第27話 初めてのXXX
これまでの勇士にとって土日とは、どうしても持て余してしまう何をしたらいいのかわからない休日だったが、今週に限ってはだいぶ忙しい2日となった。
今日は日曜日、麻央の誕生日パーティーの翌日だった。
空は鮮やかな青色で塗り潰されていて、雲一つない。真夏日だそうだ。
勇士は待ち合わせ場所の公園のベンチで時計を見上げる。
午前10時30分。待ち合わせ時間は11時だったので大分早い。
ただワクワクして早く着いてしまったわけではなく、休みの日でも自然に早起きができてしまう勇士は、11時近くになるまで家の中で過ごすのが苦痛だったのだ。
それに、別に公園で1人何をするでもなくボーっとするのは嫌いじゃなかった。
前世ではこんな風に意識を緩める時間なんてそうそう無かったからなと、そう勇士が胸の内で独り言ちていた時だった。
「勇士く~~~んっ!!」
公園の入り口から自分の名前を呼ぶ声がして、勇士はそちらに顔を向ける。
そこから小走りで駆け寄ってくるのは、サラサラと揺れる金色の髪に豊満な胸を上下に跳ねさせる光景があまりにも特徴的で、公園で遊ぶ他の父子の目線を釘付けにするクラリスであった。
「ごめんなさい、お待たせしましたかっ!? それでもまだ待ち合わせには早いハズですが……」
「いや、いいんだ。俺が勝手に早く来ていただけだから」
なんだかやり取りがデートの待ち合わせのテンプレートぽくって、勇士は自分で言っていて違和感を覚えてしまうが、しかしクラリスはそんなシチュエーションも大歓迎といった様子でニヘニヘと口元を緩めていた。
「それじゃあ勇士くん、行きましょうかっ!」
クラリスはそう言うと左手を差し伸べてきた。
勇士は素直にその手を取っ「違う違う、逆の手ですよ?」差し伸べられた手を掴もうとしたら何故か引っ込められてしまった。
大人しく逆の手――右手を差し出すと、今度はニッコリと笑って、勇士の手を掴んで立ち上がらせてくれる。
そして、それからそのまま手を離すことなく歩き始める。
満足気なクラリスの表情を見て、どうやら手を繋ぎたかったらしいと勇士はようやく悟った。
ちょっと恥ずかしいんだけど……まあ一応デートらしいし、しょうがないか。
以前の相談室の『両親へのご挨拶』だの『結納』だのといった1件を全部却下した代わりに無理やりに取り付けられた約束だったが、約束は約束だ。
今日はクラリスの心ゆくまで楽しんでもらって明日からはまたいつも通りの日常を始めようと、そう思いつつ勇士が大人しくクラリスの横に並んで歩いていると、
「えいっ♡」
と、クラリスが急に勇士の腕にしがみついてくる。
組むといっても当然身長は勇士よりクラリスの方が高いので、若干持ち上げられる形なのだが。
クラリス側へと身体を引き寄せられて、その豊満な胸の谷間に腕が沈んでいく柔らかさを長袖のシャツ越しに感じる勇士だったが、しかし同時に「痛っ……!」顔をしかめてしまう。
「あっ、ごめんなさい、勇士くん。強く引っ張り過ぎたでしょうか……?」
「いや、ごめん。こないだ腕をぶつけちゃってて痣になってるんだ……。手なら繋ぐからさ、今日はそれで勘弁してくれ」
「……はいっ! 私は手を繋げるだけでも充分に嬉しいですっ!」
そうして再び横並びに手を繋いだ2人は公園から歩き出ると、駅の方面へと向かうのだった。
―――――――――――――
「ここ、この世界に来てから一度でいいから行ってみたかったんですぅっ!!」
勇士とクラリスは、電車を乗り継いで原宿までやってきて、何やら行列のできているパンケーキのお店の前で並んでいた。
メニューにあるパンケーキを見てみたが、どれもクリーム多めで大分胸焼けしそうである。
「どうしたんです? そんな眉間にシワを寄せてメニューの写真を見ちゃって。レイシアの時は私と同じで甘いものが大好きだったはずですけど、もしかして勇士くんになってから苦手になってしまったとかですか?」
