第48話 葬送の礼

「おおーい、ラティア、生きてるか?」

 そのとき、バンデルツァルクスのドック内に男の声が響いた。ラティアが声の方へわずかに視線を移すと、バンデルツァルクスが見える。その砲塔の中から、上半身を乗り出すロナウがいた。ドルスもロナウを見つけた。

「ロナウ・ヘイズ、そんな所に隠れていましたか。申し分けありませんが、Sクオリファーは私が破壊します。あなたが、彼女を家族のように思っていることは存じていますが、チャーミングな見せかけに誤魔化されてはなりません。彼女は我々人智の及ばぬ破壊兵器にして怪物なのですから」

「なぁにを勘違いしてるんだ、おめぇは。そいつはなぁ、上官である俺をぶっとばしてフェムルト軍を辞めていった奴だぞ。そいつのせいで俺あ、左奥歯二本が欠けちまったんだ。そんなアマゾネスが家族だぁ? 馬鹿も休み休みに言え」

 ロナウは、手で振り払う仕草を見せながら唇をゆがめて苦笑した。しかし、ドルスに語る投げやりな言葉と裏腹に、ラティアに振り向けたロナウの両眼は、まばたきすらしていない。この一瞬を逃すなと、食い付かんばかりな視線が、懸命に何かを訴えかけている。

「いまだに口の中がうずくのを感じるんだ」

 ロナウが自分の頬を激しく平手で打ち据えた。

「そうだろう! ラティアっ?」

 ロナウの頬を打つ張り手の音が、ラティアの心へ響いた。

 緑の瞳に生気がよみがえる。目が大きく見開かれていく。

 体に、あの感覚がよみがえっているのに気付いた。ラティアはロナウの意図を悟った。

 心に、再び風が吹き上がってくるようだった。

 まだ戦える。戦えるんだ、生きろと。

 人の心が、疑似モノポリウムリアクターに働きかける。リアクターが再び出力を上げ、全システムの電圧が上昇していく。ラティアが立ち上がった。そしてドルスへ向き直った。

「ドルス、お前の検証に反論はない。私はS001L-Bに違いはない。自身の強大な力でフェムルトを支配しようとした邪さも、お前の言うとおりだ」

「ありがとうございます。分別が良くて助かります。多分に私的な理由が発端ではありましたが、公的な理由からも、あなたを処分しなければなりません。では、お覚悟を」

 ラティアはいや、と首を振った。

「反論はしない。だが、それでも私はお前に屈しはしない。私の生きる意味を、お前の歪んだ解釈になどゆだねはしない」

「私の……歪んだ、ですって? はて、それはいったいなんのことで?」

 ドルスに向かってラティアは問いただした。

「ドルス、聞こう。お前の最期の言葉を。伝えるべき誰かがいれば、それを私が伝え残そう」

「ほう、出ましたね。葬送の礼! パンゲアノイドを殺すときの、あなたの決めぜりふだ。それとも、何かこじつけの空論でも思いついて、死んで勝つつもりですか?」

 ラティアは口を閉ざし、じっとドルスを見据え、言葉を待ち続けていた。

「フー。まぁいいでしょう、冥土のみやげに私の言葉を聞きたいのなら、あなた自身へ伝え聞かせてあげましょう。あなたの存在そのものが常に私への問いかけとなりました。惜しむらくは、戦争とは無関係にお目にかかりたかったものです」

「戦争がなければ私は作られなかった」

「確かに。それは詮ないことを申しました。ですが、人間とは一体なんなのでしょうかね。あなたを見て、一層考え尽くせぬ疑問と思いました。では、そろそろよろしいですか?」

 ドルスがゆっくり拳を振り上げた。

「ありがとう、ドルス。お前の言葉、しかと胸に刻んでおこう。私も生涯、自身を問い続けていこう」

 次の瞬間、ロナウは砲塔内へ飛び込んだ。トレーサSCCを放り捨て、両耳を手で塞いだ。

 ラムナック要塞の全システムは、ドルスによって奪われていた。しかし、ロナウがバンデルツァルクスのシステム回線を奪い返していた。バンデルツァルクスが、再びラティアと統化していく。巨大空中戦艦バンデルツァルクスはラティアになっていた。

