第22話 それでは、ごきげんよう(2枚目11日目・6月26日)

既に酔っている。

明朝が比較的にしても早いため先に飲んでから色々と片付けに取り掛かったのであるが、飲んだ後でもやるべきことは変わらない。

いつも以上に慎重な手洗いが必要なのであるが、飲んで帰ってからの手洗いもあったため、手慣れたものである。

たた、飲むと色々な思考力が低下してしまうのでそこだけが毎度のように心配なのであるが。


今宵は既に政見放送やら日本文化やらのひどい話を出してしまっている。

それをもう少し考えてみてもいいのであるが、今回は一昨日の創作論の端性として拙著の裏側を覗くことにしたい。

というのも、拙著の中で「文和帝国興亡の歩み」についてあまりにも他の作品とはかけ離れたものであるから、少し思索したいと思ったまでである。


元々、私が小説を主戦場とすることから逃げて詩や随想に走ったのは先に述べたとおりである。

ただ、小説を全く書かなかったわけではなく、書く練習をこなしていきながら自分なりの書き方を切り開こうとしていた。

その際に練習として書き続けたのが旧作の「辻杜先生の奴隷日記」なのであるが、これから戦略シミュレーションのような部分を抜き取ったのが本作である。

同機は純粋に史書のような形で物語が書けないかというものであり、形式を見れば気付かれる方もいらっしゃるかもしれないが、塩野七海氏の「ローマ人の物語」を多分に意識して書いてある。

とはいえ、私の書くものはあくまでも架空の歴史であり、さほどに考えることなく書けるだろうと高をくくっていた。

が、蓋を開けてみれば心情の記述が非常に難しいことに気づかされ、さらには、これを書くと他の作品も書き方が引き摺られてしまうというおまけがついていた。

そのため、長らく書き溜めながらも書く際には大きく感覚を開けるという奇妙な作品となってしまった。


さて、この作品の厄介なところはいくつかあるのだが、それは同時に創作上の刺激ともなる。

そして、その最たるは歴史書上の人物として描きながら、その人物造形はそれなりに確かにしなければ書けないという点である。

どのような人物であるのかを考えたうえでなければ、その人の成した戦いも政治も失敗も何一つ進まないのである。

これは恐ろしい作業なのであるが、時代が進むにつれて登場人物が変わるという歴史の宿命のため、これをその度に繰り返す必要がある。

また、敵国との戦争が始まればその国の特徴から巻き込まれた国、その将兵、軍の在り方、社会制度、地理など考えるべきことが非常に多い。

しかも、それにのめりこみすぎると「編纂」作業が止まってしまう。

全く以て割に合わない作品なのであるが、楽しい作品でもある。

だからこそ、苦しみながらも書き続けている。

ただ、これを楽しみにする人は少なかろうということも分かっている。

壮大な趣味の産物なのであるが、趣味の中にさらに趣味があるというのは何とも笑い種である。


マスクが水から引き上げられ、静かにその身から水分を捨てる。

久方振りに戦略シミュレーションに手が伸びそうになり、止めた。

翌朝は早いのである。

最大限の理性を以て、私は文明探究の腐海に陥るのを拒んだ。

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