「いや、そんなことはないんだけど……これクリーム載りすぎじゃない? 」
「えぇっ!? やだなぁ勇士くん。それがいいんじゃないですかっ! 女の子たるもの、一度は目の前に山のようにそびえる甘い物をお腹いっぱいに食べたいという欲望があるはずですよ! 今の勇士くんはともかく、前のレイシアの時はどうでした? そうは思いませんでしたか?」
「う~ん……当時は甘味なんて貴重だったし、考えたこともなかったなぁ……。あ、でも王国軍拠点内の食堂で食後に付くプリンは美味しかったなぁ……」
「あの砂糖の使用量を限界まで絞ったタマゴプリンですか……ほとんどタマゴ本来の甘味のみで私には物足りなかったですね、あれは……。なんというか、そう言われてみれば素朴なレイシアらしい好みでもありますね」
クラリスはそう言うと、今度はニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべて続ける。
「でも、今に見ててくださいね。きっと勇士くんの好みは変わっちゃいますから!」
「へぇ……。でも俺は甘ければいいなんて単純な思考はしてないぞ?」
自信たっぷりに言い切られた言葉に、勇士は不敵な笑みで返す。
ここが有名なパンケーキ屋だろうがなんだろうが、突き詰めれば出てくるのはスイーツに違いはないのだ。
昨日麻央の家でケーキをご馳走になっていることもあって、初めて入るパンケーキ屋に多少ワクワクする気持ちはあれども、それほど甘い物に飢えているわけではなかった。
今日はクラリスが奢ってくれるということでもちろん美味しくいただこうとは考えているけれど、好みが変わるとまではさすがにいかないだろう。
「まあまあ、楽しみにしていてくださいよ」
クラリスがふんわりと微笑み勇士にそう返すのと同時、店員がお次の2名様どうぞーという声がして、勇士たちは席に案内された。
―――――――――――――
「うぇぇぇえぇえぇぇっ!?!?」
そのパンケーキが運ばれてくるなり、勇士は思わず叫んでしまった。
正直、勇士も覚悟はしていたのだ。
何故ならクラリスの注文が「この幸せスフレパンケーキのアイス全部載せ生クリーム超増量マカデミア超増量メープルシロップ増量チョコソース追加フルーツ全トッピング〇○○×××△△△~~~」と特大魔術の高速詠唱並みに速かったのだから。
でも……まさかこれほどとは。
周りの目が一瞬勇士たちの席へと向いて、やはり「すご~~~いっ!!」という注目を集めていたが、しかし勇士も目の前の余りの光景に、そんな周りの様子を気にしている余裕など無かった。
「こ、こっこっこっ……これっ! 全部食べるのかぁっ!?」
「はいっ! ♡」
声を引き攣らせながらの勇士の問いに、しかしクラリスは満面の笑みを崩さない。
「こ、こんなにっ!」
「はいっ!! ♡♡」
「ドゥォーーーンっ! って!!」
「はいっ!!! ♡♡♡」
勇士がバっと腕を広げて目の前に鎮座するその生クリームの巨塔を強調するも、クラリスはいっそう嬉しさに相好を崩すのみ。
いや、それは巨塔なんて言う生易しいものではなかった。
パンケーキってなんだっけ? と問いたいほど上いっぱいに積まれた生クリームは椅子に座る2人の顔の高さにまで到達しており、そのあちこちからフルーツやらクッキーやらが飛び出ていて、その姿はさながら砲台。
加えて皿の縁ギリギリまでを使って盛りつけられた赤・緑・黄色・白のアイスクリームは四方八方どちらに皿を向けても絶えず2人の姿を捉えて離さない、まるでこの生クリームの建物から排出された巡視船ではないか!
そう、それは言うなれば真白の皿という名の海に浮かんだ空母。
まさに『スイーツ航空母艦』とでも呼ぶべき代物だったのだ!!
