誘い

 次の朝、熱は下がっており、身体の重たさもなくなっていた。喉の痛みは少し残っているがこれなら学校に行けそうだ。病み上がりということもあり、午後から登校することにした。のんびりと準備をし、昼前には家を出た。一人で駅まで歩きながら、ふと考えた。彼女にどうやってお礼を言うか。一昨日のように、部活終わりを待っていたら、また風邪をひきかねない。彼女を呼び出すには、勇気がいり、出来れば他の人とは話したくない。

 他にも、色々な方法を考えたが、答えが出ないまま学校に着いてしまった。今はちょうど昼休みの5分前だ。今から、職員室に向かって、教師に来たことを告げれば、昼休みになる頃合いだ。正門を入り、廊下を歩いていると、校庭でどこかのクラスが体育の授業中だった。こんな時間に、一人で歩いているところを見られると思えば、少し恥ずかしい感じもする。少しだけ歩く速さを上げ、職員室へと向かった。

 授業中のため、教師たちの多くは出払っていた。私の担任もどこかの授業に出ていた。周りにいた先生に言伝を頼み、職員室を出た時、チャイムが鳴り、昼休みに入った。


「心咲!」


 教室に向かう私に後ろから声がかかる。今、この学校で私のことを、心咲と呼ぶのは彼女しかいない。


「心咲、風邪大丈夫?もう学校来て良かったの?」

「うん、熱も下がったし、大丈夫だと思う。昨日は、ありがとう。わざわざ届けてくれて。」


「私のせいかもって思ったから、じっとしていられなくて。でも、元気になったならよかった。」


 心配そうに私を見ていた彼女も、私の容態を聞いて安心したのか、一昨日に見してくれたあの笑顔に戻った。


「ねぇ、今日、部活休みだから、また、一緒に帰らない?」

「私は別に良いけど、奏、私と一緒にいるところ私のクラスの子に見られたら、色々言われない?」


 彼女と話したいと思っていた私には、願ったり叶ったりだった。ただ、彼女らに目をつけられている私と一緒に帰っているところでも見られれば、彼女は手を出されかねない。私自身が虐められることには、我慢すればいいのだが、彼女に何かあった時に、私がどうにか出来る自信はない。


「大丈夫、大丈夫!これでも、毎日部活で鍛えてますから。」


 腕を組んで、胸を張るポーズをして見せた。私は、思わず笑ってしまった。頼りになるのか、子供なのかわからなくなる。私にとっては、この子供っぽさが妙に心地良い。


「お昼は?もう食べた?」

「来る前に食べてきた。」

「そっかぁ、残念。そしたら、また、放課後だね。教室に迎えに行くから!」

「わかった。」

「それじゃあ、教室で待っとくね。」


 私の言葉を聞き終わる前に彼女は駆けていった。そんなに私に構う必要はないのに。彼女には他の友達もいるだろう、どうして私なんかを気にかけるのか。私には、彼女に関する疑問が次から次へと増えていく。そんな疑問を抱えながら教室に向かった。私が来たことに、誰も気づかない。何事もなく自分の席に座り、いつものように次の時間の準備をした後、机に突っ伏していた。チャイムが鳴り、授業が始まった。始まっても何も、変わらなく、気付けば、放課後になった。

 彼女が来るというので、机に突っ伏して待っていた。変に、目立って、目を付けられるのは面倒だと考えた。突っ伏して間もなく、隣の教室が騒がしくなるのが聞こえた。そして、すぐに迎えは来た。


「心咲、帰ろ!」

「うん、今行く」


 彼女の声に反応し顔を上げる。予め準備していたカバンを持って教室を出ようとした。私を虐めていた子達はこちらを睨んでいる。私が彼女みたいな子と仲良くしているのが、気に食わなかったのだろう。彼女に迷惑はかけたくなかったので、目を合わさないようにした。そのまま、教室を後にし、並んで廊下を歩いた。


「あの子達、まだ、心咲に目をつけてるの?また、言おうか?」

「ううん、大丈夫。いじめられなくなっただけでもう十分だから。」

「ふーん。それなら、良いんだけど。」


 彼女の顔が一気に不機嫌になった。そんなにあの子たちが私を虐めるのがそんなに嫌なのか。駅に着くまで、彼女は終始不機嫌で、一言も話さなかった。なんとも言い難い雰囲気だ。これが気まずい空気と言うのだろう。何とかしたかったが、こんな状況になれていない私にとって、無理難題だった。駅で電車を待っている時、ようやく彼女が口を開いた。


