第26話 龍の胤の行方


  雪花シュエホアは、元朝の歴代皇帝、これから起こる歴史上の事件を思い出すべく必死で頭をフル回転させていた。

 元朝で、正式に認められる第七代皇帝となる人物は、上都におわすアリギバ皇太子。

 現在大都宮城の玉座にでんと鎮座するトク・テムルは、後に九代皇帝と称され、元史にその名を記されるのだが……

  

 「あれ?八代皇帝って誰だっけ?ダメだぁ~全く思い出せない。元朝って、清朝みたいに時代劇にされることはほとんどないし。この時代に来るのわかってたら、もっと歴史勉強してたわ。って、今さら後悔しても遅いか……」 

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 「おーい!土産だぞ~!」

 

 バヤンが桃がいっぱいの籠を携えて帰ってきた。

 

 「桃だわ!桃っ!わ~い!わ~い!」


 桃は雪花シュエホアの好物だった。

  今のバヤンは、森羅万象を司り神々の喉を潤すという神果ネクタルを持った、全知全能の最高神に見えた。

 

 「おおっ!最高神よ!」

 

 雪花が平伏したのを見て、バヤンも大仰に両腕を広げた。

 

 「ワッハッハ!皆の者、我に贄を捧げ給えり!!」

 

 トゥムルが冷めた目でバヤンを見た。

 

 「ほう?」

 

 「其の方…… ノリが悪いぞ。私はちー坊のためにだな……」

 

 「フム。ではこうですかな?」

 

 神妙な顔で軽く咳払いしたトゥムルは、突然おちゃらけたみたいになって踊り出した。


 「わーい!わーい!最っ高神様ダァァ~!!」

 

 そしてピタッと動きを止めると、少しの間を空けることなくバヤンの方に向き直り、真顔で感想を求めてきた。


 「いかがです?ご満足いただけましたか?」

 

 「も、もう良い。充分だ……」

 

 トゥムルの痛烈な当てつけに、バヤンは恥ずかしそうに俯いた。

 

 「オーホホホッ、私が桃・娘娘めがみよ!」

 

 雪花のテンションは高い。

 

 「もういいって!俺、もうノッてやんねぇからなっ!」

 

 「え?何怒ってるんですか?」

 

 「別に、怒ってなんかないっ!」

 

 バヤンはふてくされた顔をした。

 

 夕餉が済み、早速、皆で桃を頂くことにした。

 桃は扁平な、真ん中が少し窪んだユニークな形をしていた。

 まあ形はともかく、白くて甘い果肉、芳醇な香りに身も心も癒された。

 

 「お、美味しい…… 幸せ~」

 

 柔らかい果肉を口いっぱいに頬張った。

 

 「平桃ピンタオではないか」

 

 背後より湖面に吹きわたる涼風を思わせる声が。

 

 「そうなんです。このねっとりした果肉、平べったい形がなんとも特徴的というか不思議。これが伝説の寿と同じ名前がついてるなんて、誰が見たって想像つきませんよね。あっ、お帰りなさいトクトア様!」

 

 戻って来るなりトクトアは桃の一切れだけ口に運ぶと、そのまま通り過ぎた。

 

「ええっ!?もういらないの?」

 

 ああ、と短く返事をして行ってしまった。

 

 「美味しいのに。えへへ、代わりに全部食べちゃおっと」


 

 就寝前、書斎の前を通りかかると、室内から生薬の香りが漂ってきた。

 そのまま通り過ぎようとしたのだがにわかにイタズラ心というか、好奇心がむくむくと頭をもたげてきた。


(誘惑には勝てないよっと)


そっと扉に手を掛けたその時、室内から何かを擦り潰すようなゴリゴリズリズリという物音に混じって、何事かをひそひそと話し合うバヤンとトクトアの声が聞こえた。

 

 「第一皇子が生き延びておられたと?」

 

 「そうだ。兵部から使い、エロ侍郎じろうってのが携えておった書状からな。ただ、我々が知っておるくらいなのだから、あの耳聡い丞相のこと、もうとうに知っておるだろう。こりゃ近い将来、面倒な事が起こるぞ」

 

 「皇位継承権を巡って争いが起こると?」

 

 「ああ。第一皇子は、父帝が皇位に着かれる前から従えていた中央高原の諸侯が組織する兵団らの後押しを受けているという…… 無視は出来んが、今は動きがないと踏んでよさそうだ。俺達は今まで通り、丞相に貼り付いて陛下を後押ししてりゃ、その先も安泰だ」

 

 第一皇子とはいったい誰のことだろうか?

 生涯現役で頑張っていたが、不幸にも嫡子達に先立たれてしまった世祖フビライ・ハーンの崩御以後、孫の第二代皇帝の鉄穆耳テムルが即位するも過度の飲酒生活が祟ったのか、その十三年後に逝去。

 彼には子がなかったので、当然のことながら皇位継承問題と二つの有力婚家コンギラトとバヤウトの部族闘争も同時に勃発、このあたりから絶えず皇帝の玉座をめぐって政変が起こるようになった。

