第12話 神戸から別府の旅

絵の国 豊後豊前というタイトルは長いので、絵の国と省略します。


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「しかし、こうまで風が強いと体が冷えるね」


 狂風吹きすさぶ甲板の上で朝美氏が言った。

 ここは豪華客船 フェリーさんふらわぁの船上である。

 遮るものが一切ない夜の海上を23ノット(時速約43km)で進んでいるので、春一番のような大風が絶えまなく吹いている。


 本日の気温は18度だが、風の中にいると少しずつ体温が奪われていく。

「一階下のバルコニーから見てみようか」

 甲板を後ろ側を降りると、船特有の丸いガラスのあるジュース販売スペースを通り抜け、ソファとデスクの備わったバルコニーがあった。

 机もついているここでは、学生が勉強をしたり帰省中の学生らしき男性がスマホを見ている。

 絵の国の作者の田中氏は『日が暮れるまでここを立ち上がることができなかった。』とあるが、昔はこんなスペースはなかったのだろう。


 また二等船室もガラス張りで、ここからも外がよく見える。

 あくまでも『夜景が』だが。

 するとしばらくしてテレビの画像が乱れ、映らなくなった。

「あー電波が入らなくなったんだねー」

 どうやら船の旅だと各地のテレビ電波が混在するため、ある程度の距離で受信できなくなるらしい。

 フェリー旅あるあるであるらしい。


 しばらくすると店内で「ただいまより食堂のサービスが始まります」とアナウンスが聞こえた。

 昭和初期は銅鑼ドラが食堂開始の合図だったようだが、スピーカーのおかげで情報が的確に伝えられるようになったらしい。

 当時はここくらいしか食事はできなかったためか食堂は満室だったようだが、今ではカップめんの自販機や売店もあるためか、少し空きがある。

 食事は用意された物をトレイに乗せてレジで精算するセルフ式だが、陸上に比べると値段は少しお高めである。

 なおカップめんも330円位しており、貧乏人には豪華な食事となる。

「ちなみに、田中さんは『汽船のお湯でおかんした日本酒を飲んだ(絵の国P3より)』そうだけど、当時は船で熱燗を飲めるっていうのは特別なことだったんだね」

 今なら電気ポットでお湯くらい作れるが、木造船だと電気自体が貴重だったのだろう。

 バルコニーや熱燗を、船員が誇らしげに『如何です?』と尋ねているあたり、当時の神戸別府間を走っていた船は、本当に最新技術を凝らした豪華客船だったのだろう。


『船旅は最終的に食事しか楽しみがなくなる』といわれる通り、船の食事はおいしかった。食後は船内のゲームセンターを冷やかしながら、売店を見る。おみやげにツマミ、お菓子などが売られている場所には立ち読み客が結構いた。

 私の連載が載っている本もあるので、できれば購入してもらえるとありがたい。

 ついでにアンケートはがきで「別府観光大臣物語おもしろかったです」と書いていただけると、恵まれない作家への施しになって、いろいろ運気とか上がって良いことがあるかもしれないのでおすすめである。 


 食事も終わり部屋に帰る。

「さて、次に作者の田中さんは何をしてるのかな?」

 次の記述を朝美氏に尋ねると


「もくもくと仕事してるみたいだよ」


「え?嘘でしょう?」

 私は朝美氏から本をひったくった。

 作家という生物は、締め切りがくるまで基本的に文章が書けない生物である。

 旅行という貴重な時間を無駄にして仕事をするなんて作家の風上にも置けない存在だ。

 だが『その夜、私は、部屋にこもつて原稿を書いた。(絵の国P3)』とある。

 私は目を疑った。

「嘘だ、絶対に締め切り前に書いたのを、内容を粉飾してるね」

「お姉さんの『作家は絶対に仕事をいやがる』という確信はどこから来てるの?」

 ものすごく呆れた目で見られた。


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『エンジンのかすかな痙攣のほかには、何も聞こえへない静けさ。それは、どんな静かな山の中でも、陸上では味はへない味だ。私の筆はぐんぐんと進んだ…』

 そんな作家としてありえない生真面目さで執筆をしている様子が書かれている。

 たしかに、夜で景色の楽しめない今、ここでは書くこと意外の娯楽はない。


 ソシャゲのできるスマホは朝美氏に取り上げられた。悪魔である。


 というわけで私は三度ほど気分転換に甲板に出たが、あきらめてこのように原稿を書いている。

 夜の10時頃には瀬戸大橋の下を通過し、明日の六時半には別府に到着するらしい。

 瀬戸大橋は1988年に開通した橋なので、当時は別の景色が見えたのだろう。

 規模は違うが乙原の高速道路を見上げたような感動をふたたび味わえると言うのは嬉しい不意打ちである。


 なお、田中氏は

『汽船の特別な湯で温められた酒の余韻を使って、ここまで一気呵成に書き上げたのだが、ここで筆を一旦置こう』

 とあり、4Pくらいで記述が止まっていたので、そこまで筆が早い方ではないのかもしれない。

「キーボード入力と万年筆で原稿に手書きするのではスピードが全然違うよ」

 そういえば、某鈍器のような小説を書かれる方が、ワープロが登場する前は文書を書く量は体力に比例していたと言っていたっけ?

 こうして、とりとめのない話を入力するだけで5000字近く書いている。

 失敗しても紙を丸めて書きなおす必要も無ければ消しゴムを使う必要も無い。

 技術の進歩と言うのは非常にありがたいものだ。

 

 85年ほど前に、ふべんな思いをしながら執筆活動にいそしんでいた先輩の苦労を思いながら「やっぱり仕事したくねぇ…」と思いながら入力を止めたのであった。


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「ちなみに。このお湯を使って3階には大浴場があるんだよ」


 と朝美氏が言う。なんでもエンジンの熱を利用して4畳位の風呂に入れるらしい。

 半信半疑で船を歩くと、紺と柿色ののれんに「湯」の白文字が上がっている。

 ロッカーに着替えを入れて扉を開ければ寿温泉の4倍、浜脇温泉の半分くらいの浴槽が船の中に存在した。湯加減は良く、シャンプーやボディーソープまである。


「うわぁ生き返る。」


 寒い甲板から入れば、この暖かさはさらにありがたいものだろう。

 ここのガラスは曇りガラスで、夜景が見えないのは残念だが、日中だと外から見えるだろうから仕方がない。

「この設備は昭和初期にはなかっただろうね」

 言われてみれば、絵の国には船内風呂には言及がなかった。海水を濾過して使う技術がなかったのだろうか?

 そう考えると、新幹線に比べて時間はかかるが、食堂に風呂までついてるこの移動式ホテルの旅はコスパが良いのかもしれない。

 バス旅行のように座りっぱなしでもなく、伸び伸びと旅ができる。

 半日の拘束と捕らえれば退屈だが、寝ながら移動できる旅と考えればこれほど豪勢で贅沢な旅もない。

 新幹線でも2時間以上文書入力するのは大変だし、外の景色という誘惑があるが、夜の船旅ではそれがない。

 今回のように「作品を追体験するために」という阿呆みたいな企画でなければ船旅は合理的である。

 85年前の人物である田中氏の慧眼に感服しつつ、入浴を満喫した私は、『エンジンのかすかな痙攣のほかには、何も聞こえへない』船室で、これからの旅に心躍らせるのであった。

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