座敷童達を含めている)を広い敷地の中次々見つけていくれいれいさん。

「どうだ、れいれいスペシャル『すごおくつまらないかくれんぼ』は」

 そう言ってがっはっはと笑った。直後こっそり逃げようとする黒耀の学ランの裾をむんずと掴む。

「逃げんな逃げんな、反則だぞ。大人しく捕まり給え」

「ボッ、ボクはナナシだ!! ルール全然聞いてなかったもん!!」

「残念、お前だと説得力が無いんだよその台詞。ナナシから黒耀へは記憶の共有がされなくても黒耀からナナシへはされてるんだろ?」

「ううううー!!」

「テメェ、何時間俺と一緒に居ると思ってんだ」

 犬の様に唸るナナシがふてくされて黒耀と交換している間に三人の座敷童達を草むらの中から引っ張り出した。

「集団で隠れちゃったらお終いだぜ。次からは皆でばらばらに逃げるんだな」

「ううううう」

 各地で犬が大量発生している。

 天井板をこじ開けては十人見つけ、梁を箒で突くと四人降って来る。

 もうこれ以上は対抗できないと踏んで逃げ出した座敷童の一人をガチのアスリート走法で追いかけるれいれいさん。

 いや、鬼。鬼。鬼が鬼。(伝わりづらい)

「凄い、まだ二十分経ってないのに……」

 怒涛の快進撃にちょっと困ってる岳さん。

「さあて、後は誰だー!!」

「この人絶対ズルしてるー!」

「情報屋なめんなっての! 高性能アイっつってんだろぉ? だはは!!」

 超ご機嫌だ。世界一鬼にしちゃいけない人だ。

「後は金花一匹だけみたいです」

「ほぅ?」

 目にゆらゆらと燃える炎が見える気がする。

 怖い怖い、逃げて金花!!

 しんと静まり返る一帯。――誰だ、謎の緊迫感溢れる風を一迅吹かせたのは!

 目がきょろりきょろりとくまなく違和感を探す。

 ――しかし。


「あれ、居ないな」


 直後、ぽかんとした様子でれいれいさんは一言そう呟いた。


「え、居ない……?」

「ああ……どこにも居ない」









「だって、俺が気配消してやってるもんな?」


「な? 

 怜の呆然とした言葉を聞きつつは先程の彼が如くご機嫌に笑う。

 その腕にはしっかりと。喉元には短剣の鋭い刃が当てられている。――少しでも動けばその喉を掻っ切られるに違いない。

「アハハハ、最期の時間はどうだった? 楽しかったかい?」

 過呼吸に陥った彼女の胸元をしっかりと抱きすくめた鬼は楽しそうに言うがその声はあちらに伝わらない。

 鷲の瞳がじろじろと彼女の様子を眺めまわした。

「真逆俺との密会の為に隠れててくれたの?」

「――ッ、違ッ!!」

 甘ったるい言い方でそう言った鬼に反論しようとした途端首筋がチクリと痛む。

 妖特有の青い血が一筋、垂れた。

「それ以上命を短くしたくなければ喋るな」

 これ見よがしに彼女の血が付いた刃を見せつける。

 巧妙に彼女の心を恐怖で黒く染め上げていった。

 やがて怖くて怖くて息さえ上手く吸えなくなった金花に鬼は満足げにニヤリと一笑。

「良い子良い子。良い子は大事にしてあげる」

 ひっそりと耳元に囁いた。

 助けを呼びたかった。しかしこいつ、容赦がない。

 自分の命が絶えるか、――矢張り自分の命が絶えるかだ。

 選択肢が気付かぬうちに絞られていた事に改めて気付いては絶望する。

「おやおや、水神サン特製の術まで使っちゃって。これは余程楽しいひと時だっただろうね」

 そうやってクククと笑いながら彼はいとも簡単に水神の術を片手で破った。

 途端に体の自由がきかなくなる。

「……!」

 先程の過呼吸も相まってどんどん生きづらくなる。

 もう限界は近かった。


「サ、苦しみも悲しみも置いて俺と一緒に旅に出よう」


 急に鬼の口を突いて出た優しい言葉が彼女の背筋を撫でた。

 地面にゆっくりと横たえて、馬乗りになり左手で彼女の口を押える。

 もう一方の手の中では短剣が青白い炎に包まれて見る見るうちに巨大な戦斧へと姿を変えていった。

 彼の格好も人間らしいその姿から焦げ茶の着流しへと変わってゆく。

 右目辺りを隠す前髪等の主な特徴は変わらないものの、その顔面の上半分を新たに覆った鉄仮面、その仮面に着いた忍者のそれのような頭頂部から後方を覆う黒い布には見覚えがあった。

 これを見かけたら取り敢えず逃げておけというのがあの世の暗黙の了解として存在する。


 ――死神だ。


 冷酷に、そして狡猾に命を奪いにやって来る最悪の存在。

 一度目を付けられれば逃げられない。

 それに目を付けられていた。

 頭がくらくらした。


「サヨナラ金花」


 向こうはどうなっている? 気になるがそちらを向くことが出来ない。


「来世は俺と仲良くしよう」


 戦斧が振り上げられた。

 太陽光が反射してぎらりと光る。


 その恐ろしい光景に血の気が一気に引いた。


 そして――。


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る