第14話 三日坊主の天才とは私のこと(2枚目7日目・6月17日)
今宵は平日の夜ながら久しぶりに強かに飲んだ。
行きつけのバーに帰りに立ち寄ったのだが、どうしても酒が進んでたまらない。
蒸気した手を水に浸すとたまらなく気持ちよく、我ながらこの習慣の虜になりそうで怖い。
そのような戯れを考えながら、この習慣なるものについて少し考えてみようかと頭ははっきりと動いていた。
思えばこの話を毎日書くようになってから二週間が経とうとしている。
三年前ではなかったか、正月に毎日原稿用紙二枚ずつのエッセイを書き続けると決めていたのだが、三が日にはすでに更新が滞っていた。
このように意志が弱い私からすれば驚くべき記録であり、よくもまあと驚く自分がいる。
しかし、それをただ漫然と受け流すだけであれば今後に繋がることはない。
文章を書くもののはしくれとしてある以上、これを続けねばならぬ。
では、三年前はうまくいかなかったものが、今回は何が良いのか。
まず、連続的に作品を公開しているというのが最も大きいのではないかと思う。
特に日付を副題に記しながら書くことで、連続していなければ怠けたことがはっきりと分かってしまう。
この小文なぞを楽しみにしてくださる方は稀有であろうが、それでも、そのような方が出てこられた際にこれが途切れればどのように思われるだろうか。
たちまち文章が真実性を失ってしまい、興ざめしてしまうのではないか。
そのような裏切りは心苦しいため突き動かされている部分が大きいように思う。
なお、マスクを着用せずに済んだ日は更新する予定はないのだが、今のところ家に引きこもれた日はなく、これからも暫くは毎日書くことになりそうである。
また、マスクを洗うという日々の行いとセットとなることで流れるように志向に移れるというのも大きい。
単純に何かを思いついたままに書くというのは、単純でいてなかなか志向がまとまるものではない。
以前は何かを考える合間の時間を確保しなかったのが大きかったのではないか。
そういう意味では、マスクを洗う時間というのは誠に無為でありながらその時間というのは豊かである。
この話を切り上げてからもなおこの習慣を続けようと思うのであれば、何らかのスイッチを設けなければなるまい。
食後に茶を飲むなり、できない編み物に手を出すなりしようかと今から考えを巡らせている。
そして、もう一つはストックがあるという安心感は大きい。
本作は実際に書き終えてから一晩寝かせて投稿しているが、そのためにいざというときは背信でありながらも投稿は続けられるという保険がある。
この保険がある分だけ思考が自由になる。
自由になった脳味噌は存分に動いてくれるようだ。
今宵もここまで書くのに半時間もかかっておらず、これならば問題なく続けられそうである。
実際の思考はマスクを洗う三分ほどの合間に大筋がまとまる。
脳がすっきりとしてマスクも余計な皮脂が落ちる。
マスクを干場に掛けて執筆にとりかかる。
先に執筆時間を書いた矛盾を思いながら。
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