第1話 月宮殿から来た姫君


 バヤンの屋敷の前はいつも人だかりが出来る。

 それは屋敷から時折聴こえる見事な箏の音から、色好みの貴公子、名うての風流人、ボンボン学生達が、弾いているのは絶世の美女だと勝手に思い込み、ちょっとでもその姿が見えないかものか、と塀の外から中を覗き見しようと集まっていた。

 各々は、この霊妙なる調べを聴いては勝手に妄想を膨らませていた。

 TVも新聞もSNSもない時代だから、その分余計に想像力が逞しくなるらしい。

人々はこう噂し合った。


「きっと姫様は月の世界にあるという月宮殿から来なさった方に違いない。比類なき美がそうだ」と。

 

「私は姫様に恋文を出すつもりだ!」

 

「お前それ本気か?」

 

「馬鹿!執事が怒るぞ!やめとけ!」

 

「噂では屋敷の主が全ての縁談を断ってるそうだ!」

 

「へーそりゃまたどうして?」

 

「将来は後宮に入宮されるからだって!」

 

「嘘だろ!そんな……」

 

「仕方がない。だって姫様は養父である主に恩を感じているから」

 

「聞いているよ。姫様は家族を火事で亡くされて…… お可哀想に!」

 

「お気の毒な姫様をなんとかお慰め出来ないものか」

 

 噂は勝手に尾びれが付いてどんどん大きく膨らんでいくのを忘れてはならない。

そんな訳で、今では屋敷の周りはワイワイガヤガヤと連日お祭り騒ぎで大盛りあがり。

 お陰で様々なグッズが登場した。〈姫様(孫)の手〉〈姫様中華おこわ〉〈姫様うちわ〉〈姫様手巾〉要するに姫様と名が付けば、何でも飛ぶように売れた。


「おっぱい饅頭!略して、パイ饅はいかが~!」

 

 遂にこんなモノを平気な顔して売り歩く強者が現れた。果たして大丈夫なんだろうか?この機を逃してたまるか、と屋敷から飛び出した執事のトゥムルが、すかさずこれをチェック。

おおっと、〈姫様の〉を冠していなかったので、これはセーフらしい。

 

 「大丈夫ですが……気を付けて販売して下さいね」

 

勿論売り上げからみかじめ料と称し、何割か貰う魂胆らしい。ちゃっかりしている。

 実はこのパイ饅頭、大当たりで馬鹿売れしていた。ネーミングと見た目がいやらしいが、まことに滋味豊かな味わいで、子供からお年寄りまで大人気のおやつとなった。

気になるその製法は企業秘密だそうな。

 

「うーん美味しいわ!このお饅頭!でもなんで家の前で売ってるのかしら?姫様っていったい誰のことを言ってるのかしら?」

 

 まさか自分のことを言われているとは夢にも思わない雪花シュエホアだった。

 

 

さて、バヤンの屋敷前の様子を見てひとり慌てる貴公子がいた。

群衆の中に見慣れた人物の姿を見て驚いた。

目と鼻の先に、丞相の息子二人がうろちょろしている。

 大の女好きで知られるこの二人も、噂を鵜呑みにしてやって来たらしい。

 

「ヤバい……こうしちゃいられない!」

 

 貴公子は早速行動に移した。

上手い具合に、買い物帰りの家人に接触することに成功。

 わざとらしく口笛を吹きながらいかにも散歩を装い、親しげに声を掛ける貴公子。

 

「やあ~元気?ニル・ツェツェグ。君はいつ見ても美しい!ああそうそう、君みたいな素晴らしい女性に、是非とも手伝って欲しいことがあるんだ!」

 

 外ハネショートの茶髪の貴公子はそう言って揉み手をした。

彼の名はオルダ。手入れをサボると眉毛がハの字になるのが悩みだという。

 容姿は大変美しく、お洒落が大好き。

 いつも綺麗な南国の鳥の羽飾りに金環で作ったピアスを耳朶に付けていた。

 モンゴル人のほとんどは珥(イヤリング、ピアス)、首飾り、腕輪などの装身具をジャラジャラ身に付けている者が多い。

それは遊牧民の風習というのもあるが、普段からそれらを身に付けておけばいざという時、戦になってもそのまま逃げることも出来る。

つまり当面の間の財産みたいなものだ。

 