「心咲、今日少しだけ時間ある?病み上がりだから、やめとこうかなって思ったんだけど、ちょっと話したいなぁって。」

「別に良いよ、そんなに体調悪いわけではないし。」


 実際に、昨日の体の辛さは無くなっていて、喉の調子も朝よりは良い。そして、何より私も彼女と話してみたいと思っていたところだった。


「良かった~。でも、しんどくなったら、遠慮せずに言ってね。」

「うん、そうする。」


 彼女の機嫌が少し直ったような気がする。その時、電車がホームに入ってきた。一番前に並んでいた私達は、降りる人を待って、乗り込んだ。この時間帯は、風丘高校の下校時刻と被ることから、電車はすぐに満員になる。いつもなら、一人で空いている席に座るのだが、今日は彼女がいるので、立ったままだ。電車が動き出すのと同時に人の波がどっと揺れた。吊革に掴まっていなかったので、そのまま倒れていきそうになった。その前に、彼女に肩を引き寄せられた。こんな少女漫画のような展開に、思わずドキドキしてしまった。そんな私に、彼女はいつもの笑顔を向けてくる。その笑顔を見て、不覚にも鼓動が早くなってしまった。


(落ち着け私…女の子にされて何をドキドキしているんだ。落ち着け、落ち着け。)


大きく息を吸い込み吐き出した、何度か繰り返すとだんだんと落ち着いてきた。あまりにも慣れないことをされると、こんなにも気持ちが昂るものなのかと、少し自分が怖くなってしまった。


「ごめん、ありがとう…」

「全然!」


 揺れが収まると、すぐに彼女の腕から離れた。次は倒れまいと、近くの吊革に掴まった。


「月山中の駅前に、甘いもの食べられるところない?なんか甘いものが食べたい気分なんだよね。」


 月山中の駅前は確かに多くの飲食店が立ち並ぶところだが、私はあまり利用することがない。利用するとしても、家族でご飯を食べに来るぐらいで、詳しくは知らない。確か、1週間前ほど、クレープ屋のチラシを配っていたような気もする。


「もしかするとだけど、クレープ屋さんならあるかもしれない。」

「そこ、行ってみよ!無かったら、他のとこ、探そ。」


 あやふやな情報を提供してしまったと少し後悔した。


「まもなく、月山中、月山中。」


 前にも感じたが、彼女と電車に乗ると、時間がすぐに過ぎていく。私達は、人の流れに沿って降りた。改札を出ると、運が良いことに、そのクレープ屋が、今日もチラシを配っていた。


「あれ、さっき言ってたクレープ屋のチラシだと思う。」


 配っているお姉さんを指さした。それを聞くと直ぐに、彼女は私の手を引っ張り、お姉さんの方に早足に向かっていった。彼女の目は、クリスマスプレゼントを開ける前の子供のようにキラキラしていた。


「このお店、どこにあるんですか?」

「ここの通りをまっすぐ行くと、左手に見えますよ。」

「ありがとうございます!」


 彼女は大きくお辞儀をして、お姉さんの指さす方に、また私の腕を引っ張り歩き出した。私の家の方角とは正反対側だ。私には、彼女みたいな積極性はない。ただ、ひたすらに彼女に付いていくしかないのだ。しばらく、連れられていると、人だかりが目に留まった。


「ねぇねぇ、あれじゃない?」


 足取りが一段と早くなった。近づくにつれ、列の長さがはっきりわかるようになった。

大体、十組ほど並んでいる。


「ほらやっぱり、ここだよ!」


 私達は、列の最後尾に並んだ。並んでいる最中も彼女は、そわそわしている。順番が近づいてくると、店員がメニューを持ってやってきた。メニューには、多くのクレープが載っている。彼女は、メニューを隈なく眺めてから、目当てのものを見つけたようだ。


「これ、これ!すっごくおいしそう!」


 指をさした先には、イチゴが沢山乗った“山盛りイチゴクレープ”があった。女の子らしいメニューを選ぶのだと思った。彼女のイメージが次から次へと変わっていく。だんだんと驚くこともなくなってきた。


「心咲は、どれにする?」

「うーん、私はこれにするかな。」


 “バナナクレープ”を指差した。特に、食べたいクレープはなかったが、無難なものを選んでおいた。彼女はまだかまだかと、時々列から顔を出し自分の番までの人数を確認している。5分も経たないうちに、順番は回ってきた。


「いらっしゃいませ~、ご注文はお決まりでしょうか。」

「え~っと、山盛りイチゴクレープとバナナクレープ一つずつください!」

「はい、山盛りイチゴクレープ、バナナクレープお一つずつですね、960円になります。」


 彼女が財布から、お金を出す前に私が千円札を出した。


「千円からのお預かりでよろしいでしょうか?」

「はい、お願いします。」

「ちょっと、心咲、私の分!」

「いいの、この前と昨日のお礼がしたかったから、私に払わせて。」

「でも…。」

「40円のお釣りになります。」


 彼女の言葉を遮るように、店員がお釣りを手渡してきた。彼女は、頬を膨らませながら、すねた顔をしている。そんな顔を横目にお釣りを受け取った。そのすぐ後に、クレープも差し出された。受け取ると、私達は列から少し離れ、食べ始めた。


