31:悲愴

 目に何か入ったか?


 俺はこの色を知っている。


 いままで何度も見てきた。


 これは血の色だ。


 あれ……?


 そうだ! クレアは!?


 何か嫌な感じだ!


 すぐ前にいたクレアに目を向けると、


 クレアはゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。


「クレア?」


「ウ……ル……」


 何か変だ……


 何か、おかしい!


 クレアが! クレアが苦しそうだ!


「キュウビ! クレアが!!」


 だがキュウビもフェニスも

 何かに警戒しているように動かない。


 彼女らは何かに目を奪われている。


「……やぁ、シリウス。

 やっと準備が終わりましたよ」


 誰かに話し掛けられたような気がしたが

 それどころではない。


 そうか、あの血はクレアの血だったんだ!


 クレアの背と腹から血が流れている。


 早く治さないと!


「キュウビ、フェニスでも! 早くしてくれ!」


 俺はある程度なら自己回復は出来るが

 治癒の魔法は使えない。


 だから誰かに治癒して貰わないと!


 キュウビは術のエキスパートだし、

 フェニスは不死鳥だ。

 治癒にも詳しいかもしれない。


 兎に角、誰でもいい!

 誰でもいいからクレアを治してくれ!


 キュウビがハッとして『なにか』に警戒しながらも

 こちらに駆け寄って来てくれた。


 キュウビがうつ伏せに倒れているクレアを

 仰向きに変えて、治癒の妖術を施す。


「もう大丈夫だぞ、クレア!

 キュウビが治してくれる!」


「ウ……ル……?」


「あまり喋るな! 傷に響く!」


「ねぇ……ウル。帰ったら……ご飯、

 いっぱい、作って……あげる……からね」


「あぁ! 早く帰ってクレアの料理を食べたいぞ!」


「それから……お風呂に、入ろ……

 いっぱい頑張った……から、綺麗に……しないと」


「そうだな! ここに来るまでにいっぱい走ったから

 きっと洗いがいがあるぞ!」


「お風呂が……終わったら……

 いっぱい……なでなで……して、

 あげる……ね。

 ウル……頑張った……もん……ね」


「クレアに撫でられるのは心地よくて好きだ!

 今日はいっぱい撫でてくれ!」


「……ゥ……ル……大……好き」


「俺もクレアのこと大好きだ!

 大好きだぞ、クレア!」


「…………」


 クレアが喋らなくなった。


「……クレア?」


 クレアが返事をしない。


「おい! クレア!」


 クレアが動かない。


「キュウビ!

 クレアの様子がおかしい、おかしいぞ!」


 キュウビは黙って、治癒の術を掛け続けている。


「どうしたんだ!? なんでしゃべらなくなった!」


「……ウルフ。……クレアはもうーー」


 この世界には治癒はあっても蘇生の魔法はない。

 それに近いのはアンデットを作成する

 魔法くらいだ。


 しかしそれは蘇生ではない。


 死者の肉体に魔力を込めて、

 擬似的な魂を精製、定着させる魔法だ。

 生きていた本人とはまるで違う。


 魔族であるなら不死に近い者はいる。

 不死鳥のフェニス、不死王のブラド、

 封印竜のドラコ達などだ。


 一見、死んだように見えても死んでいなかった、

 ということは魔族ならたまにあることだ。


 だが一度、死んだら人間は蘇らない。


 奇跡でも起きない限り……


 二度と目を覚まさない。


「クレアは死んでないっ!!」


 突然の怒声にキュウビが肩をびくつかせた。


 そんな馬鹿なことがあるか!


 なんなことあるはずが……ない。


「……クレアが、死ぬはずないだろ……だって、

 だってあんなにいい子だった。

 この十年間、

 いい子じゃなかった日なんてなかった。

 俺があんな傷付けるようなことをしたのに

 俺のことを好きだと言ってくれたんだ。

 クレアはこれから幸せになるんだ。

 ソフィアさんと一緒に暮らして、

 マリアとはこれからもずっと友達だ。

 それなのに……それなのに死ぬはずないだろ」


 鼻先でクレアの頬につつくように触れた。

 ほら、まだ温かい!

 クレアはまだ生きている!


「起きろ、クレア。早く帰ろう。

 ソフィアさんも待ってるぞ。

 マリアだって心配しているかもしれない」


 クレアはまるで反応しない。

 いつもならすぐに起き上がって、

 俺に抱き付いてくるのに。


 ふとクレアの傷口が目に入る。


 まずは傷を塞がないと!


「キュウビ、クレアを俺の背中に乗せてくれ!」


 医者だ。深い傷なら医者に治療して貰ってから、

 治癒を掛けた方が治りが早いと聞く。


 キュウビは黙ってクレアを背に乗せてくれた。


 落とさないように慎重に歩き出そうとしたが、

 クレアの身体はだらんと背から滑り落ちた。


「クレアっ! ごめん、クレア。

 痛かったな、すぐに病院に連れていくからな」


 しかしクレアの身体はぴくりともしない。

 先程まで血色の良かった顔も血の気が引いていた。


 傷口から出ていた血も勢いが弱くなっている。


 これじゃあ、まるで……。本当に……。


「クレア……嫌だ……こんなの嫌だ、

 こんなこと……ダメだ、

 あんまりだ……クレア……クレアぁ!」


「もういいでしょう、シリウス?

 『それ』はもう壊れてます。

 早く諦めて、私の相手をして頂きたいのですが?

 そろそろ私も我慢の限界なんですよ。

 貴方と遊ぶのを待ちわびていたのですから」


 背中にいる男に気がついた。


「……ブラド」


「はい? 何でしょう?」


 こいつがクレアを?


 こいつのせい?


 こいつが!


「お前がぁ……お前が、クレアをぉっ!

 殺す、殺すぅっ! ぐちゃぐちゃに殺すっ!」


「はは、いい殺気ですね。では初めまーー」


 一瞬でブラドの首元に噛みついた。

 噛みついた喉を噛み千切り、

 逆の方向にも噛みついてまた

 首の肉を引き千切った。


 腹の肉を裂いて、内臓を引きずり出してやった。


 腕に噛みついて体を持ち上げて

 何度も地面に叩きつけた。

 衝撃ではみ出していた内臓が辺りに

 撒き散らされる。


 噛みついた腕が引きちぎれるまで繰り返し、

 次は足に噛みついて同じように繰り返した。


 いつの間にか首が千切れて頭が

 地面に転がっていた。


 髪に噛りつき、

 それも思いっきり地面に叩きつけると

 落とした西瓜のように弾けた。


 そこでようやく動きを止めた。


 周囲は赤いもので散らかっていた。


 しかし、それらの肉片が一斉にぼわっと霧散した。


 それらの霧が一ヶ所に集まり、

 再び元の姿を形作る。


「前にも言ったでしょう、シリウス。

 力任せにされても魂に響かないのですよ。

 もっと愛を込めるように、魔力を込めてください。

 そうしてやっと

 私の心を満たしていってくれるのです」


 体に負ったはずの傷も、

 ボロボロになったはずの衣服も

 一切がなかったかのように元の通りだ。


 ああ、良かった。

 まだ終わりじゃなかった。


 当たり前だ。

 このくらいで終わっていいはずがない。

 こいつはこれからもっといたぶらないと。

 それでないと釣り合いがつかない。


 もっと、もっと、もっと、

 もっともっともっともっと!


 永遠にっ!

 永遠に殺して続けるっ!


「ブゥラァドォォォ!!」

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