度肝を抜かれた勇士は開いた口が塞がらない様子だが、しかし向かいのクラリスはヨダレを垂らして目を輝かせている。
「さあっ! 勇士、食べましょうっ!!」
クラリスはさっそく取り皿にサッサッサっとパンケーキ・生クリーム・アイス・フルーツをちょうどいいバランスで取ると「どうぞっ」と勇士へと渡してくれる。
「あ、ありがとう……」
正直、この巨大な建造物のどこにフォークを入れていいかまるでわからなかったため、その気遣いがかなり嬉しかった。
「じゃあ、いただきます……」
フォークでさらに一口サイズに切ったパンケーキに生クリームをたっぷりと塗って、勇士はおそるおそると口に運ぶ。
「――――ッ!!! これは――――ッ!!!」
(うまぁぁあぁあぁあいっ!!)
口いっぱいに頬張った生クリームのせいで言葉に出せない勇士の心が悲鳴を上げる(良い意味で)。
いやぁ、なにコレ? パンケーキ? 空気じゃなくて?
確かに生クリームと一緒に口に入れたはずのパンケーキの姿は、それを舌に載せた瞬間にフワッとどこかへ消えていた。
舌先に残るのはメープルシロップと生クリームの程よい甘さだけで、しかしパンケーキが消えていく直前に生み出した卵のコクのある甘い香りが鼻に抜けていく感覚、それが無性に後を引く。
それからは無心、勇士は皿の上のパンケーキを口に運ぶだけの物言わぬ機械となり、時折フルーツやアイスも間に挟んで食べていると、いつの間にか取り皿の上は綺麗に片付いてしまった。
ハッとして前方を見やれば、クラリスはすでに眼前のスイーツ空母へと2度目の手を伸ばしているところだった。
そんな我に返った勇士を見て、クラリスはパチリと片目を閉じてウィンクを寄越す。
その意味を察して、勇士はクッ! と悔しげに唇を噛んだ。
(あぁ、そうさ。確かにさっきは『甘ければいいなんて単純な思考はしてない』と言い切ったさ!)
しかし過去の自分の発言に意固地になって、目の前の『幸せ』をあえて掴まない選択をするほど勇士は愚かではなかった。
勇士は生クリームにやられていないか胃の具合を見て、全然もたれていないことを確認すると、スッとスイーツ空母へとフォークを伸ばす。
「どうですぅ? 美味しいでひょう?」
クラリスが上品に口元に手を添えつつも、パンケーキで口を満たしながらそう問いかけてくる。
勇士はもう自分に嘘を吐くつもりなどはまるでない。
「スイーツ、最高ぉぉぉおうっ!!!」
それは勇士の好きなスイーツランキングの玉座、プリンが陥落した瞬間であった。
―――――――――――――
パンケーキ屋から出てそれからは、勇士はクラリスに連れ回されるままに原宿・表参道の色んなお店に入ったり、周囲を歩いて街並みを楽しんだ。
「買ってほしいものがあったらなんでも言ってくださいね! 私、じゃんじゃん貢いじゃいます!」
なんて男をダメにする彼女発言をするクラリスへ、ほどほど遠慮しつつも、それからも飲み物なんかをご馳走になりながら、あっという間に過ぎゆく時間を共にしてもう夕方も近い。
別に家に門限などはなかったが、それでもそろそろ歩き疲れてはきた。
クラリスの様子を見ても大分満足げに伸びをしていたので、本人も目一杯楽しめたのだろうなと勇士は微笑む。
そんな勇士の笑みに、クラリスはこれまた特大の笑顔で返した。
「そろそろいい時間ですね。帰りましょうか」
「そうだな」
駅から電車に乗って最寄りに着くまでの間、クラリスと今日行ったパンケーキ屋の話やその他のお店の話で盛り上がる。
そうして到着して改札を抜けて地元の風を浴びた時、勇士は本当に今日一日も幸せだったと思って俯いてしまうのだ。
でもそうやっていつまでも毎日、過去形にばかりしてはいられない。
自分で変えなければ、自分で守らなければ訪れない幸福は確かにあるのだ。
