8章 女装ゲーム実況者の俺、24時間配信に挑む その5
※あらすじを変更しました
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
部屋に戻ると、まな子部屋の真ん中に横たわっていた。俺が下駄を脱いで畳を踏みしめても気付く様子はない。
近づいていって、顔を覗き込んでみる。。
てっきりいびきをかいて口の端に涎を垂らしているようなタイプだと思っていたが、寝顔は可愛らしく、口の隙間から微かな寝息を立てているだけだった。
布団を敷いてやろうかと考えたが、とても気持ちよさそうな寝顔を見ている内に『まあ、後でもいいか』と思い直した。
寝る前にまた湯船に浸(つ)かりたくなり、部屋に隣接してある脱衣所へと向かう。
個室に温泉が一つついてて本当に助かる。女装していても、いつでも気軽に入ることができる。普通の旅館じゃはこうはいかないだろう。
ウィッグを取り、その隣に下着を置き、隠すように浴衣、紅い帯の紐の順に乗せた。
鏡を見ると男の自分が立っていた。
不思議な気分だった。以前まではそうではなかったが、今はこうして男の自分を目(ま)の当たりにすると違和感が胸の内に生じる。
どうして俺は生流(おれ)であり、セリカではないのかと。
彼女の方がもっと上手く生きることができたのではないか? 誰も悲しませず、今頃プロゲーマーとして世界に名を馳(は)せることができたのではないか……。
ふとさっき希雨唯から聞いた井戸の話を思い出す。
過去に戻るタイムマシン。
そんなものがあるなら、きっと俺は生まれる前に戻るだろう。
生前に辿(たど)り着いたら、自分ではなくセリカが生まれるようにする。
俺は彼女が生きていく様子をただ眺めていればいい。その方がよっぽど幸せに慣れたような気がする。
へくちっ、とくしゃみが出た。
いかんいかん、このままでは風邪(かぜ)をひいてしまう。夏風邪はタチが悪いし、ゲーム実況者は病気にかかった時のダメージが他の一般職に比べていささか大きい。体調管理が何より大事な仕事なのだ。
俺はハンドタオルを手に、急ぎ浴室に入った。
白い湯気がもうもうと出てきた。温泉の香りがする。腐った卵と言われることが多いが、俺はこの匂いが嫌いじゃなかった。
濡れたタイルをぴちゃぴちゃ踏みしめて椅子に腰を下ろし、軽く体を洗った。
それから屋内の温泉に足からゆっくりと入る。
露天風呂もあるが、今はたださっと湯に浸かりたいだけなのでこっちにした。
夢咲家の風呂も足を伸ばしては入れるぐらいに広いが、やはり温泉となると違った。夏場であるにもかかわらず、体が火照っていくのが気持ちいい。暑さにやられた心が潤いを取り戻していく。心なしか肌がすべすべになってきているような気もした。
肩まで湯に沈めて、ふうと一息。
忘れていた疲労が顔を出してくる。
思えばここ最近、こうして一人でゆっくりする時間があまりなかった気がする。いつも胸中が悶々(もんもん)としていたり、苦い後悔に苛まれていた。
たまには何もかも忘れてこうしてリラックスするのもいいかもしれない。時にはこういう心身の休息が人間には必要なのだろう。それを忘れるとうつ病を発症し、最悪希死念慮(きしねんりょ)に襲われることになる。先日の俺のように。
とはいえ、人というのは往々(おうおう)にして自他問わず心の推量を誤(あやま)るものである。定期的に長期休暇をもらいリラックスしに行く――それを習慣化することができればいいのだが、忙しい現代人はなかなかそうはいかない。
ぼうと『エデン』時代のことを思い出す。
そういえば俺は、あのチームの所属中にも何度か鬱になりかけたが、その度(たび)に仲間に助けられていた。特にハルネや真古都に迷惑をかけたっけかな……。
過去を回想しようとした、その時だった。
カラカラカラカラーー
突如として、浴室の戸が開かれた。
見やると、ハンドタオルを腕にかけた夢咲が入り口に立っていた。
バッチリと目が合う。
ジョン・ケージが作曲した4分33秒――全てが無音で構成された唯一無二の音楽である――のような状態が続く。
白い湯気に包まれているせいで身体の一部を見ることは能(あた)わなかったが、それでも今夢咲が裸であることはヘソや腰、腿などが布に覆われていないことから容易に推測することができた。
やがて夢咲が口をパクパクさせた後、掠れた声を出した。
「なんで、生流サンが?」
「いや、それはこっちのセリフだが……」
再びの沈黙。
そして。
「――きゃっ、……キャアアアアアアアアアアアッ!」
今更のように夢咲が悲鳴を上げた。
●
「つまりこういうことなのです?」
座布団の上に正座したコイズミが小首を傾げながら言った。
「あけちゃんがたさいさんは部屋から出ているものと勘違いして、それを真に受けたゆめちゃんはお風呂にいるがみーだと誤解して入ったと」
「しっ、仕方ないじゃないデスカ! 先に戻ってるってコイズミサンが言ってたからミーはてっきり……」
「ごめんなさいなのですよ。でもほら、お泊(とま)り会ににラッキースケベはつきものなのですよ」
楽しそうに笑うコイズミに、夢咲はそれは深いため息を吐いた。
俺は正座した格好で彼女に頭を下げた。
「すまん、本当にすまんっ! 女装なんて紛らわしいことしてなければ、帯の色を見れば一目でわかっただろうに……」
「い、いえ。生流サンは悪くないデスヨ。ただ温泉に入ってただけなんデスカラ」
「でも……」
「一番悪いのは我であろう」
その声に見やると、まな子が気まずそうに俯(うつむ)いていた。
「生流伯爵が外に出ていたと言ったばかりに……」
「まな子サンも悪気があったわけじゃないデスシ……」
「はい、はい。そこまでなのですよ」
手を打ったコイズミがぐるっと場にいる全員を見回して言った。
「誰も悪くないのですから、みんな謝る必要ないのですよ」
「……そういえば、どうしてコイズミサンは部屋にいなかったんデスカ?」
「え? あー、その……」
少しの間言い淀んでいたが、六本の視線を一身に受けてさすがにごまかしきれないと悟(さと)ったのだろう。頭を掻きながら言った。
「旅館で肝試しがしたいって、お婆ちゃんに頼みに言ってたのですよ。結局、断れてしまったのですが……」
俺達は一旦顔を見合わせた後、コイズミに向き直り
「お前「コイズミサン「コイズミ女史「が一番悪い」デス」であろう」
三つの声がきれいにハモった瞬間だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【次回予告】
冬鞠「年を取ると肩が凝って、もう本当に辛いですよ」
真古都「まだ冬鞠はんは十分に若いやないの」
冬鞠「鳳来院さん、と言いましたっけ?」
真古都「え? ああ、はい」
冬鞠「あなたもねぇ、あと数年後にはきっとわかりますよ。体力の衰えに集中力の低下。物覚えはどんどん悪くなって、髪はみるみる白くなっていって、自分が老人になっていくのを刻一刻感じる恐ろしさを……」
真古都「あ、あは、あはは……。う、うちはまだ若いさかい……」
冬鞠「……次回、『8章 女装ゲーム実況者の俺、24時間配信に挑む その6 ~Side:Yumesaki~』です」
生流「どうしたんだ、そんなに震えて。寒いのか?」
真古都「な、なんもないで。ほんまに……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます