第10話 許婚とは夜二人きりになりたくない


「……グズッ、セシル、セシル、セシル……助けてよ」


 女王陛下はベッドの上に横並びで座っているセシルの胸の中で大泣きをしている。


 カルロスとの結婚の話しがとても辛く、どうしても受け止めきれないのだろう。


 今のセシルには優しく抱きしめて、頭を撫でて気休め程度に安心させてあげることしか出来ない。


 本当なら今すぐカルロスに奪われる前の、全てを奪ってやりたいぐらいだった。


 だけどそれはしたらいけない事。


 あくまでセシルと女王陛下は主従関係で、愛し合っている関係でもなければ、結婚できる関係でもない。女王陛下に嫌な気持ちをさせてまで、唇を奪いたいとか純血を奪いたいとは思えないチキン野郎だった。


「わたし……今夜はカルロスとじゃなくてセシルといたい……」


 今にも聞こえなくなりそうなか細い声。


「女王陛下……」


「遥でいい。どうせこれも偽名。本名は私と王家に選ばれた使用人以外誰も知らない。だから聞かれても困らない」


「……わかりました」


 泣きすぎて腫れて赤くなっている瞼をゴシゴシとセシルの服で拭いて顔を見つめてくる。


 その泣き顔についセシルの心臓が不覚にも反応してしまう。


 ――可愛い過ぎる


 その唇を奪えたらどんなに幸せなことだろうか。


「……ねぇ、セシル?」


「はい?」


「私とキスしない?」


 その言葉にセシルの思考が加速し、まるで時間が止まった感覚に身体が支配された。


 ずっと求めていた言葉ではあったが、あまり……嬉しくはなかった。


 よく見ればこれが最初で最後って顔を女王陛下がしていたからだとすぐにわかったから。


 どうやら大泣きした事で色々と諦めがついたのかもしれない。


 カルロスに奪われるくらいなら、好きでもないただの使用人に初めてを上げた方がマシだと言わんばかりにその言葉を言ったのであろう女王陛下に胸が張り裂けそうになった。


「ダメです。それは好きな人とすることです」


 お願いだから……そんな悲しい顔……しないで。


 無力な使用人を雇った為に、回避できなかった未来に女王陛下は愛想笑いをしてくれた。


 目からは大粒の涙を再び流して……。


「そう。でもそれはもう無理……。カルロスに奪われるぐらいなら……グズッ、セシルに全てを捧げたいの」


 我慢できなくなった涙が零れ落ちる。


 それを持っていたハンカチで優しく拭いてあげる。


 今のセシルが出来る数少ない事だった。


「本当はね……セシル…………」


 女王陛下の言葉が喉で詰まる。


 セシルは最後まで黙って聞く事にする。


「……セ……セシルなら……助けて…く……れ」


 大きく深呼吸して。


「た……すけてくれる……かも……って思ってた……だから……呼んだの」


 出来る事なら今すぐにでもそうしてあげたいが。


 今回ばかりは相手が悪い。


「…………」


「……本当は……知ってた。今日セシルがお休みの日だって……でも……それでもセシルなら……何とかしてくれる……信じてた……」


 胸が苦しい。


 これ以上もう泣かないで。


 女王陛下は笑っている方がいい。


 女王陛下の背中に手を回して思いっきり抱きしめる。


「もし好きな人との未来を手に入れられるとしたら、どうしますか?」


「そんなの決まってる。手にするに決まってる!」


「……かしこまりました。ではその願いを叶えましょう」




 ピタリと女王陛下の泣き声と涙が止まった。




 そして――。




「…………セシル?」


 覚悟を決めた。


 今日が終われば王城を追放されるかもしれない。


 だけどそれでも……君を護りたいから。


「では私が何とかします。ですからいつもの元気で私にだけ我儘な女王陛下に戻ってください」


 女王陛下はキョトンとした顔でセシルを見ていた。


 やっぱり女王陛下は可愛いな……。


「何をするつもり!?」


「それは夜のお楽しみです」


「嫌だよ……? セシルが悪いことして私の為に罪を被って遠くに行ったら嫌だよ!?」


 なんでこんな時まで人の心配を。


 やっぱり女王陛下は優しいな。

 

