第一話 座敷童の影

壱――立石神社の朝

 * * *

 暗い森の中、そこには四人の人影。

 真っ暗闇でも人数が把握できていたのには一つ、明らかな理由があった。

 目の前で二人の人物によって宝玉の存在。――それが放つ青白い光が周囲を照らしていたのだ。

 この宝玉が照らしているのは何も俺ら四人だけではない。この世界の生きとし生ける者達の命も、幸せも、日常も照らしている。

 いわばこの世界自体を保つ宝玉。


 これが壊されてしまえば世界が……。


 俺はその「運命」を変えるためにここまで必死に走ってきた。

 そしてなんとか彼らが宝玉を破壊する前にここにたどり着き、今に至る。

 だけど……。

『そうはいきませんよ』

 俺を羽交い絞めにする「こいつ」が厄介。

 彼らを止めようと足を前に出した瞬間体が後ろに引き戻され、気付いたらこれだ。

 非常にまずい。

 手を伸ばしてもぎりぎり届かない。その強い力に阻まれて身動きも取れない。

 もがくたびに背後から垂れている印象的な黒毛の長い三つ編みが愉快そうに揺れた。それと同時にのどの辺りで押し殺したような笑いも息に混じって聞こえた。

「何が目的だ! このままだと世界が壊れちまうかもしれないんだぞ!」

『良いじゃないですか』

「な……」

『優しい優しい貴方は王が直々にもてなして差し上げなくては。楽しみですね』

「まさか……お前が……!」

『くくく、私が主催の新世界にようこそ』

「――っ! このっ!!」

 必死に身をよじらせよじらせ、奴の額に札をお見舞いしてや――


 ――ろうとしたが、動きを制限された中で上手くいくはずもなく。

 予想通りそいつは難なくよけて、代わりに俺の胴に巻き付けている右腕を胸元まですべらせた。後ろからずしりと体重が被さり、完全に身動きが取れなくなる。

 やばい。

 目を見開く。冷や汗が額を走る。

『甘いんですよ、何もかも』

「……!」

 奴の右手が俺の胸――心臓付近を確かにとらえた。

『平和の中に埋もれて、人々は絶望の味を忘れてしまった――もちろん、貴方も例外ではない』

「だッ、だから何だよ!」

『苦しみが生物の進化を促すんですよ。忘れたんですか?』

「だから何だっつってんだよ!」

 喉の奥から絞り出す絶叫にも似たそれを静かに聞いて、そいつは耳元に口先を当てた。


『鈍いお人だ』


 瞬間、黒い炎が奴の右手からあがる。それと同時に心臓に激痛が走った。

「ギャアアアアア!!」

『今一度あなた方は絶望の味を思い出す必要があると思うんですよねェ』

 興奮の混じった楽しそうな声に脳が冷たくなるような感じがした。

 熱くはないんだが、とにかく息が苦しい。胸が痛い!

 苦しみに身をよじらせている俺を面白そうに見ながら、一言囁く。

 不安定な湿った息遣いさえリアルに感じ取った。

 何とも言えぬ黒い感覚が脳と肝を冷やす。

『どうせなら世界が終わる記念に――』


『私と貴方、お友達になりましょう』

「い、やだ! いやだいやだ――!」


 そうこうしている間に目の前の景色にどんどん絶望の色がにじみ始めた。

 二人の内一人が思いきり腕を振り上げて今にもそれを壊そうとしている。


「あ、ああ、あ……!」

『サア、やっちまえ!』

「やめろ……やめるんだ……」


 ぐおお。


「やめろ! !!」

 そう叫ぶのと同時にガラスが割れる音がして――。


 世界は――。


 * * *

「――わああああああ!!」

 慌てて跳ね起きるとそこにあったのは暗い森でもなく恐ろしい敵でもなく、だだっ広い部屋と豊かな自然。

 時々ぴよぴよ、小鳥の鳴く声がする。

 ――ゆ、夢か……。

 ほっと胸をなでおろしながら、さっきの悪夢の内容を思い出す。

 ――俺じゃ、ない?

