第二〇宝典魔術

「上倉くん、お怪我はありませんか?」


 爆発から慧を守った鏡花は、彼の頭を自分に押し付けるように抱えたまま安否を確認する。

 彼女が建物に侵入していたことを、慧が把握していなかったはずもない。五感が覚醒状態にあるのだから当然だ。

 想定外だったのは、彼女にかばわれる事態になったこと。


「おかげさまで擦り傷すら負わずに済んだ。……だが、なぜだ?」

「実は、私は上倉くんより一つ年上なんですよ。お姉さんらしく弟を抱擁してあげるのもたまにはいいじゃないですか。嫌でしたか?」

「そういうとぼけた話をしてるんじゃない。なぜ建物にはいってきた」


 鏡花の胸元から顔を離す。慧は彼女と一歩分の間をあける。


「上倉くんを守るためですよ。間に合ってよかったです」

「入ってくるなと言われていただろ。それに、敵が一人じゃなかったらどうするつもりだった。無用心すぎる」

「私が行きたいっていったら、社長が大丈夫だといってくれましたから。不安はありませんでした」

「あの男……」


 胸ポケットからイヤホンマイクを取り出す。電源ランプが点灯したままの機器を片耳に装着する。

 愉快そうな声が脳に響いた。


《そういうことだよ。考えてごらん? 君は囮にされる程度にしかフリーフロムでは評価されていなかった。そんな君を倒すために、多くの戦力を投入はしない。それなら、一人に任せて我々を叩く準備にでも時間を当てたほうが利口だよ。だから伏兵が潜んでる確率は極めて低いと判断した。あとは、敵も時間稼ぎの囮だったけど、先の犯行の首謀者なら命を投げ打つ可能性も考えられたからね。君でも爆発から無傷で生還とはいくまい。鏡花の助けがあったほうが良いかと思い、許可したわけだよ》

「憶測だな。たまたま読み通りだったから愉快だろうが、伏兵がいた場合にはどうするつもりだった」

《そのときは大声で泣き叫んでヒーローが来てくれるのを願ったかな~?》

「ふざけた男だ」

《とか言いながら助けてくれるでしょ? 慧くんには、会社に入れてもらった恩があるはずだし》

「刀の一本くらいは貸してやったかもな」

《社長を気遣ってくれて嬉しいよ。二本もらっても私には扱えないのでね》


 戯けた会話に慧は付き合った。

 実のところ、彼は感謝していた。悠司が許可しなければ、鏡花は救援に駆けつけなかったから。フリーフロムも、厄介な男を敵に回したものだ。


「しかし、まさか自爆するとはな」


 鏡花の展開する宝典が虚空に収められた。

 慧は爆風によって部屋の隅まで転がった二本を拾い上げ、阿久津の自爆による被害を確認する。

 部屋の奥が、天井ごとなくなっていた。床もほとんどが消失している。宝典により被害を免れた箇所だけが、鏡花の足元から廊下に向かい扇状に残っていた。最上階であるため、刈り取られた天井は夕焼けの名残のある夜空と繋がる。


