第33話 訪れる嵐(一)

 “大鉄牛”の背にある匣は、機巧兵器を操る御者を乗せるためのものだ。

 そのため、機関部と並ぶ強固な装甲に覆われているのだが、乗り降りを行う関係上、どうしても完全無欠とはいかない。


「よし! あと少し!」

「気を付けろよ!!」


 下にいる者たちと同様、大槌を手に武士もののふが気炎を上げる。

 何度も叩き込まれる大槌に、装甲が歪んだ。

 一度ひとたび装甲のつなぎ目に隙間が生じると、後は早い。杭を打ち込まれ、あっという間にこじ開けられていく。

 その背に乗り込んだ強引な貴公子もののふたちにかかれば、鋼の十二単であろうとも、儚く引っ剥がされるのだ。

 だが。


「――――っ!」


 位置的な問題から、セツと五夜さやは彼らの奮闘を直接見ることはできない。

 ゆえに、匣がこじ開けられたのがいつなのかも分からない。

 しかし、おそらくはその瞬間、セツは太刀の柄に手を掛けていた。


 ――唐突に、武士もののふたちの声が途絶える。


 傍らで、五夜さやがまなじりを吊り上げた。


「これは――」


 空気がざらついている。

 何かがまとわりつくような不快感。

 直後。


 ――見上げる先で、真っ赤な血しぶきが噴き上がった。


 それを目にすると同時、セツは地を蹴っていた。

 走りながら抜刀。白刃が青白い煌めきを放つ。


「セツ!」

「周囲の警戒を! 術士の類がどこかにいるかも!」


 背後の声に応えながら、セツは“大鉄牛”とその周囲に視線を走らせる。

 鬼気に当てられたのだろう。

 目に入るのは、“大鉄牛”の背中、あるいはその足元で、意識を失って倒れた武士もののふたちの姿。


(まともに動ける者はいないか……いや)


 “大鉄牛”の背から、宙に身を躍らせる影を捉え、セツは目を細めた。

 太刀を手に、“大鉄牛”を睨んだまま、地面へと落下してくる少年。義家だ。

 そして。


(鬼――!?)


 その彼を追って姿を現したもう一つの影に、セツは小さく息を飲んだ。


 それは、まさしく鬼の如き姿だった。

 まず目を引くのは、全身を覆う赤一色の鋼の甲冑。

 板金を複雑に重ね合わせて拵えられたソレは、小さな鉄板――小札こざねを繋ぎ合わせて作られる大鎧とは全くの別物だ。

 その兜も見覚えのないカタチで、着用者は、その顔まで鬼面の装甲に覆われている。


(あるいは、アレが顔なのかもしれないが)


 アレが本物の鬼であるのなら、あの鋼の装甲は、身体の外皮のようなものでしかなく、甲冑でも何でもないのかも知れない。

 だとするなら、あの赤鬼の動きはセツの知る鎧武者よりも遙かに柔軟なものとなるだろう。


(警戒はしておくべきだな)


 初見の――妖の可能性がある敵を相手にする際は、考え得る最悪を想定しておくべきだ。

 実際は、大体それよりも酷いことになる。

 空中にある姿を睨み据え、セツは胸中で己に言い聞かせた。


「――――!!」


 赤鬼が吠えた。

 その手が振り上げる大太刀は、もはや人が扱うものではないだろう。

 刀身だけで五尺150cmを超える極大の刃。

 大鉈、あるいは斧のようなその厚みを考えれば、重量は如何ほどになるだろうか。

 巨刃の切っ先が、曇天の下、ギラリと鈍色に輝いた。


 大太刀が振り下ろされる。

 しかし、義家は間合いの外だ。届きはしない。

 そのはずだったのだが。


「――――!?」


 鬼が、空中で加速した。

 背中の箱から放出された蒸気が、鋼の身体を推したのを目にして、セツは目を見開く。

 視線の先で、極大の刃が義家に襲い掛かった。


(何だ、あれは)

 

 形は、山伏が背負う箱笈はこおいに似ている。

 よく見ると、蟲の肢を思わせる節のついた鋼棒で、腕や腰、脚の装甲と繋がっているのが分かる。

 もっとも、その働きがどのようなものかは、セツにも分からなかったが。


 甲高い音が響き渡った。


 足場のない空中にあってなお、鬼の剛撃を捌いたその力量は驚嘆すべきと言えよう。

 しかし、踏ん張りが効かない点は、人の身では如何ともしがたい。

 空中で大きく体勢を崩した彼は、肩から地面に墜落した。


「――――っ!」


 顔を歪めた義家が、地面に叩き付けられた勢いのまま横に転がる。

 そのまま、土に塗れつつ二間3.6mほどの距離を移動。

 端から見れば無様。しかし、それが彼の命を救った。

 転がる勢いを用いて身を起こした義家は、一瞬前まで己がいた場所を睨む。

 そこには、大太刀を地面に突き立てた赤鬼の姿があった。


「やってくれる」


 受け身は取ったものの、衝撃を逃がし切れていないのか。

 義家は、立ち上がれない。片膝立ちの体勢で、赤鬼が大太刀を引き抜く様を睨んでいた。

 鬼が、全身から蒸気を立ち上らせ、動けない彼へと一歩踏み込み――


「――横入り御免!」


 そこに割り込んで、セツは口上とともに刃を振るった。

 一閃。

 青白い光跡を残しながら、真一文字に斬撃を走らせる。

 走る勢いを乗せた一撃だ。相手が並の使い手ならば、その防御ごと叩き斬る威力を秘めている。

 しかし。


(駄目か)


 甲高い音と火花が散った。

 左腕の装甲で受け止められた白刃に、セツは小さく舌打ちをする。

 ――硬い。

 鬼気の影響だろうか。その装甲は、斬鉄の一閃を退ける強度を有していた。


「アアアアアア――――ッ!!」

「……っ」


 鬼が吠えた。その眼窩に鬼火のような輝きが点る。

 同時に噴き上がる強烈な鬼気。

 至近から叩き付けられる圧力に、セツは顔を歪めた。

 太刀の煌めきが邪気を祓い、剣気を増幅してくれていなければ、膝をついていたかも知れない。


「はンっ!!」


 牙を剥くように笑って、セツは再び刃を振るった。

 先ほどよりもはやくく、そして鋭く。何より強く。


 ――叩き斬る。


 その一念こそが剣気の正体だ。

 それを、太刀に宿る“伊波比主命剣神”の神威とともに叩き込む。

 斬れぬ道理などない。

 だが。


(速い……)


 セツの刃は空を斬っていた。

 一瞬で側方――五間8m近くも離れた赤鬼の動きに、セツは目を瞠る。

 以前戦った鵺よりもさらに速い。


(仕組みは、先ほどの空中での加速と同じか)


 尾を引くように漂う蒸気の残滓。

 それを横目に、セツは距離を取った鬼に向き直る。

 その動きから目を逸らさぬまま、口を開いた。


「お怪我は?」

「問題ない。ただ、景季が手傷を負わされたのと、ほか二人が斬られた」


 義家の口調は苦い。

 二人は胴を両断された。続けられた彼の言葉に、セツは小さく息をつく。

 ならば、仇を取らねばなるまい。


「参戦をお許し願えますか?」

「恩に着る」


 義家が太刀を手に、肩を並べる。

 少年二人が見据える先で、鬼が再び咆吼を上げた。


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