第11話 ファームアップ、地上へ

『ラティア、バイパス回路の迂回リプログラミングができた。走らせるぞ』

「チェーホフさんお願いします」

『行けるか、ラティア?』

「OK。でもまだよ。まだ、待って……」

 ラティアの静かな声に、シェルター側は皆顔を見合わせていた。

 もうラティアは動けるはずなのに。日が高くなれば気温も上がる。寒さに弱いパンゲアノイドに有利なコンディションを提供してしまう。早くしなければ敵が狭いクアラ峠の隘路から抜けてベルトーチカ盆地へ押し出してくる。元から戦力比は比較にならず、人の利などない。この上、天の利、地の利を捨ててまで何を待つのか?

『ラティア、ひょっとして無理なんじゃないのか?』

「今はまだ戦えない。今はまだ……」

『お前の頭部量子プロセッサの処理能力を使っても一晩かかるのはただ事じゃない。俺が想像するに……』

 薄暗いシェルター内でチェーホフはラティアへ問いかけていた。凍える室内にあって吐く息が白く見えるが、その表情は気温以上に、ラティアへの懸念で心を凍り付かせているようだった。途端、チェーホフの手にする端末にラティアからパーソナルメッセージが届く。

『お願い! 私の身体がボロボロなのを言わないで! 私はみんなの希望なんです。私がもう戦えないなんて、これっぽっちも思わせたら、それがフェムルト共和国中に知れ渡ったら、みんなくじけてしまう。そうなったらもう立て直せない。でもまだ、私は手を打っている。戦えます。お願い、待って!』

 テキストコードにラティアの必死の訴えが書かれている。

 チェーホフは目をつむり、腕組みをした。

「チェーホフさん、ラティアは何を伝えてきたんです?」

「何でもない。お前が気にすることじゃない」

 ボギーの問いかけにも返したのはそれだけだった。

「いや、教えて下さい。ただ事じゃないって、ひょっとしてもうダメなんじゃないですか?」

「そんなことはない。今もチューニング作業中だ」

「でも今、一晩かかるのはただ事じゃないって……」

「可能性がある限り不可能とは言わない」

 ラティアを迎え入れたときの険しさとはまた違った難しい表情をしている。わずかに動く口まわりが心中でせめぎ合いをしているかのようだった。

「あいつ、そんなダメな状態で来たのか」

 ボギーも悟ったようだった。

「あいつ、無理に無理を重ねて。なんでそこまでするんだ……やっぱり死ぬ気で来てるんじゃないか……」

 ボギーは肩を落としていた。チェーホフが目を見開いた。

「奴は言っていたよ」

 チェーホフが独り言のように語った。

「機械になった自分を人間として、仲間として認めてもらいたい。だから戦うんだと。人間を、仲間を守るために。それができなければ生きている意味をなくしてしまうとな。バカバカしい! 頭でっかちな小娘が、嘘っぱちなご託を並べやがって。あっという間に少佐へ昇進して。誰が認めるかって思っていたよ。俺たちは」

「まさか、ラティアを妬んでいたんですかっ?」

 ボギーは瞬間、かっとなって叫んでいた。

「いや、違う。恐怖だったんだ。なんであんなものを作ったという恐怖だ。心の奥底に沸き上がる恐怖が、あいつを本能的に遠ざけようと、間近にいる恐怖から逃れようとな。その裏返しで奴へ嫌がらせをしていたよ」

 ボギーのにらみ据えた視線が戸惑いへ変わる。チェーホフは変わらず静かだった。

「しかし、この絶望的な状況で、この基地へ来たのはあいつ一人だけだった。全フェムルト共和国の中から、あいつ一人だけが来た。あんなボロボロな状態でも。あいつは本心からそう思っていたんだ。しかし俺はこの期に及んで。何をやっていたのか……」

 チェーホフの目が真っ赤になっていた。皆が、チェーホフの周りに集まっていた。ボギーは問いかけた。

「チェーホフさん。ラティアはラティアだ。大陸間弾道弾を撃ち落とすような破壊力は凄まじいけど、あいつは本当は地味子で、おとなしい子です。恐怖なんかであるはずがない。仲間になってやってください」