 誰だろう。俺は「誰の体」で「俺」を追いかけていたんだろう。

 確かに俺が見ていたのは「俺以外の誰かの視界」。俺じゃない誰かの視界を借りて「俺」を追っていたんだもの、間違いない。

 それにしても。

 奇妙な夢だ……違う誰かが俺の悪行(?)を止める夢。しかもここの所毎日こればかり。パターンは毎回微妙に違えど、さすがに見飽きた。もうウンザリ。

 じいちゃんもばあちゃんもそんな年でホラー映画とか見るからだ、とケタケタ笑うけど、余りにリアルすぎる気もしてちょっぴり怖い。

 心当たりをふと探ってみる。

 ――もしかして俺呪われてる?

 ふとそう思った瞬間、背後に何か気配を感じた気がして考えるのをやめた。ついでに後ろを振り返るのもやめた。


 立石神社の朝が始まる。


 俺の名前は「山草和樹」。代々立石神社の神主をやってる家の子ども。今はじいちゃんばあちゃんと俺の三人暮らし。

 ん? 神主の子どもってことは何か特別なチカラとか使えるんでしょって? 冒頭にそれっぽいこと書いてあったって??

 ……特に二番目の質問は何が何だか分からないけど、家にそんな魔法みたいな能力は無いよ。モチロン、俺も例外なく普通。頑張ってひねり出すなら霊感があったりなかったりするぐらい? しかも神主の家のくせに大体の人に霊感が「ない」。

