捨てられる老人

 寒い夜。街灯が少なく人気もない道。脚がしっかりと上がらず、くすんだ色のブーツの底を少しするように老人バルトロは歩いていた。日に焼けたとんびコートがゆらゆらとしている。


 なじみの店で飲んだ帰りだ。ウイスキーをショットで数杯。大した量は飲んでいないのに、しっかりと酔ってしまっている。吸血鬼は酔うはずがないのに。


 ゆっくり、ゆっくりと確かに一歩を確認しながら家へと。すると何やら向こうの方から声が聞こえた。人では聞き取れないくらいの小ささ。


 嫌な響きだ。はっきり何を言っているかわからないが、穏やではない。トラブルだ。このままいつも通りの帰り道であれば遭遇する。もし巻き込まれれば面倒だ。


 幸いにもまだ道を変えられる。遠回りになるが仕方がない。


 そうして方向を変えようと思ったがしかし、その遠回りの距離が、今の状態からして辛いものでもあると気づいてしまう。疲れ、すぐ家で眠りたいのだ。ならば最短距離であるいつもの道を使うべきで、トラブルも見て見ぬふりすればきっと大丈夫なのではないかと。


 いつもの道を進むことにした。すると音はどんどんと大きくなって、橋に着いた。橋の下、河川敷から聞こえてくる。見つからないようにこっそりと上から覗いてみる。すると五人の若い男たちが何かをしていて、石、石を投げていて、老いた悲鳴が上がっている。


 相手はホームレスだ。橋の下で寝泊まりしている年寄りにどこにでもいそうな若者たちが石を投げている。ひどいことだ。ホームレスが何かをしたわけではあるまい。


 バルトロは間に入らない。意味がない。ただの酔っぱらいだ。


 彼はポケットからスマホを取り出し、老眼でうまくピントが合わない画面とにらめっこしながら警察への番号を打ち込む。あとは発信するだけだ。警察が来てくれて、場がおさまるだろう。


 それまでホームレスが無事であるかは運だが。


「なあ、君たち」


 よろよろと河川敷へ下り、盛り上がっている若者たちに後ろから声をかけていた。


「そのあたりで止めてあげてくれないか?」


 石を投げる手が止まり、一斉に新たに出てきた、出しゃばり老人へと視線が行く。すでに標的に追加され、敵意むき出しの視線が隠されない。


「お願いだ。何か気にくわないことがあったのだろうが、怖がってる」


 穏便に穏便に。やる気がそがれて去ってくれるのを願うばかりだ。疲れていて酔っていてすぐ眠りたい。

 ホームレスはうずくまり震え、ひいひいと怯えきった声を漏らし続けている。小さくあまり開いていない目とバルトロは合う。ダンボールでできた家はぐちゃぐちゃに壊されている。中にいたのを引きずり出され、それから今の状況になっているのだろう。


「十分ひどい目にあってる。気は済んでいないだろうけども、それ以上やって死んでしまったら君たちも――」


 いきなり玉子大の石をぶつけられた。力強く投げられた石は額へと命中し、くらりとさせられその場で膝をついてしまう。容易(たやす)く手で受け止められなかった。


「うるせえぞじじい! 邪魔すんな!」


 石が飛んでくる。頭や肩に容赦なく当てられ、その度に痛みと苦痛がくる。息が乱れ、喉を壊すような咳が続いて動けない。


「年寄りなんていらねえんだよ、お前も一緒にぶっ殺してやるよ。そこでじっとしてろ」


 へへっと甲高い声で笑い、またホームレスへと標的が向く。一人が野球の投手を模してわざとらしく大きく振りかぶる。持っている石はこぶし大。あれが当たってしまえば。


「なあ」


 投げようとした瞬間、腕が止まった。止められたのだ。手首を握る痩せた肌の血管の目立つ白い手。バルトロの手。額から血を滴らせたままに彼は動く。


「警察は呼んでないから」


 今度はバットだ。別の男にバットで腰を殴られる。激痛に倒れこんでしまったバルトロに、今度は全員で蹴られ踏みつけられる。転がり逃げようとしてみるがうまくいかない。いいようにやられ続けてついに。


 悲鳴をあげた。若い男が。


 一人の男のつま先が無理やり回され、真後ろへと向いてしまっていた。現実とは思えない光景、そして経験したことのない痛み。ぎゃあぎゃあわめいてのたうち回る。


「不細工野郎どもが……ぼこすかやりやがってからに……」


 ぜえぜえと息を荒くし、ふらつきながら立ち上がったバルトロに残りの男たちが襲い掛かる。怯まない。慣れている。だからこそ容赦はしなくて良いと、彼は拳を強く握りしめた。


 殴られ続けながら拳を振り回す。ひどく不格好で下手な動きだ。これが彼本来の実力ではない。酔っているからでもない。人、この程度のチンピラなど相手にしないくらいだったのだが。

 振り回した拳がなかなか当たらない。バルトロ個人の感覚ではしっかりとパンチを繰り出しているつもりだ。まっすぐ飛ばないパンチを修正できない。かわされては殴られ蹴られ、口の中が血の味だらけになる。


「こんちくしょうが」


 獣のように叫び気合を入れ、体を意思に無理やり追いつかせる。男たちの悲鳴が続いた。手加減なく腕や脚を折っていった。鼻が変形して顔面を鼻血まみれにした者もいる。とにかく全員があまりの痛みに倒れて動けなくなった。


「や、やりすぎだろうがっ! じじい!」


 ぎゃあぎゃあわめくのが耳障りでたまらない。口の中の切り傷はすでに塞がっていて、血交じりの唾を吐く。頭に血がめぐっていない感覚がある。体が宙に浮いているような。


「逮捕だ、お前逮捕させてやる! いや殺してやる、頼んで殺してやる!」


 色々と小難しく文句を垂れている。逮捕されるかどうかはともかく、面倒事になると本当に疲れるだけだ。仕方がない。


「……考えてものを言った方がいい」


 一番うるさかった男のTシャツの襟を掴み、河川敷の背の高い草むらへと引きずっていく。ぜえぜえと息が上がりながら、脚がよろめきながら、自分と相手の重い体を力いっぱいに動かす。


 引きずられる男はなんだとじたばたして抵抗するが、バルトロは脚を止めない。


「な、何するつもりだじじい!?」

「それは色々きつい」

「は、はあ?」

「はっきり言わないとわからないか?」


 こくりと頷く。


「何も言えなければどうにもならないだろう?」

「え? うそだよな? なあ?」

「待てばわかる」

「おいっ! やめろ! マジで!」


 口をききたくない。暴れて何とか逃れようとする度、男の頭を軽く殴る。草むらに姿を消す直前、バルトロは他の男たちへと視線を飛ばした。次は誰にしようかという具合に。それだけでひいっと声をあげ、震えた。


 草に囲まれバルトロと男、二人だけの空間になった。引っ張っていた襟から手を離し、解放した男にバルトロはコートの中から取り出した刀を振り落とす。

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