「はい。私は何処にも行きませんから安心してください」


 セシルは満面の笑みでそう答える。


 初めて嘘をついた、女王陛下に。


 本来は合ってはならないこと。


 でもそれでも護りたい主(人)が目の前にいる。


 それにまだ遠くに行くことが確定したわけではない。


 ただその可能性少しばかり高いだけであって。


「……わかった。その言葉信じてあげる」


「ありがとうございます」


 セシルは何となく嘘だとバレているなと気が付いてしまった。


 女王陛下の顔を見ると呆れたように笑っている。


「なら成功したら何でも一つ我儘を聞いてあげるわ。何が欲しいの?」


 セシルは反応に困ってしまった。


 これはただセシルがしたいからする事であって、命令ではない。


「なにもいりません。ただ女王陛下がその後幸せになって頂けるのであればそれ以上は望みません。これは私の勝手な判断ですることですから」


「なら命令よ。私を助けて」


 やっぱり女王陛下……貴女はズルいお方だ。


 何をするかも知らないくせに責任を一人で背負う事を許そうとしてくれない。


 本当にいい主に巡り合えた、そう思うと涙が溢れてきた。


「やっぱり、私を助けた後サヨナラするつもりだったんだ」


「…………」


「ダメよ、セシル。返事は?」


「……かしこまりました」


「よし。そうだ、泣き虫なセシルには私から先にプレゼントあげるわ」


 ――エリー・アイリス


 えっ……?


 確かに聞こえたその言葉にセシルは驚いてしまった。


 初めて聞く名前のはずなのにとても懐かしさを感じるのはなぜ?


 その理由はわからない。


 だけど、心が落ち着きを取り戻し始める。


 その名前は昔何処かで聞いた事があるような……気がしなくもない。


「私の本当の名前、二人だけの秘密。約束よ?」


 セシルはコクりと頷く。


「今まで黙っててゴメンね。でもセシルは私のヒーロー。だからこれもあげる」


 そう言って女王陛下はもう一つセシルにプレゼントをくれた。


 女王陛下が首にかけていたネックレスから購入当時は付いていなかった指輪の部分だけを取ってセシルの手袋を外して指に嵌める。


 それは王族が代々最も信頼する使用人に送る指輪。


 今は先代に仕えていたセバスチャンとフレデリカしか持っていない指輪と同じ。


 指輪はシルバー製で細く所々にダイヤモンドが散りばめられておりキラキラしている。ルビーやサファイアの指輪と言ったように大きな塊はなく仕事の邪魔にならないようにとあくまでシンプルな構造をしている。


「これで王族に選ばれた使用人。多少の無茶をしても誰も文句を言えないわ。なんたって女王陛下が直々に認めた使用人(執事)なのだから。本当はもう少し後で渡す予定だったんだけど、迷惑だったかな?」


「いえ。大切にさせて頂きます」


「うん。ならもう行きなさい。セシルがなにをするかはわからないけど準備する時間、必要なんでしょ?」


「ありがとうございます。では」


「あ! 待って! セシル!?」


 セシルは立ち上がって女王陛下を見る。


「信じてる。それと今夜はカルロスとじゃなくてセシルと寝たいんだけどダメかな?」


 女王陛下はそう言って笑顔を向けてくれた。


 セシルにとってはそれがとても嬉しかった。


「かしこまりました」


 セシルはそう言い残し部屋の窓から外へ飛び降りた。



 夜――カルロス家屋敷にて。


「仕事の為とは言え、使用人を呼んだかと思いきやすぐに王城に戻らせたり、遥は鬼だな。あはは~」


「仕方ないでしょ。これでも王族。仕事はしないとなんだから」


「それもそうだな」


 女王陛下とカルロスは食事を済ませて今はカルロスのプライベートルームでゆっくりとくつろいでいる。


 カルロスは上半身裸になり鍛え上げた己の肉体を見せつけるようにして大きなベッドの上で女王陛下が来るのを待っている。


「……はぁ。先に言っておくけど結婚するまでしないわよ」


 少し離れた所にあるソファーに座り、狼になろうとするカルロスをけん制する女王陛下。


 時刻は二十一時を過ぎており、早くセシルが来てくれないかとソワソワしていた。


「なにを照れている。来月には結婚。少しぐらい早くても構わんだろう」


「……嫌。まだ男の人と一緒に寝た事もない女の子にいきなりそうゆう事をしたいとか言わないで。私にだって心の準備があるの」


「あはは~!!! 本当に遥は照れ屋だな。もういい。なら俺が女の快楽を教えてやる」


 そう言ってカルロスは立ち上がり女王陛下の目の前まで移動する。


 そして怯える腕を強引に掴み、ベッドまで連れて行く。


「……ちょ、やめなさい。離して!」


 そのまま抵抗虚しく女王陛下の身体が宙に浮き、強引にベッドの上に投げられる。


 心の中でセシルの名前を何度も叫ぶ。


 絶対にセシルなら来てくれると信じて。


「ぁ……ぃ……や………ぁ……ぁ……」


 そのまま恐怖で言葉が出ない女王陛下に馬乗りになるようにしてカルロスが乗ってくる。


「なに、怯える事はない。すぐに気持ちよくしてやる」


 そしてカルロスの手が女王陛下のドレスのスカートへと伸びる。

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