第3話「白髪の少年」

 デコピンが放たれる。


 イテッ、とユウは額を押さえた。


「あはは、愛沢の四連敗! いくらなんでも弱すぎだろ~」


 ユウにデコピンを喰らわせた彼の男友達――丸岡まるおかケンタが愉快そうに笑う。


 2‐Aの教室は生徒たちの賑やかな声で満ちていた。

 お喋りに夢中な女子生徒、未だ弁当をつつくのんびりした男子生徒、トランプで盛り上がる男女混合グループ、皆思い思いに昼休みを過ごしている。


 ユウを含めた四人は、スマホアプリで罰ゲーム込みのスコア比べをしていた。


「丸岡が強いのは練習してきたからだろ? 言いだしっぺだし」


 ユウはケンタを睨みつけると、今度は彼の隣の席に座るショートカットの女子生徒に目を向ける。


和泉いずみはなんでも器用にできる万能タイプだから、オレが負けるのも理解できる」


 どうも、と和泉いずみマキが微笑みを返す。


 だが、とユウは自分の隣の席に座るミナギを見た。


「ゲームをしないお前が、どうして上手い?」


「だってこのゲーム、ちょうどいいタイミングと力加減でフリックすればいいだけじゃん。ゲーム経験は関係ないと思うよ」


 ミナギが実際にプレイしてみせる。

 液晶の中のスキーヤーがジャンプ台に差し掛かったところで、フリック入力、スキーヤーは大きく飛翔し、転倒することなく見事に着地した。


 ね? とミナギがドヤ顔。ユウはその頬をつねってやる。いひゃい~。


「愛沢は極端すぎるのよ。力み過ぎなの。肩の力を抜いてやってみ?」


 マキのアドバイスを受け、ユウはミナギの手からスマホを奪い取る。


「そうは言っても、弾く力が弱すぎると、コイツ飛べないじゃんか」


 ユウがプレイ。

 タイミング良くフリックしたつもりだったが、力を入れすぎたようだ。スキーヤーは停止線を大きく飛び越え、頭から墜落。血飛沫を上げてぺちゃんこに潰れた。


「あはは、また死んでる!」


 画面を覗き込んでいたケンタが笑う。


 ユウはケンタにスマホを押し付けると、椅子に深く凭れかかった。


「ダメだ。このままだとオレがデコピンを受け続けるだけのゲームになってしまう。頼むから他のゲームにしてくれ。丸岡、何かない?」


 そう訊いた瞬間だった。


 突然、ハンマーで殴られたかのような激しい頭痛がユウを襲った。大きく目を見開き、爪が皮膚に食い込むほどの力で頭を押さえる。



 ――起きろ。『アイツ』が追ってきた。



 そう、声が聞こえた。


 気づけば、周囲の景色が暗転していた。


 その闇の中に、ひとり、幼い子供の姿が見える。


 白髪の少年が、こちらを見ながら、立ち尽くしていた。



「――ユウ? 大丈夫? どうしたの、ユウ?」



 ミナギの声が聞こえ、我に帰る。


 深い闇などどこにも無い。ユウの眼前には、賑やかな教室の景色が広がっていた。


 うるさいくらいのクラスメートたちの声。そういえば、あっちの『世界』は酷く静かだった。


「マ、マジで大丈夫かよ、愛沢。頭が痛いのか?」


 ケンタにそう言われて思い出す。激しい頭痛がしていたことを。今はじわじわとくる鈍痛程度に収まっていた。


「丸岡がデコピンしまくるからじゃないの? 愛沢がアンタみたいに馬鹿になったらどうすんのよ」


 マキがケンタの頭をはたいた。


「いや、大丈夫。九九は覚えてるみたいだから」


「掛け算くらいオレにだってできるよっ」


「でも、顔色悪いよ、ユウ。保健室いく?」


「……そうだな。寝不足かもしれない」


 ユウが席を立つと、ミナギも立ち上がった。


「一人で平気だよ。ちょっと休めば収まるって」


 心配そうに立ち尽くすミナギを残し、ユウは教室を出て行った。


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 辺り一面、暗闇に包まれていた。


 一筋の光も見えず、自分の存在すら疑うほどだ。


 しかし足元には水が張っているらしく、足首に触れるその波の揺らぎが、自分がここに存在し立っていることを実感させていた。


「……久しぶりだね」


 いつの間にか、ユウの目の前には七歳くらいの幼い子供が立っていた。

 すべてが黒に染まっているのに、彼の姿だけははっきりと見えた。その髪が白であることも。


 先程激しい頭痛に襲われた際に、一瞬だけ見えた、あの少年だった。


「キミは一体誰なんだ? この場所は一体……」


「そんなことは重要じゃない。説明したって、どうせ思い出せないだろ? 記憶喪失なんだから」


 呆れたように白髪の少年が肩をすくめる。その口調といい、年の割に大人びた印象の子供だった。


「どうしてオレが記憶喪失だって知ってるんだ? トウコさん以外は誰も知らないはずだぞ」


「僕が、記憶を失う前のキミのことを知ってるからだよ」


「記憶を失う前……? じゃあ、お前は、俺の両親のことも知ってるのか?」


「親、か……。そうだね、知ってる」


 白髪の少年は悲しげに視線を落とし、首を振る。


「――でも、それは自分で思い出してよ。時間が無いんだ。『アイツ』が来た。追ってきたんだ」


「さっき会ったときも言ってたな。アイツって誰だよ? 追ってきたって、一体なんのことだ?」


「このままだと、殺されるかもしれない。すでに何人も殺されてる」


 白髪の少年は天を見上げながら言った。何か見えているみたいに。

 しかしユウの目には暗闇しか捉えられなかった。


「今のままじゃ、『チカラ』の無いままじゃ――また、大切な人が殺されるかもしれない」


 白髪の少年がユウを見つめる。


 ユウもまた、白髪の少年を見つめた。

 その存在といい、意味が分からないことだらけだったが、なぜだか彼が嘘をついていないことだけは分かった。


「チカラを使うには、まずは自分の中のスイッチを切り替える必要がある。でも、今のキミなら簡単にできるはずだ」


白髪の少年は淡々と告げる。


「さあ、起きろ。アイツは教室にいる」



 ――――ベッドから飛び起きる。



 上半身を跳ね起こしたことで、体に掛けられていた毛布がめくれた。


 そう。自分は保健室のベッドで横になっていたのだ。


 白髪の少年との会話は、夢だったのだろうか。


 あの夢とは打って変わって明るい、夕陽の差す保健室の風景を見渡していると、ベッド脇に突っ伏して寝ているミナギの存在に気づいた。


 枕にした腕で頬をふにゃりと潰した無防備な顔を晒して、すうすうと静かに寝息を立てている。

 結局、心配して来てくれたらしい。


 保健室の掛け時計を見上げれば、時刻は放課後を少し過ぎていた。


 ずいぶん眠っていたようだが、ミナギはいつから居たのだろうか。


 起こすついでにイタズラしてやろうと、ミナギの頬に手を伸ばした、そのときだった。


 ――ドクン。


 ユウの心臓が強く跳ねた。


 何かを感じ、天を見上げる。


 その目に、一瞬、天井ではないどこか別の場所の景色が映った。瞬間的に写真を見せられたかのように。


「……教室?」


 そう見えた気がした。


 教室で、誰かが、誰かの腹を蹴り飛ばしていた。不穏な静止画。


 ――アイツは教室にいる。


 夢の中で少年に言われたことを思い出す。


 いや……夢では、無かったのかもしれない。


 ユウはミナギを起こさないようにベッドから這い出ると、保健室の戸を開けた。

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