第3話 別府外務大臣・油屋熊八と与謝野晶子さん(久住)

登場人物;

 根来迅八ねごろじんぱち(♀);和歌山産のフリーライター。家賃の安さとエッセイネタを求めて別府に移住した。

 本作は彼女の聞き語りである。


 別府朝美べっぷあさみ(♀);エセ幼女。別府生まれ。別府銀天街をネグラに平成から令和の別府を案内する。

 ※本作はフィクションであり、土佐日記のような作品です。


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 別府駅前手湯の隣には万歳をした銅像がある。

 メガネをかけた、ハゲ頭のおじさんの像だ。


 これはいったい誰だろう?

 そう言ったら「別府の外務大臣が知られてない…」と朝美氏が膝から崩れ落ちた。


 180cmの台座の上に両手をあげて飛び立とうとする、どこにでもいるおじさん。彼の名は油屋熊八(1863年~1935年)、別府の外務大臣を自称したアイデアマンだという。

 彼は別府亀の井ホテルと湯布院の亀の井別荘の創始者で、別府温泉地獄巡りを商売としての観光地にするために、12kmはある道路を整え、日本で初の女性バスガイドを採用。他の別府で一発当てようとする起業家と共に別府を発展させた立役者だと言う。

「まあ、それより凄いのはやまなみハイウェイや城島高原を整備して大分を一大観光都市に整備したことだね」


 ご存じ無い方に説明すると、やまなみハイウェイとは別府から熊本までをつなぐ長い道路である。

 おそろしい事に、これらの観光地の売出しや開発、今では公費の支出が当たり前だが、全部、熊八氏個人の私財と借財でまかなわれたらしい。

 道路建設にゴルフ場建設、観光地の整備。これらすべてである。

 とても個人の力で通せるとは思えないのだが、どうやったというのだろう?

「熊八さんはね。はじめ海地獄とか血の池地獄までの道を観光バス用に整備したの」

 総計12kmほどの道を個人事業として舗装したのだという。

「それで、別府に来るお客さんが増えたら「」というキャッチフレーズで湯布院に案内することにしたの」

 人里離れた盆地である湯布院に外国の富豪や政治関係者を招待し、古き良き日本の田舎でくつろいで貰おうという試みだったらしい。ついでに、途中の城島に日本では珍しいゴルフ場を建設しお金持ち向けのレジャーを提唱。外国の大金が別府に落ちるようになったという。

 なお別府から湯布院までは25km。急な山道であり『狭霧台 湯布院』で検索すればどれほど高い位置から道路を通したのかが湯布院の美しい風景と共に堪能できるだろう。

 ここまでは自伝にも書かれている有名な話である。


「で、ここからが地元民しか知らない話なんだけどね」


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 熊八氏は湯布院まで伸びた道をさらに延長して久住連山という大分有数の山脈までつなげた。現在のやまなみハイウェイ(全長約70km。個人で整備する距離では無い)である。

 本格的な登山まで楽しんで貰おうというわけだ。しかし、

「九州では有名でも、からね。これに何とかして箔をつけようと熊八さんは頭をひねったんだよ」という。


 それで、考えた結果『君死に給うことなかれ』で有名な与謝野晶子さんと夫の鉄幹夫婦を、別府に招待して講演をしてもらう事にした。

 講演が終わった後で「今度、久住連山という風光明媚な場所まで道を通したので、よかったら保養に行きませんか?」と誘ったという。


「で、久住の役場には『明日、有名な与謝野夫妻を呼んで久住連山の歌を詠んで貰うから、失礼のないように出迎える準備をしておいてくれ』と指示を出していたらしいんだよ」という。

 これは久住高原美術館(竹田市久住支所3階)で聞いた当時のお話らしい。

 そこで

『久住山 阿蘇のさかひを する谷の ほかひださへ 無き裾野かな』

 という歌を読んだ。

 有名人の現地歌である。

 すぐにそれを歌碑にした(スカイパークあざみ台に今もある)。多分石工もスタンバイしていたのだろう。


 彼女が詠んだ歌で久住は一躍有名となり、外国の有名人や当時最強の横綱 双葉山(大分県宇佐市出身)も訪れ登山名簿に名が残っている。

 これらは久住の資料館で閲覧可能だったという。

 あと、久住連山を訪れた与謝野さんの写真もある。ということでスマホで撮影された当時の白黒写真を見せて貰った。

「ちなみに、これは白黒写真だとわかりにくいんだけど、与謝野夫妻が来た日は雨が降ってたらしいんだよ」

 せっかく来て貰ったのに、肝心の景色は雨雲で見えない。

 3時間ほど待ったけどそれでもだめ。

「……だからね、与謝野さん」

 内緒話をするように朝美氏は声をひそめて

「1回目は久住連山を見れなかったんだよね」

 …そういえば、さっきの歌は麓の様子は歌っても山の様子は触れてない…。

久住山 阿蘇のさかひを する ほかひださへ 無きかな

 『谷』に『裾野』である。

 山は一言も書かれてない。見えない風景を目の前にして何とかひねり出したのだろう。当時の苦労がしのばれる。

「こうしたアクシデントも含めて大分にはおもしろい話が埋もれているからね。お姉さん、よかったら記録に残しておいてよ。このままだと地方の記録だけで終わっちゃうから」

 そう言いながら目の前のエセ幼女は色々なお話を始めた。

 中には「こんなの全国紙で書けるか!」という内容もあったが、半分くらいやばい話だったがおもしろい話もたくさんあった。

 本作はこれらの話を書き連ねていきたいと思う。


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 久住町では、昔の写真に写っている人が誰なのか?とか、久住のこぼれ話を集めていました。5年くらい前に。

 今回の与謝野氏の話もその一貫で、大分で初めて栽培に成功したトマトを与謝野晶子さんとお子さんが食べたことが書かれた新聞記事や、久住連山に登山した有名人の登山名簿などが展示されていました。

ここらのお話を知る方もいずれはいなくなるでしょうから、興味のある方は久住高原美術館(竹田市久住支所3階)に確認して、訪れてみるのも良いのではないでしょうか?

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