「そうか。お前はあいつの味方をするか」

「当然です。子どものときから知ってる。そして今はフェムルト軍の仲間じゃないですか」

 チェーホフがうなずいた。ただ、真っ赤になっていた目がかすかにボギーへ非難の色をも混ぜていた。

「分かったよ。奴の心根には俺も感じ入ったんだ。奴をどうこうは言わない。奴を信じるまでだ。だがなボガード、言っておこう。あいつの味方をするのなら聞いておかねばならん。知っていると知っていないでは話が違うだろう。お前の知らないラティアを俺は知っている」

 チェーホフが決心し、ボギーへ、周囲へかつてのことを語り出していた。


「来た! 間に合った!」

 ときを同じくして、ラティアは歓喜の声を上げて空を見上げた。地下で何も見えないが、ファイルが送信されてくる方角を、空を見上げようとした。その声は地下シェルターへも響き、チェーホフが問い返した。

『ラティア……これは、どういうことだっ?』

 チェーホフは目を見張った。ラティアと通信していた携帯端末上に新しいウインドウ画面が開き、プログラムコードが流れるように表示されていく。それはラティアへファームウエアのアップデートが始まったことを表していた。

 空のかなた、宇宙からの通信衛星がラティアへ向けて最新のファームウエアを転送、ダウンロードしている。ラティアはチェーホフに呼びかけた。

「チェーホフさん、これが私の切り札になる。テトラが間に合わせてくれた。でも、今のボディパラメータヘチューニングが必要なの。お願い! 敵が攻勢に出てくる前にファームアップを急いで。早く!」

 チェーホフはうなった。

『第四知性体かっ? これは俺に理解できる代物か?』

 第四知性体テトラの人工知能は人間を超越している。何より、未だ人間には全てを理解できないクオリファー技術を開発したのがテトラだった。そのテトラが組んだファームウエアなど、即興で理解できるはずがない。

「大丈夫。通常のメンテナンス仕様範囲にまで落とし込むよう、これでもかってくらいに念押ししてあるから」

 チェーホフは端末を操作しだした。

『俺のおつむレベルまで仕様を作り替えるのは、さぞ大変だったことだろう……』

 チェーホフはどこの部署だろうとトップを張れるエンジニアだった。それでもテトラは、人間を超えた真の知性。テトラの作り出すシステムは、どんなエンジニアでも自信を持って理解できると言えない。ともかくも今は皮肉を言いながらもチューニング作業を急いだ。

「チェーホフさん出撃します。五分以内でチューニング、行ける?」

『……やっている。待ってろ! すぐだ!』

 ラティアは埋もれた地中でゆっくり右肘を曲げた。

「OK。リアクター回転に支障を来すレベルのノイズはない。バイパス設定問題なし」

 そのまま右肘を上へ持ち上げた。少し土砂を掘った先、ひやりとした硬い構造物があった。

「……重い……コンクリートの構造物ね。哨戒塔か五階建て司令塔の残骸か?」

 ラティアは手の平を広げ、上部構造物を握った。

「疑似モノポリウムリアクター、出力up。腕部能動有機金属錯体を電化、硬度最大!」

 電化し、高強度化した指先がコンクリートを握り粉々に崩した。さらに左手も突き立て、コンクリート内部の鉄骨をつかみ、無反動で引き寄せねじり引き千切る。

 両腕を左右に引っぱりコンクリートを砕き、裂いた。さらに右、左とコンクリートを突き崩し、身体を伸び上がらせる。

 地上へ!

 コンクリートを突き崩し、現れる鉄骨をつかみ力任せに引きちぎり、ラティアは地下から一歩二歩と踏み上がる。最後に倒れていた哨戒塔全体に亀裂が入り轟音とともに砕け、ごろりと転がった。

 沸き上がった粉じんが薄れていく中、ラティアが立ち上がる。

 見回した先、遠くに地下シェルターから上がってきた人たちの姿が見える。

 ラティアはフレームフォンへ指示を伝える。

「ラティア指令! ジェットスライダー、ここへ!」

 ラティアの通信指示を受けると、ジェットスライダーの人工知能が感応した。ジェット噴射を上げ、ラティアの抜け出た穴を追って地上へ飛び出してきた。

「ジェットスライダー、機能に問題はないか?」

「機能正常です、マスター・ラティア」

 ラティアはジェットスライダーのビンディングに両足をセットすると軽く推進させ、皆の方へと移動した。

 チェーホフにボギー、そして基地の全員が地上へ出てきている。

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