第33話 冬に炬燵で濃厚アイスを頂く背徳感に似て(1枚目17日目・7月8日)
そろそろ点状の付着した染みが気になるようになってきたが、それは付着親しみというものかもしれない。
そして、次第に広がる大雨の被害に不安と諦観を持ちながら構える自分を認識する。
昨晩は下通も少し冠水したという話を耳にしており、こうした日々の連続に自分の感情を整理する必要性に駆られる。
だからこそ、静かに息を吐いてマスクを水に浸す。
そして、手を静かに差し入れた。
七八と聞くとまずはゴローという言葉が頭をもたげる。
この瞬間に背の高い中年男性が出てきては消えてゆくのであるが、そのせいか、やや食欲が増している。
そうなると、再び飯の話を考えたくなるのであるが、あえて梅雨時期から夏にかけての鍋について思考が伸びてしまう。
暑い時期に鍋をやるとは気でも違えたかと訝しがられそうであるが、決してそのようなことはない。
暑い時だからこそ熱さが身に染みるのであり、そこに重厚な旨味を湛えるものであれば身体は歓喜を持って迎えるものである。
さて、梅雨時の鍋といえば一度紹介したことのある湯豆腐はたまらない。
近年は梅雨といえども蒸し暑さが極まるが、それでも雨が長引き少し濡れて帰ろうものなら体の芯が温もりを求める。
そこに大根と鶏皮と豆腐の柔らかさが喉を抜けると、見事に酒を進ませる。
燗酒が旨いというのは幸せである。
また、夏といえばすき焼きが旨い。
小鍋にて豆腐に青菜を入れ、肉を加えてさっと煮込めば私の顔を綻ばせる逸品となる。
この時の肉はちと背伸びをして贅沢にやるのが良い。
夏に向けた精をつけるのに鰻を食べるのが土用の在り方の一つであるが、このような在り方も酔狂でよいではないかと思う。
これに合わせる酒は冷酒も良いが、樽酒の冷やも良い。
キムチ鍋はここまでの穏やかな流れを断ち切るものではあるが、辛味が夏を鮮やかに彩るのは言うまでもなく、その後に爽快を残すのがよい。
汗だくになりながら掻き込み、それを麦酒やウィスキーソーダで迎えれば旨味だけでは味わえぬ世界に浸ることができる。
すき焼きと同じように生卵を絡めるのも良いが、半熟になったところを潰して絡めるのも愉しい。
そして、豚肉とニラでやるしゃぶしゃぶはその上を行く。
昆布出汁と大蒜を入れた鍋の中へ、親の仇のように豚肉とニラを入れ、灰汁をさっととってからおろしポン酢でやる。
これほどに麦酒を勧める鍋を私は知らない。
単純であるが故に野生を思い出させるこの鍋は、何度私の夏バテを救ってくれたことだろうか。
冷たい水より手を引く。
毒を以って毒を制すではないが、熱さを以って暑さを制すのは昔からの在り方なのかもしれない。
そう独り言ちして、エアコンのスイッチを入れ、私はマスクから冷ややかな目を向けられた。
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