 砲塔が軋みを上げて急旋回すると、ドルスの目が驚愕に見開かれた。

 ドック内へ砲撃音が轟き渡る。

 直撃を受けたドルスはドックの壁毎粉々になって吹き飛んだ。

 

 ボギーが心配そうにラティアを見下ろしている。そして気難しい表情をしたロナウがいる。

 砲撃の爆風をまともに受けたラティアは、壁を背に床に座り込んでいた。マントも千切れ、全身砂ぼこりと爆煙のすすにまみれている。手足を投げ出し、頭も左へ傾げかけていた。

 ロナウが傍らに落ちていたラティアの剣を手にしていた。

「父祖伝来の、そしてラティア・メルティの剣だ。大事にしな」

 ロナウはまだ半ば放心状態でいるラティアの腰の鞘へ、剣をゆっくり収めた。

 ラティアの右足に、ロナウの両手が添えられる。

「ふくらはぎ辺りが曲がっちまってる。これじゃあ、まともに歩けねぇな」

 ロナウは粗く鼻息を吹き鳴らして、ラティアへ振り返った。怒っているような、それでいてまるで人ごとのような、不思議な表情でラティアを見据える。その見つめられる視線にいたたまれず、ラティアは視線から逃れるように尋ねた。

「ロナウさん、あなたは本当にゲリラに加わっていたの?」

 いきなりロナウがラティアの頭をぺこんと叩いた。ラティアの髪から砂埃が舞い上がる。

「な、何をするの……」

 力なくラティアが抗議する。ロナウはもう一度ラティアの頭をぺこんと叩いた。

「なっちゃいないよ、お前は。ダメダメだ。俺がゲリラだぁ? 馬鹿も休み休み言え」

「そ、それじゃぁなぜここに? ゲリラと通信していたあれは……」

「スフェーンKを一目見れば分かるだろうが! 真正面から説教すりゃ、どんどん反発していくひねくれもんだ。昔のお前みたいにな」

 ロナウは不機嫌にラティアを見据えていた。吐き捨てるような言葉には怒気が含まれ、今にもまたロナウの拳が頭へ飛んでくるような勢いだった。思わずラティアは不自由な右足を折り曲げ、居住まいを正した。目をつぶり、身を縮め硬くなっている。

 ただ、ロナウの拳は飛んでこなかった。

「だがまぁ、頑張りに免じて百点満点中二十点だけ付けてやるよ」

 そっと目を開けると、ロナウはいつもの飄々とした顔に戻って顎ひげをまさぐっていた。

「さぁ、ヤメヤメ。とっとと帰ろうぜ」

 ラティアは口を開きかけて、ただしそれ以上は止めた。ロナウにもっと聞きたいことがあった。けれどもこれ以上は、自分の浅いことをさらすだけのような気がして聞けなかった。

「ロナウさん、そんなことないだろ!」 

 突然、ボギーがロナウの前に出て食ってかかった。

「ロナウさんはラティアが戦ってるところを見ていないからそんなこと言うんだ! 大体、ロナウさん、テロが起きてからどこへ行ってたんだよ! ラティアは道玄坂で大勢の怪我した人たちを助けて、廃坑にいたゲリラたちも全員助けたんだ。その間にロナウさんが何をやったのか言ってみなよ! ロナウさんが誰かを助けたのかっ? ゲリラと戦ったのかっ?」

 ボギーが居住まいを正してうなだれるラティアを見て、味方をしてくれている。

 今日はボギーに何度助けられたことか。今も自分をかばって本気で怒ってくれている。

 その後ろ姿を頼もしく感じる。けれども今はロナウが正しい。ボギーは感情的になりすぎているし、細かな事情を知らない。実際のところは、ロナウがスフェーンKの活動を鎮めようとしていたところを、結果的にラティアが新渋谷へ来てぶち壊してしまっていたのだから。

