第20話 創作論の捜索(2枚目10日目・6月24日)

梅雨の晴れ間は瞬く間に終わり、再び雨が街を覆うようになった。

梅雨時に雨が多いというのは自然の摂理なのであるが、あまりに続くとコインランドリーと懇ろな関係になる必要があるため困りものである。

マスクは室内干ししているために関係ないのであるが。

今宵は久しぶりに雨の音を聞きながらの洗濯と洒落こもうではないか。


そういえば、私の知り合いが新たに文芸創作を始めると耳にした。

前から彼には話をしていただけに、悪の道に引きずり込んでしまったのではないかという小さな申し訳なさが頭をもたげた。

しかし、引き込んでしまった以上は先達として何か伝えられるものを用意しておくべきではないか。

そこで、拙いながらも続けてきた私の創作の流れを振り返ろうかと思い立った。


そもそも始まりは高校時代に文芸部へと入部したことに起因するのであるが、それまで確と文章を書いたことなどはなかった。

今でこそ原稿用紙四枚というのは短いと感じてしまうようになったのであるが、当時は読書感想文を夏に書くのは途方もない作業であった。

ただ、文芸部に入った以上は何かを書かねばならぬ。

特に、部員の少ないながらも総合文芸誌を目指した母校の文芸部では種別にかかわりなく創作する必要があると踏んだ。

そこで、ずぶの素人の恐ろしいところなのであるが、文芸評論を除くすべての文章を書いてみることにしたのである。

県内の他校の文芸誌を読んでみると小説がその大部分を占めていたが、私は主戦場を詩に定めた。

加えて、随想。

小説も書くことにはしたのであるが、まずは練習小説としていろいろな表現を試す長編小説を非公表ながら書き進めた。

これが「辻杜先生の奴隷日記」の原書なのであるが、これについては改めて語ることにしよう。

話を戻すと、ここでの選択は単純に私の及び腰が生んだものである。

相手が少なければ多少のお茶目も許されるだろうと目論んだのだ。


この詩と随想を主軸に据えて書き進める中で、私の中での創作論のようなものが一枚ずつ積みあがっていくのだが、当時の私は旺盛に色々な挑戦をした。

その中でも大きかったのは、口語定型詩と随想への短歌俳句の挿入である。

国語の授業の中で定型詩は稀なものであるということを習ったはずなのであるが、それにあえて挑もうとしたのは天邪鬼としての血が騒いだのであろう。

この成果が音読しながらの詩の創作に繋がり、創作時間を容赦なく引き伸ばすこととなる。

未だに定型的な部分を意識しながら創作することが多々あるが、口ずさんでの心地よさを散文にも求めることがあるのは困ったものである。

一方、随想に短歌を挿入したのは古文の影響によるものであったのだが、これに八百文字という字数制限を加えて完成した形が私の「徒然なるままに」シリーズである。

今は字数制限を増やすなどしているが、この形ができたのは高二の初めではなかったか。

どのような形にせよ自分の中で一つの型が生まれたというのは自信につながる。

あとはその過信の旗の下に突き進むだけであり、旺盛な創作意欲がそれを支えた。


大事なことはここではないかと思う。

自分を信じながらそれを高め合わせてゆけば、趣味である限りは続くものになる。

趣味である限りは、であるが。


マスクを干場に掛けて二十日目の夜を終える。

我ながら恐ろしいことを考えたものであるが、これはもう一つ考えてみても良いかもしれぬ。

話を長々と続けるのは野暮ったいかもしれぬが、元々が野暮に始まる文。

これくらいの茶目っ気は良いだろうと少し笑った。

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