「う~ん、イチゴあま~い」


 さっきまでのすねた顔はどこに行ったのやらで、満面の笑みだ。私も、自分のクレープを食べ始めた。少し私には甘いが、なんとか食べられそうだ。しばらく二人とも、無言で食べていると、私の目の前に、不意に頭が現れた。その瞬間、私のクレープがいかばかりか減っていた。彼女の顔には、満面の笑みがあった。してやったりと言わんばかりのものだ。急に、食べられたので唖然としていたが、徐に仕返しがしたくなった。彼女の口元からクレープが離れた瞬間に、私の口を持っていった。偶然にも大きいイチゴがあるところに噛みついてしまった。そのまま放すわけにもいかないので、イチゴごと、口に含み元の体勢に戻った。私もイチゴにすればよかったかなと思うほど、瑞々しく甘いイチゴだった。彼女の顔が今にも泣きそうになっていることに気付いた。


「そのイチゴ、楽しみにしていたのに~。」

「ごめん…。」


 とても悪いことをした気分だ。いくら仕返しとはいっても、これは自分でもやりすぎてしまった。果たして、彼女は許してくれるのだろうか、これで彼女を怒らしたまま決別するのか。そんな不安が急に襲い掛かってきた。


「心咲、ダメなんだよ、大きいイチゴはね、このクレープの主役なんだよ。罰としてまた、ここに付き合ってよね!」

「う、うん。わかった。」


 私の不安はどうやら取り越し苦労だったようだ。許してもらえたかどうかはさて置き、決別することはなさそうだ。それよりも、またここに来ることが罰なのだろうか、と気にはなったが彼女なりの表現だと思うことにした。

 私たちは、お互いのクレープをほぼ同時に食べ終えた。さっきまでは何も考えていなかったが、誰かと学校帰りに、寄り道をし、クレープを食べるなんて、人生で初の経験だ。何も変哲もない、同じ生活を繰り返すだけの人生の一本道に、新たな路が生まれた気がした。

 食べ終えたごみを捨て、帰路についた。一昨日とは違い、今日は、まだ明るい。二人で歩いていると、あの時と同じように、また肩がぶつかった。


「ごめん。私、また…。」

「今日は、まだ明るいよ。どうしたのかな~?」


 冷やかすような笑顔で私を見る。前は、暗さが怖くて、私の方から寄っていたが、今日は自分で、寄っていった自覚はない。もしかしたら、無意識に誰かに寄っていく性質があるのか。今まで並んで歩くことが無かったせいか、気付かなかっただけなのか。彼女に言われ、私が寄っていった理由を考えてみたが、冷静に考えれば彼女が寄ってきた可能性だってある。もし、そうだとしたら私のせいにされているのはなんだか癪だ。


「心咲、どうしたのかな~。すねているのかな?」


 彼女に癪だと思っていると、無意識にも顔にも表れていたようだ。


「別に拗ねてなんかないもん。でも、私が寄っていったとは限らないし。」

「心咲の方から、寄ってきてたよ?」


また、冷かすような笑顔、楽しそうな感じだ。私が、意固地になっていると見えたのだろう。確かに、自分でも少々意固地になっているという気はし始めていた。ふっと、息を吐き、冷静を装う雰囲気を出した。

 それからは、風邪をひいていた時の話や、趣味の話を少しした。彼女の趣味は、意外にも、お菓子作りだという。てっきり、バスケットボールかと思っていたが、それは彼女の中では、趣味ではなく、あくまで部活だそうだ。私の趣味についても、聞かれたので、正直に、ランニングと答えた。とても意外というような顔をしていた。彼女だけでなく、私の学校での様子を見たことがある人に、同じ回答をすれば、10人中10人が間違いなく、驚くだろう。私は、それほど、地味な見た目で、スポーツをするようには見えない。お互いに、見た目だけでは、判断できないということが分かったようだった。そんな話をしているうちに、私達は家に着いた。


(もっと、話したかった…)


 純粋にそう思った。私からしてみれば、急成長だ。初めは、人と話すことを嫌い、極力避けていたのだから。しかし、家まで着いてしまったら、それは話の終わりの合図だ。


「それじゃ、またね…。」


 自分でも、声のトーンが下がったのはわかった。彼女と話したい気持ちがそのまま、表れてしまったようだ。幸いにも、彼女には気づかれていない。


「そうだ、連絡先、教えてよ!」

「あっ、うん、いいよ。」


 急な提案だったが、嬉しかった。私の、メッセージアプリには、家族の連絡先しか入っていない。そこに、家族以外のものが入る。彼女に会うまでの私であれば、嬉しいと思うことはなかっただろうが、今は、素直に嬉しいと感じる。

 連絡先を交換したら、彼女はまた学校で、と言って、一昨日のように、楽しげに帰っていった。私は、その姿をじっと見つめていた。

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