第6話 ロックの日ですがストレートで(2枚目3日目・6月9日)
なぜ、酒瓶を持つと人は闊歩したくなるのであろう。
大学卒業祝いとして後輩から芋焼酎の一升瓶を貰って帰った日も小一時間歩いて帰ったものであるが、四合瓶を二本抱えた今宵も千鳥足で歩いてしまった。
流石にスキップをすることはなかったと思いたいが、夢心地となる前に私には成すべきことがある。
洗面器に水を張り、マスクを浸し、手を静かに差し伸べる。
折角良いものをいただいた夜である。
ならば今宵は私と酒の贈り物について思索するのも面白い。
祝いの品として酒を贈るのは私自身がよくやることである。
酒そのものを贈ることもあるが、酒の場に連れ出してその時間や空間を提供することもある。
友人の成人の祝いにカクテルパーティーに連れ出したというのはその最たるものである。
そして、贈るときにはその頃の自分が思考と思う逸品を選ぶようにしている。
そのため、一般的に有名な一本よりも隠れた名品を贈る場合がある。
例えば、友人の祝いとして「獺祭・純米大吟醸・二割三分・遠心分離」を贈ったことがある。
今でこそ広く有名な酒となったが、それを贈ったのは十年ほど前の話であり後に贈られた友人があれほど有名になる酒を先に贈られるとは、と驚いていた。
ただ、有名になると踏んだ贈ったのではない。
その瞬間にその味を喜んでもらえるであろうと思ったから贈ったのである。
失せものである以上、その瞬間の喜びに私は全てを賭けるようにしている。
一方、私が贈られた酒も色々とあるが、その中でも転勤の際の贈答品が悉く酒であった時には流石に苦笑してしまった。
ただ、この苦笑は照れ隠しでもある。
なんといってもこの酒を選んでいただく際に、他者の試案の中に自分の姿があったと考えるだけで面映ゆく、堪らなく嬉しい。
だからこそ、酒瓶を贈られるとその思いを噛みしめたくなり、時間をかけて歩きながら帰ってしまうのである。
大学卒業祝いの一升瓶は肩に抱えて持って帰ったものであるが、その堂々たる姿を見た周りの人はどのように思ったのだろうか。
では、この原点にあるものは何かといえば、私を生んだ年に母が漬けたという梅酒ではないかと思っている。
病弱であった母は自分が鬼籍に入ろうとも祝福できると思ったのだろう。
これを成人したときに飲ませようという母の願いは、その前に姉に飲まれてしまったのであるが、その思いそのものは受け取ることができた。
そして、私はそれ以上に多くの人々から私を思っての品をいただいている。
これ以上の幸せ者はないだろう。
崩れる相好を感じながら、マスクを干場に掛ける。
今宵はどこか白さに磨きがかかっているように感じられた。
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