 想定外の結末になったが、状況は終了した。

 慧は呼吸を落ち着けて二本の刀を鞘にしまう。それを合図に、彼の感覚が平常に戻った。緊張も解け、身体を猛烈な疲労感が襲う。

 昂ぶっていた感情も静まる。

 半壊した部屋を出て行こうとしたとき、慧は吹き抜けた先の夜空で微かな異音が鳴っているように感じた。


「なんだ? なにか、こちらに音が近づいてきてないか?」

「私は何も聞こえませんよ?」


 鏡花は首を傾げる。

 彼女が不思議そうにしている間にも、慧の耳に届く音は確実に大きくなる。


《慧くん、それは幻聴じゃない。北の方角に、こちらに接近するヘリの機影が現れた。私の耳にも、ローターの回転音が届いてるよ》

「応援を要請していたのか?」

《まさか。慧くんと鏡花、さらにはこの私までいるんだ。応援が勝手に来たとしても、彼らに仕事は残ってやしない。現に状況は終了してるでしょ?》

「ならば敵の増援とでもいうのか」


 絶えず大気を切り裂く轟音。通話の邪魔になるほどに、その存在感を増す。ようやく鏡花にも音を聞き取れるようになった。

 ふたりは消失した天井の先に広がる灰色の空を仰ぐ。けれども壁の残骸が邪魔となる死角にいるのか、姿を視認できない。


《だろうね。ああ、機体の全貌が明瞭になってきた。あれは、中型の多目的軍用ヘリだね。あんなものを所有してるとは、フリーフロムの資金力を少々侮っていたようだ》

「初耳だ。ボスがそんなものを隠し持っていたとは」


 ヘリを所有しているなど、慧は一度も聞いた覚えがなかった。

 AMYサービスとの決戦のためだけに用意したとは思えない。藤沢は必要以上を喋る男ではないが、身内にまでこんな大層な兵器を隠すほどとは考えていなかった。

 慧と鏡花はジッと上空を見上げ、敵影の出現を待つ。

 そろそろ頃合だろうと目を凝らす。視線の遥か彼方、地表より雲が近い地点に、自然の景観と質の異なる物体が現れた。

 四翅のローターがかさに見紛う速度で回転する。

 ヘリは慧たちに見える位置で静止し、ホバリングで高度を維持した。攻撃の意思は、いまのところ感じられない。


「とても高いとこにいますね。何をしているんでしょうか」

「わからん。機関銃での掃射を警戒したが、あの高さでは流石に射程外だ」


 どうすることもできない。地上で立ち尽くし、ヘリの動向を観察する。

 止まっていたヘリが動き出す。建物の真上を過ぎ、またもや彼らの死角に入る。

 慧は外にいる悠司に敵の位置を尋ねようとした。

 それより早く、悠司の声が耳元で響く。


《む、ヘリから誰かが落ちた――違う、飛び降りた》

「飛び降りだと? あの高さからか?」

《ああ。風に流されながら自由落下している。おそらく、君たちめがけて》


 爆破で溶けたコンクリートの足場の端に寄り、星の散らばる空に敵を探す。


 ――信じられん。


 あまりに非現実的な光景に慧は言葉を失う。

 夜空から、パラシュートすら背負っていない軽装の少女が落ちてくる。彼女は無数の翠玉の粒子からなる光の尾を引き、その軌跡を空に刻む。


《あの輝き、先日の少女か。気をつけたまえ。並の魔力量じゃない》


 浅い夜空を翔ける緑色の流星。それは、危険な光でありながらも美しい。慧は目を奪われそうになる。

 だが、暢気な感想を垂れていられる状況ではない。脅威から身を守るため、落下地点であろう半壊した室内から退避する。

 逃げようとする彼の前に、鏡花が立った。

 彼女は薙刀を構え、上空から迫る光を敢然と見据える。


「ここは私に任せてください」

「勝てるのか? あいつは強いぞ」

「では、負けないよう全力でお相手しましょう」


 耳にかけていたイヤホンをはずし、鏡花は誰もいない虚空を凝視した。

 彼女の手の先、拳一つの隙間を空けた空間に、どこからともなく現れた光の粒子が集結する。それは束となり、淡い緑色の燐光をまとう宝典が具現する。


「第二○ふたまる宝典魔術――」


 宝典は例によって無風の状況で捲れだす。ページ送りは、本のちょうど中間辺りで止まった。

 空から降下する光が、緑色から灰色に。曇天より深い灰色に。

 光の中心たる少女は煌々とした輝きと化し、さらに降下を加速する。

 鏡花の宝典は急に色を失った。燦然と輝いていた緑色が無色透明へと変わる。

 慧もそれなりに宝典魔術を見てきた。

 しかし、発動前の光が無色透明に変化する魔術は見たことがない。


 来訪するは灰色の輝き。待ち受けるのは、透明の煌き。

 意識を集中する鏡花の横顔は冷静だ。迫り来る少女への恐怖は介在しない。

 無色の煌きが円形に拡散する。慧をその範囲に含む。

 名状できない不思議な感覚。秋の空が冷たい空気を運んできているはずなのに、正体不明の温かさが慧を包む。決して嫌な感覚ではない。鏡花に抱きとめられた時のような、心地の良い温もりだ。


 あと二秒も数えぬうちに、少女は慧たちのもとに到達する。

 着地の術もなく遥か上空から飛び出た少女。常識で考えれば少女が無惨な結末を迎えるのは必至。

 だとしても、宝典魔術師である少女に〝あたりまえ〟は通用しない。

 着地というよりは激突。少女は灰色の残影を空に残して姿を現す。

 手元の宝典が、真っ先にコンクリートの地面に触れる。瞬間、嵐のごとく猛烈な風圧が波紋のように広がる。

 衝撃波の発生地点には彼女。落下していた身体は嘘のように静止した。地面からわずかに浮く宝典が、その防御性能により彼女にかかるはずの負荷を打ち消したのだ。

 灰色の宝典が一際強く発光する。

 同時に、鏡花の宝典が霧散した。


「――イロウシェン・アンダルサイト!」

「――ダイヤモンド・リジョン!」


 灰色の光を見たときから、慧は増援の正体を確信していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る