「ありがとう、ボギー。でもいいの。ロナウさんはもっと根本的なところでゲリラたちを抑えようとしていたんだから」

「よくない! ラティアは一生懸命やったんだ。それなのに偉そうに点数付けなんかして、何様のつもりだよ!」

 ボギーが真剣になって怒る背後で、ラティアはこっそりロナウへ向けてごめんなさいと片手拝みに苦笑する。ロナウは口元を横一文字に広げ、うんざりした表情を浮かべた。

「やれやれ。しおれた女は得だよなぁ。それに比べて、おぢさんはいつでも煙たがられる」

「真面目に答えてよ!」

「へいへい、負け負け。おぢさんの負けですよぉ。仕方ねぇなぁ……」

 ロナウがボギーを押しのけ、表情を改めてラティアに向き直る。腰を下ろし、ラティアの右手をとると彼女の指先をそっと握った。

「なぁ、ラティア。いい加減に帰ってこい」

 唐突な言葉に、ラティアは呆気にとられた。そんな言葉が、自分にかけられるなどと。いやそんなはずがない。ただ、それでもその言葉に惹かれてしまう自分がいて、狼狽して、動揺が論理演算を狂わせてしまって。

「帰ってこいって言ったって……どこへ? ……私、人間じゃないし……あ、でも……」

 意図しない言葉が口から勝手に出てしまった。容易に口にできない自分自身の恐れを漏らしてしまい、またそれを取り繕おうと頭を巡らせ、さらに頭の中は混乱している。

「人間は一人でいちゃいけないんだ。一人きりは心がゆがむ。あのサイボーグのパンゲアノイドのようにな。あいつ、あれでも死ぬまで自分だけはまともだと思ってたはずだぜ。けど、周りから見たら……なぁ、お前にだってわかるだろ?」

「……私が……私もいつか、ドルスのようになるってこと?」

「さぁなぁ。お前なら心配要らないかもしれないがな。それでも帰ってこい、俺の所へ。ときには喧嘩したっていいじゃねぇか。ボギーと三人で一緒に暮らそうや。なぁ?」

 そう告げられ肩を揺すられると、もうまともにロナウの顔を見ることができなかった。

 ラティアは嗚咽をこらえようと、手を口元に当てた。

 ここに、自分を心から想ってくれる人がいる。自分へ心を通わせようと手を差し延べてくれる。また一緒になることができる。ラティアはロナウの手を包み込むように握り返していた。


 うれしい。


 ロナウが黙って肩を揺するたびに、ラティアの視界はあふれる涙でにじんでいる。ロナウはラティアを促し立たせると、背をラティアに向けた。

「あ、ちょ、ちょっとロナウさん……?」

 ラティアが慌て両目を拭っているうちに、ロナウがラティアを背負いあげようとする。

 傍らでボギーも、何をやってんだあんたはと口をあんぐり開けている。

「ほれ、お前も手伝え! ラティアを押し上げろい!」

「手伝えったって、俺が……」

「俺が、なんだあ? なに、おぢさんが良いとこ取っちゃったってえ? じゃあ後で交代しておんぶさせてやるよ」

「べ、別にそんなわけじゃないし……」

 ぶつくさ言いながらラティアをロナウの背に押し上げへまわりだす。

「ちょっと、嫌だったらこんなの……私、重たいのに……」

 押し上げられた背中からラティアは無理に降りようとするが、ロナウはラティアを背負い直して逃がさない。

「砂ぼこりが舞い上がる。暴れるな、大人しくしてろい!」

 ロナウはもう聞く耳持たずで、むすっとして唇をゆがめている。

「まあ良かったじゃんか。お姫様みたいにしてもらってさ」

「そんなんじゃ……お姫様なんかじゃ……」

 少し不満顔にボギーが告げると、ラティアは混乱しながら髪を指先でいじり、顔を赤くしていた。

 三人がドックを出ていく頃には、陽が西の水平線にさしかかっていた。風に千切れ飛ぶ灰色の雲は、縁をすみれ色と桜色に淡く染め、空はゆっくり朱色へと染まっていった。

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