勇士は駅前で意を決したように立ち止まると、なるべくなんでもないようにクラリスへ問いかける。
「クラリス……ごめん。1つだけわがままを聞いてもらってもいいかな……?」
「勇士くん……? もちろん、あなたのお願い事であればなんだって聞きますよ」
「――――――――――が欲しいんだ」
「…………それは……いったい何のために必要なんです……?」
「……きっと、お金を貯められるようになったら返すから」
それが質問の答えになっていないことくらい勇士も承知していた。
しかしクラリスは頼りなさげに自分を見る勇士に対して、困ったような笑みを浮かべると静かに頷く。
「わかりました。今は聞きませんよ。それじゃあ買いに行きましょうか」
「ごめん……。ありがとう……!」
勇士たちはちょうど駅前にあったお店へとよってそれを購入すると、再び帰路に着く。
その間、なんとも言えない沈黙が降りてしまい、夕焼けに赤く染まる道をただ2人は並んで歩いた。
「公園……着きましたね」
気付けばそこはもう、今日待ち合わせに使用した場所で、2人の別れ道だった。
勇士はこの公園を抜けて真っ直ぐに、クラリスはこの公園には入らず道沿いにそのまま真っ直ぐが家路だ。
「クラリス、今日はありがとう。あといろいろとごちそうさま。すごく楽しい1日だったよ」
「私こそ、前世で結局一度もできなかったレイシアとのデート、やっと念願叶って嬉しかったです。こちらこそ今日一日付き合ってくれてありがとうございました」
勇士はクラリスの笑みを見て満足したように頷くと、「それじゃあ」と踵を返して公園へと入っていく。
「――勇士くん!」
しかし数歩も行かないうちに呼び止められ、振り向いた、その時。
――最初に感じたのは柔らかさ、それから花のように甘い匂い。
クラリスの整った顔が目の前にあって、勇士は驚きを口にしたかったけれど塞がれていてできなかった。
遅れて、勇士はそれがキスだと気付く。
ゆっくりとクラリスの顔が離れていくのを、なんだか少し名残惜しく感じて伸びてしまいそうになった手を、勇士は堪える。
「勇士くん――」
クラリスが勇士の両肩に中腰になって手を掛けて、そうして瞳を覗き込むように目線を合せる。
「私はいつだって、どんな時だって勇士くんの味方ですよ」
「クラリス……」
「レイシアはいつだって自分の問題は自分でなんとかしようとがんばってしまう、そういう性格だってことは長い付き合いですから、私も充分わかっています。でも勇士くん、今のあなたは勇者だったレイシアの頃とは持っている力が違う。きっと敵の形だって違うでしょう」
「…………」
「私はもちろんあなたのことを信じています。でも同時にやっぱり心配なんです。だからどうか抱えきれなくなる前に頼って欲しい。あなたのことを世界で一番愛する、私のことを」
勇士を覗き込むそのエメラルドグリーンの瞳が熱っぽく揺れていた。
それはキスによるものか、それとも不安によるものか、あるいはもっと別の感情によるものなのか、勇士にはわからない。
でも、その言葉は何より自分を案ずるもので、勇士は自分の胸の内に広がる確かな温かさを感じることができた。
そして今まで不安定だった崖のような自分の背中側に、とても頼りになる壁ができたような安心感に包まれる。
勇士は軽く拳を握って、だからこそ決意を新たにクラリスへと言葉を返す。
「ありがとう……クラリス。でも、大丈夫。まずは俺自身が戦わなくちゃいけないんだ。だから今は見守っていて欲しい」
「勇士くん……」
それだけ言うと、勇士は再び公園内へと足を踏み入れて家路を歩き始める。
幸せだった時間を洗うような冷ややかな町の風が吹いても、もうこれまでのように俯くことはなく。
ただ前だけを見据えて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。