第14話 ボスとの再戦はお好きですか?

 足裏に反発力を感じないのはこんなに不安になるものなのか。

 下から吹き荒れる風は火照った身体を冷まし、己が宙に浮いているかのような錯覚を起こす。

 しかしすぐに錯覚は現実によって殺された。

 勢いよく地面に叩きつけられ、衝撃が身体全体に伝わる。


「うぐっ……」


 だがどうしたことか。

 己の身体を包み込むように誰かがクッション代わりになってくれた。

 嗅ぎ慣れた匂いの持ち主。

 意識が一気に覚醒する。


「……大丈夫、か?」


「え!? なっ!?」


「怪我は無いよう、だな……」


 擦り切れるような声で囁くのは幼馴染だ。

 薄暗くて何も見えないが、すぐ目の前にいるのは彼だと分かる。


「ど、どうして!? わ、私、宝箱を見つけて、それで!」


「あれは、罠だ」


「そ、そんな!」


「どうやら……俺たちは、地下へ、強制転移させられた、らしい」


 暗闇に目が慣れてきた。

 周りには武装した者や白骨化した躯が横たわっている。

 鼠が足首をすり抜けた。

 食い散らかせられた肉塊はやつらの餌になったのか。


「ぐっ! がはっ……」


「あ、どうした――」


 のよ、と言い終える前。彼の身体を抱きかかえたその時。

 手に、腕に、生温かいべっとりした液体が付着した。

 網膜はありのままの映像を脳裏に映し出す。

 血、血、血、血、血、血血血血血血血血血血。

 枯れた泉から水が溢れ出るように、彼の赤黒く温かい液体が床に池を作った。

 さぁーっと血の気が引いた。

 現状や光景にではない。

 脳が彼を助けられないことを悟ったからだ。

 人間が一度にどれくらいの血を流せば死ぬのか、致死量と呼ばれるものがどれくらいなのか。

 そんなものは知らない。

 もしかしたら、何かすれば助かるかもしれない。


「げほっ、げほっ……うぐっ……」


 でも分からない。

 神官の魔法ちからは先ほど使ってしまった。

 薬品の類もない。

 ここから出て街まで帰れば。

 いや、そもそもどうやって帰るというのだ。

 ここは地下。地上へ帰る術も分からない。

 何も分からない。何をすれば良いかも分からない。分からない。分からない。分からない。

 目頭が熱くなる。

 自分は泣いてばかりだ。泣いて、何も出来ない。

 グッと膝を抓った。

 今一番辛いのは彼だ。そんな彼を差し置いて泣き叫ぶなど、有って良い筈が無い。

 決壊寸前の涙を堪えていると、左頬を心地よい手が覆った。


「大丈夫、か……?」


 虚ろな瞳はもはや焦点が合っていない。

 弱々しい右手を必死に宙に掲げ、幼馴染かのじょの顔に触れると、彼はぎこちなく笑った。

 安心させたかったのだろう。

 すぐにその手は重力に従い、地に落ちた。


 ―――許せない。


 ぷつんっと、己の何かが切れた音がした。

 彼女は天へと向かって叫ぶ。


「神でも天使でも悪魔でも何でもいい!」


 地下室内に黄色い悲鳴が響く。


「私に! 彼を助けられるほどの力をよこせ!」


 ケラケラと笑いながら、冥界に佇む悪魔が盤上を覗き込む。

 慈しむように、天空に坐する天使が彼らを見守る。


「欲しい物なら何でも持っていけ! 助けられるのなら命だって惜しくない!」


 青い宝玉は色を濃紫に変え、周囲の魔力を吸収し始める。この世界に神はもういない。いるのは骰子を振って遊戯を続ける者のみ。

 天使は彼女の願いを聞き入れる事は出来なかった。死す者を再び現世に呼び止めるは神代の古術だったからだ。骰子を振り、更に悲惨な出目にならないよう、彼らを見守る。

 だが悪魔は手を叩いて笑った。悪魔とて死す者を蘇らせることなど出来ない。だが、神官の天使側の者に骰子を振るなど、これ以上面白い事はない。出目が良くても悪くても、楽しいなら問題ない。

 「あっ」と天使は慌てるがもう遅い。

 骰子は遊戯の上を転がり始めた。


「GAAOOGROFJJ!」


 まず出たのは本日最悪の出目。

 地下に落ちて死んだ筈の巨人トロルは生きていた。彼の再生能力を甘く見ていた訳ではないが、地上からあの体躯で落下したのだ。即死していてもおかしくない。

 しかし、彼女にとってはどうでもよかった。

 トロルに潰された仲間は見て来た。叫ぶ暇さえ無く殺された仲間を、頭蓋事が胴体までめり込んだ躯を見た。

 しかしながら、それがなんだと言うのだ。


「だまれ……」


「GAGHHO!」


 視界はまだ回復していない。

 怒りに任せた一撃は床に散らばった骨を粉砕する。


「誰のせいよ……彼がこんな風になったのは、誰のせいだって訊いてんのよ」


 自明めいた問いかけに答える者はいない。


 盤上の骰子が再び回転を始める。

 悪魔は「お?」と声を上げ、天使は「わぁ」と驚いた。

 本日最凶の出目。

 賽は投げられた。

 ここから先は片道切符。戻ってくることなど叶わない領域。


 ―――それが、どうしたのよ。


 脆い希望、淡い期待。

 全て崩れ去った。

 掴み損ねた理想の刃は絡み付いてくる残像ごと己を容赦なく斬り裂いていく。

 手を伸ばせば伸ばすほど遠のく光を追うのはもうやめだ。


モルス……テッラ……」


 真に力ある言葉は世の理を塗り替える。

 彼女の無意識はまさに今、世界の真理へ干渉し始めた。


混沌カオス……破壊デーストルークディオ!」


 部屋中央に吹き荒れる風は彼の身体を覆う様に正起した。

 先に死んでいった者たちの衣類や人骨が巻き上げられる。

 巨体を誇るトロルでさえ、身動き一つ取れない。踏ん張るのが関の山。思わず得物を地面に叩きつけ、支点の一つとする。


「大丈夫か」


 聞き慣れた男の声が暴風の中、静かに響いた。

 不器用で頑固で強情、その上捻くれている者の声である。


「……人の心配する前に、自分の心配、しなさいよ」


 目からポロポロ涙が零れる。

 膝に乗せた彼の顔に当たって弾けるが、気に留める様子はない。


「心配を、掛けたな」


「本当よ。まったく……次からは、気を付けてよね」


「……そうだな」


 果たして、男は立ち上がった。

 傷は何一つ回復してない。

 歪な方向に曲がった腕からは血が滴り、脇腹からはみ出た臓物は視界の端に散らばっている。

 それでも動ける。身体が動く。

 なら問題など有ろうはずが無かった。


「あいつをる。下がっていろ」

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