第9話 強さ

 自室に戻り、ベッドに体を投げ出すまでの間、俺は言葉を忘れたかのように何も言えなくなっていた。

 俺はなんて馬鹿だったんだ。

壊れた蛇口のように自己嫌悪が噴き出して、胸の奥を満たしていく。

 何が「解っている」だ。何が「呪いが解けるかもしれない」だ。俺は彼女の中に刻み付けられた絶望をまるで理解していなかった。独りよがりに舞い上がって、不用意に彼女の膿に触れて、その結果がこれだ。彼女の瞳の奥にあった暗闇に耐え切れなくなって、しっぽを巻いて逃げてしまった。無様すぎていっそ笑えてきてしまう。

 乱暴に髪を掻きむしる。

 いっそ彼女の意志も何もかも無視して、嵐のように彼女を呪いから解き放つことだってできたはずだ。それが出来なかったのは、彼女の瞳を見た一瞬、自分の中に一抹の不安がよぎったからだ。

『もし、これだけ豪語して呪いが解けなかったら?』

 ……事ここに至って考えることはこんな下らないことだった。追い詰められた俺が考えたのは彼女のことではなく、保身だった。

 覚悟が足りなかった。病気から解き放たれ、身体能力が上がった状態で始まった別の世界での生活。俺はこの状況に酔っていた。自分ならきっと何かできるかもしれないという、根拠のない自信に振り回されていた。

「よう。浮かない顔だな大将」

 いつの間にか、タイニーが傍らでふわふわと浮いていた。

「絶賛自己嫌悪中って感じの顔だ。その様子じゃサクラに振られでもしたのか?」

「……振られて落ち込んでいるんだったら、もうちょっとマシな気分だったよ」

「だろうな。ほっといたら今にも首くくりそうな顔してるぜ」

「だったらちょうどいいからそのままほっといてくれ」

「いじけてんじゃねぇよ。小心者」

 仰向けになっている俺の胸の上に後ろ足で立ち、タイニーは見下ろす。

「大将は俺たちにできないことをやってくれたんだ」

「できないこと?」

「サクラに外の世界の話をすることさ。そんな無神経なことはサクラの事情を知っている俺やロキアにはできなかった」

「責めてんのか?」

 言ってから、不貞腐れたような言葉がこの期に及んで出てくることに嫌気がさした。俺はこんなに情けない人間だったのだろうか。

「褒めていないのは確かだが、感謝はしてるぜ。あのお姫様はそろそろ引きこもりから卒業するころだと思っていたからな。大将はいいきっかけを与えてくれた」

「俺がやったのは傷口に塩を塗っただけだ」

「お、うまい表現だな。それは大将の世界の言い回しなのか?」

「まじめな話の時に茶化すなよ。……なあ、タイニー」

「どうした?」

 俺は、

「俺は、変わりたいよ」

タイニーは黙ったまま、続く俺の言葉を待つ。

「このままじゃ嫌なんだ。俺が甘ったれな臆病者なのは今回のことでよくわかった。嫌ってほどわかった。でも、そのままではいたくないんだ」

「……それで、大将はどう変わりたいんだ?」

「……強くなりたい」

「そりゃまた、随分と悠長なことで」

 タイニーはそう言って小馬鹿にする。

「いいか、大将。強さってのは“そういうもん”じゃないんだ」

タイニーはたんたんと俺の胸を後足で打つ。

「“なりたい”なんて言っているうちは一生強くなんてなれない。羽ばたきもしないしないのに『空を飛びたい』というのと同じ、単なる憧れだ。強さってのはそんなに受け身な態度で手に入れられるものじゃないんだ」

 俺はタイニーの言葉にじっと耳を傾ける。

「いつかそうなりたいじゃない。今、この瞬間、自分の意志で強さを演じるのさ。それがいつか本物になる。強さってのはそうやってでしか手に入れることはできない」

タイニーは淡々と、言い聞かせるように俺の顔を見下ろしながら続けた。


「強くあれ、ユキヒロ。それが、ちょっとだけ長生きしてきたタイニー先輩からの助言だ」


 しばらくその言葉の意味を考えて、理解した瞬間、俺は思わず息を飲んだ。この小さな妖精はなんて厳しいことを俺に言うのだろう。それはつまり、時間も、努力も、一切の言い訳を許さないということだ。

覚悟を求められている。他者に対してのものではない。自分に対しての、自らを変える覚悟を、この妖精は求めている。

「無理か? 出来そうもないか?」

 安い挑発だった。ポンと、背中を押すような、優しい挑発だった。

「……できる。できるよ、タイニー。なにせ俺は一度死んでるんだ。もう一回くらい死ぬくらいなんてことないさ」

 笑ってやった。無理やり、口角を吊り上げて、当然のように笑ってやった。

 そう、今日、この瞬間、これまでの甘ったれな自分は死ぬのだ。俺の意志で、俺の覚悟で、俺を殺すのだ。

「おう。それでこそ大将だ。期待した通りのやつでほっとしたよ」

 タイニーが俺の胸からふわりと飛び立ち、俺は体を起こした。

「なぁ、タイニー」

「なんだ?」

「ありがとな」

 俺のお礼の言葉に、タイニーは「いいってことよ」と調子よく答えた。

 『強くあれ』。俺はタイニーの言葉をもう一度、強く心に刻み付けた。

 もう、弱さは捨てる。俺は、俺の意志で、サクラを呪いから救う。もう絶対にぶれない。

 そう決意して、ベッドから体を起こした。

 もう一度、サクラと話そう。今度は絶対に怯んだりしてやるもんか。

 そう決意してドアノブを握りしめ、部屋の外へ繰り出した。

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