 この後、皇帝の権勢が落ちるのを目の当たりにした者達から、二つの軍事勢力が台頭する。

 それがキプチャクとアストの親衛軍閥だ。

 後に第三代皇帝に即位する海上カイシャンが総司令官として西北に駐屯していた頃、彼はこの二つの軍閥を従え、有名なカイドゥの乱など数々の反乱鎮圧で戦功を立てた。

 廟号が武宗と称される理由もなんとなくわかる。

 海上カイシャンの急逝後、彼の母である皇太后とその寵臣らがコンギラト派と呼ばれる一大勢力を築いた。

 この皇太后、名を答己ダギといい、代々皇后を輩出する名門コンギラト族出身だった。

 ダギは自分の権力を維持するのに非常に熱心な奸婦であり、その為なら海上むすこの遺児達を犠牲にすることなど、別に屁とも思わなかった。

 そうまでして権力にしがみつかなければいけない理由―― それはダギ自身、部族闘争に巻き込まれ、息子達共々配流になった経験からだ。

 その背景には、ある後宮権力者の個人的なダギへの憎悪と嫉妬がそうさせたのだという。

 あの肖像画は微妙だが、若い頃のダギの美貌の評判はかなり高く、思うにこの美貌が災いを呼んだのではないか……


 いずれにせよこの悲惨な境遇が、彼女を権力欲に目覚めさせるきっかけになったのかも知れない。

 自分と出身が違う皇后よめから生まれたという理由だけで、平気で皇子達まごを配流、謀殺しようとする非道……

 元々自分の言いなりにならなかった息子をあまり良く思ってなかったようで、カイシャン派の主な重臣達を次々に罷免と幽閉、見知らぬ地に流刑にした。

 カイシャンの寵臣であるバヤンもその一人で、当然中央政権から遠ざけられることになる。

 だが、先帝が内乱に尽力した彼に贈った勇者バートルの称号と、優美な弟、馬札児台マジャルタイの働き掛けが功を奏し、兄カイシャンの亡き後即位した弟の第四代皇帝の愛育黎抜力八達アユルバルワダが温情を示した。

そして高原の王族出身の沙羅娜公主サラーナひめが彼に降嫁しており、娘婿の窮地を知った答剌罕タラカン王が不満を表した。

 コンギラト派は、せっかく彼の喉元に刃を当てていながら、これにとどめを刺すことも叶わず、悔しまぎれに歯ぎしりくらいしか出来なかった。

 仕方なく表向きは〈南方のどこそこの地方官〉という形にし、配流にするのがやっとだったという。言わば左遷だ。

 きっと、手負いの獣を野に放つような気分で見送ったであろう。

 時が流れ、第六代皇帝の也孫鉄木児イェスン・テムルの治世になると、それまで権勢を誇っていたコンギラト派が一掃され、バヤンに対する処遇もグッと良くなった。

 彼は河南行省長官に任官する。

 イェスン・テムルが上都にて崩御すると、それを待ってましたとばかりに旧カイシャン派の急先鋒エル・テムルが動き出した。

※天暦の内乱である。

 この軍事クーデターを確実に成功させるにあたり、カイシャンの遺児を玉座に据える必要があると考えたエル・テムルは、江陵に配流となっていたカイシャンの遺児、第二皇子トク・テムルを迎える為に使者を送り出した。

 この使者が河南を通過するのを見逃さなかったバヤンは、亡きカイシャンの恩に報いる為にもエル・テムルの決起に喜んで協力。

 第二皇子を河南に迎えて共に大都に発ったという。

 

 扉の側で聞き耳を立てる雪花は、かつてバヤンを寵遇した武勇の皇帝の遺児、第一皇子の名前を思い出そうとした。

 

 (第一皇子?トゴン・テムル。いや、あれは孫か…… 誰だったかな?)

 

  在位はほんの僅かの間だった。

 

 「そうだわ。在位が極端に短かったのは、きっと、暗…… あ痛だぁぁ―――っ!」

 

 雪花の頭に拳骨が落ちてきた。

 その瞬間、綺麗なお星様と火花が同時に、気になる第一皇子の名前も出た――和世㻋コシラ

 痛さに顔をしかめつつ上目遣いに見上げると、いつの間にか側にバヤンが立っていた。

 

 「コラっ、盗み聞きなんかしおってからに!中からな、影が映るから立ってるのがまるわかりだったぞ!これが間者だったら、中からブスっと剣で一突きだ!もっと気を付けろ!」

 

 「それって、盗み聞きで叱られたのか?油断から叱られたのか?どっちかわかんないんですけど…… 」

 

 「どっちもだ!!」

 

 バヤンは雪花の首根っこを掴んで持ち上げた。

 

 「ひぇぇ~お助け~!」

 

 顔中に穴が開くのではないか?と思うような、バヤンの鋭い眼光が痛い。

 

 「よいか?二度とこんな真似をするなよ!お前は、諜報活動なんざ不向きだ!」


 「わがりまじだぁ、ほんの出来心だったんでずぅ」

 

 泣きべそをかく雪花を哀れに思ったバヤンは、すぐに態度を和らげた。

 

 「さあ、トクトアにたっぷりと灸を据えられて来い!」

 

 バヤンはそう言って雪花を室内に押し出すと、笑いながら去って行った。

 

 「ふっ、お前のことだ、好奇心には勝てないか……」

 

 トクトアはこっちが来るのを見越していたらしい。

 ニヤついていた。

 

 「うっ…… そのもの言いは、へっまんまと餌に引っ掛かりやがったな、って感じですか」

 

 (決まり悪い…… おかげで第一皇子の名前を思い出せたけど)

 

 「何を作ってるんですか?」

 

 卓子には、乳鉢と乳棒や薬研など薬剤を擦り潰すための道具類、木から抽出した精油の入った瓶に焼瓶フラスコ、蒸留器具が整然と並んでいた。

 

 「不老長寿の仙薬……」


 「えっ!?」

 

 怪訝な表情をする雪花をよそにトクトアは黙々と薬研やげんを動かし続けた。

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