「おはよう、じいちゃん」

「おう! 体調はどうだ」

「まあまあってところかな」

「じゃあニラと長ネギと生姜にマヨネーズ、さらにはチーズとオクラと、とろろをのっけた『じいちゃんスペシャル納豆』でも食うか?」

「やっぱすっごく元気」

「うーん、残念」

 残念がらないでほしい。

 ただでさえ料理が下手なじいちゃん。

 劇物を食わされる前にそっと離れる。

「おはよう、ばあちゃん」

「おはよう和樹。よく眠れた?」

「まあね」

「そりゃ良いことだね。それじゃあいつもの通り天狗様におまんじゅうお供えしてきてくれるかい?」

「中身は?」

「つぶあん」

「だめだよ。こしあんが良いって言ってた」

「……そういうのは早く言うもんだよ。今日はこれで我慢してもらいなさい」

「はーい」

「それじゃあ天狗様によろしく言っといておくれ」

「分かってるよ。任せといて」

 ほかほかのおまんじゅうを二つお皿に乗せて、柔らかい湯気を顔に浴びる。

 甘い香り。俺もも好きなばあちゃんのそぼくなおまんじゅう。

 ほろほろほぐれる生地にたっぷりのあんこ。割った瞬間が一番おいしい。

 あ、もうよだれが。

「これっちゃ! それは天狗様へのお供え物だからね。和樹が食べるんじゃないよ」

「わ、分かってるって」

 これ以上顔を突き合わせているとぼろが出てしまいそうで、慌ててお社の方に走っていく。

『ここ数日に渡って通り魔が多発しています……』

 ラジオのニュースに相変わらず物騒だなとか思いつつ、はやる気持ちを抑えて靴を履く。

 風がそよそよと吹く丘の上に建つそのお社は俺の大好きな場所。

 今日も眼下に見える町を吹く風が心地よい。

 奥に見える小さな建物――そこに彼はいる。

「あ! 和樹おはよう!」

「夢丸! 待たせてごめん!!」

「良いのさ! さ、早く一緒に食べよう!」

 高い鼻、くりくりの目、赤みがかったかわいらしい丸いほお。神様らしい大げさな白い豊かな髪。

 目の前にいるのはこの神社、そして門田町の守り神。天狗様こと夢丸。


 俺にはこいつが視えている。


「今日は?」

「つぶあん」

「えー、こしあんが良いって言ったじゃん!」

「ごめん、それこそマジごめん! 言うの忘れてたんだよ」

「そういうとこあるよねー、和樹って。……ま、どのあんでも好きだから良いけどね」

「ううう、俺は夢丸のそういうとこが好きだよ」

「褒めても何も出ないよ」

「あ、ばれた?」

「ふふ、ばればれ」

「完璧な演技だと思ったんだけど」

「ははは、仕方ない子だ、全く。それじゃあ僕のをひとちぎり与えてしんぜよう」

「ははーっ! かたじけのうござる!!」

 ――とまあこんな調子で天狗と普通に会話している俺の霊感は言ってしまえば少し異常だ。

 強すぎるのだ。

 この世に何人いるか分からない霊感の持ち主の中でも特にずば抜けている。幽霊は生きている人同然に視えちゃうし、普通は視えない妖怪や神様の姿だって何のぼやけも狂いも穴もなく、ばっちり視える。心霊写真なんか賑やかな集合写真にしか見えない。ホラー映画はたまに映り込んでいる妖怪や神様達の変顔に気を取られて集中できない。今となってはそっちの方が目的だったりする。

 このチカラがどういう経緯で備わって、俺にだけ現れたのかとかそういうのは一切不明。でもおかげでこういう風に視えざる者達とおしゃべりできているわけだし、なんだかんだで楽しいし、堂々とおまんじゅうは食えるし。

 そんなに困っていない。

「そういえばさ、和樹」

 おまんじゅうを食べようとした矢先、ふと何か思い出したらしい夢丸がすっとんきょうな声を出した。

「んむむぐ?」

「……何だって?」

 ごくん。

「何?」

「ああ、えっと、最近何か連れてきた?」

「へ?」

「ほら、あそこ」

「……へ?」

 指さす先はぼうぼうの草っぱら。そこから何やら……。

 ガサガサガサガサ。

「あれ、何? 和樹の友達? ペット?」

「え、知らない」

「……」

「……」


「「えええええ、どなたああぁぁぁぁああ!?」」


「そそそ、そういえば俺最近悪夢ばっか見るんだよね!」

「え、ちょ、待って怖い怖い怖い!」

「正夢かな?」

「それ以上言わないで!!」

 ガサガサガサ!!

「「ひいいいいいいっ!」」

 ひしと抱き合いながらわんわん叫ぶ。残念ながら他の人からは一人でぴゃんぴゃん叫ぶ狂人にしか見えていない。

「ねえ」

「何?」

「……見に行ってみる?」

「オウ……夢丸氏……アナタ勇気アルネ」

「何故外国人」

 ぎりぎりのおふざけでその場をしのぎつつ、ぴったり抱き合いつつ、草っぱらににじりにじりと寄っていく。

「良い? せーので見よう」

「え、お先にどうぞ」

「なんでだよ!! それを言うなら和樹がお先にどうぞー!」

「えええ嫌だよ!」

 ガサッ!

「「……!」」

 また草が揺れた。先程より動きが微かなんだけど、それでも俺達を結束させるには十分すぎた。

「覚悟を決めよう」

「そうだね」

「この町の守り神として」

「この神社の神主の息子として」

 互いに頷き合った。

「いくよ」

「うん」


「「せーの!!」」

 ガササッ!


 ……。

 ……ん?


 緑のぬらっとした肌に背中に甲羅、横向いた顔に付いているくちばし、そして頭に皿。

 何かミイラ化してるけど……知ってるぞ、これ。

「「河童……?」」

「……」

「……」

「「ん?」」

 こ、これは……。

「――さ、さぁあて突然の展開がいきなりぶっこまれた訳ですが! 解説の夢丸さん、これはどういう状況なんでしょうかっ!」

「えぇ、ぐふん。これは河童の干物がぶっ倒れていらっしゃる場面でしょうなぁ。アレだと思います、お決まりの『迷ってたらここに辿り着いちゃった』の応用場面と考えて良いかと」

「それはつまり?」

「作者が強制遭遇イベントの一環として僕らにこいつへ恩を売らせようとしている事でしょうねぇ」

「ナルホド。そうしたら俺はこの干物をどうすれば良いのでしょうか」


 * * *


「ほれ、森――じゃなかった。池にお帰り」

 取り敢えず河童の干物は近所の公園の池に捨て――帰しておいた。


『古来よりああいうのに関わるとろくな事が起きない』

『取り敢えずどっかそこら辺の池に捨てておこう』


 夢丸様がそう仰っておいでだ。


(つづく)

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