アベノマスクといっしょ

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

第1話 私はこの世に生まれたものを祝福しよう(1枚目1日目・6月4日)

先日、郵便受けにビニールで覆われた青と白の品が届いた。

ついに来たかと慌てて品物を確認すれば、そこには堂々、


「県民共済」


中の純白のティッシュだけは使うこととした。




このようなイベントをこなしつつ、政府支給のマスクをどのような扱いをするべきか悩む自分がいたのも事実である。

天性の天邪鬼である私としては、そのようなものには歯牙にもかけず武士は食わねど高楊枝を決め込む方が「らしい」在り方である。


ただ、

「もう、市販されているから要らない」

「今更遅い」

「現代美術にしよう」

などと散々な評判となってしまった今となっては、逆に、これを後生大事に使った方が貴重な存在になりえるのではないかと錯覚するに至った。

では、後生大事に用いるとはどういうことか。


それはやはり押し洗いをしながらその日の憂さや日々の思いに馳せる時間を作るということではなかろうか。

思えば、今の洗濯は機械に任せて時間の浪費を防ぐものとなっている。

それは逆に言えば、色々とよからぬことを考える時間が日常から奪われた、ということでもある。

手で布を洗う機会など掃除のときの雑巾ぐらいではないか。

会社から疲れて帰ってきた時も、泥酔して家に帰りついた時も、出先で止まることになった時も、弛まず続けねばならないと面倒に思う自分がいる。

きっと、どこかで手を抜く日が来るだろうなと諦観を持つ自分がいる。

それでも、多少のものぐさは随想の華でもあると興奮を示す自分がいる。


そのようなことを洗面器にぬるま湯と洗剤を入れて手の平でガーゼを押しながら考える。

昨晩届いていることに気付いてから一日の間に思考し、それを水でさっぱりと洗い流す。

多少、糸が出ているのはご愛敬というもので、それ以外には大きな問題もない。

これからこのマスク達が草臥くたびれ、私のように擦れた親父のようになっていくのか。

それを日々眺めながら綴っていこうと思う。

白いマスクもいずれ世の穢れを知り、色づくだろうとほくそ笑みながら水をよく絞ってほし馬にかけることとした。

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