「あら、ごきげんよう。本当にお口がお上手でいらっしゃること!でも、モンゴル名で呼ぶのはやめてもらえますか!海藍ハイランって洒落た名前があるんですから!」

 

「え?でも君は半分モンゴル人の血を引いてるし、その可愛い名前でいいじゃないか。すみれの花って意味だし君にぴったりだ!」


「ちょっと長いんですよ、名前が。勿論嫌いじゃないですよ。でも名付けた父でさえも、その名前で呼んでないんですから!で、オルダ様、手助けとは何ですか?今日はおひとりで?」

 

「うん、僕だけ休みさ!実はさ、この心のこもった文を姫様に渡してくれないかな?この麗しの僕ら!花のケシク四人組は、姫様と親交を深めたい!と思ってさ。姫様もお話し相手が欲しいんじゃなかな~?って。いいことじゃないかな?だってずーっとお部屋に閉じ込もるのって体に良くないし!」

 

 オルダは大きな黒い瞳をウルウルさせて、必殺技〈僕を助けてお願い光線〉をハイランに向けて照射した。これを浴びたほとんどの女性は、彼の言いなりとなるのだ。

小さな頃から彼を知っているハイランでさえ、この寄る辺ない憐れな子犬の様な目には逆らえなかった。

 

「でも……」

 

オルダは有無を言わさず海藍の手に文箱を掴ませた。高麗産の最高級の螺鈿細工らでんざいくがキラリと光る。

ハイラン、見事な細工に目は釘付け。


「頼むよ!君だけが頼りなんだ!文を渡してくれるだけでいいんだ。まずは文通さ!ね?それならいいだろ?ところでさあ、姫様は後宮に入宮されるなんてことないよね?」


「え!?後宮に入宮ですって?」

 

「姫様はバヤンおじさんの遠い親類で、家が火事になって姫様だけが生き残ったんだってね。お気の毒に……それで養女にしたんだろ?可哀想な姫様は恩返しで後宮に入るんだ、って聞いたんだ!」

 

 ハイランは呆れた。

 

「いったい誰がそんないい加減なことを!?」

 

 人の噂も七十五日、長い。

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

執事のトゥムルはご機嫌だった。

 姫様グッズが売れたお陰で家計も多少なりとも潤っている。

 部下思いの?男気溢れるバヤンは、アストに入った新参兵にかなりの大枚を叩いていた。足らない分は、なんと自腹を切った。それは逼迫し始めた国の財政を慮っての行動だ。当然私財を管理しているトゥムルはバヤンに不満をぶちまけた。

 

 「す、すまん…… 高給取トクトアりが帰って来るまでのしばらくの辛抱だ!頼む!堪えてくれ!」

 

 背の高いバヤンは家人達に囲まれて小さくなっていた。

 

 

 トゥムルは木箱を持ち、ウキウキ鼻歌混じりで廊下を歩いていた。

 

 「♪守銭奴に~こんな私に誰がした~♪フフフン、お嬢様宛てのお文がいっぱい届きましたね!これでまたお嬢様の評判は上がりますよ。金儲け金儲け!イッヒッヒ、代筆代筆、忙しい忙しいっと!」

 

 丁度、廊下の角に差し掛かった時ハイランとばったり出会い、彼女の手にある豪華な文箱を見たトゥムルは、瞬時に頭の中の算盤をパチパチと弾く。

 

 (ご破算で願いましては…… フッフッ、上手く付き合えば金儲けに繋がりますね!カモです。カモ!)

 

 金の匂いに執事はニタリと笑う。

 ハイランは慌てて文箱を後ろに回すが、空から獲物を狙う鷹の様にめざといトゥムルの目は誤魔化せなかった。

 

 「ハイラン、お手柄です!それはかなりの高貴なお方からのお品ですね?お嬢様にはそういう方と文通するのが相応しいと思います。さ、お文をこちらにお寄越しなさい」

 

 「え、でもお嬢様宛てのお文ですが……」

 

 ええ~!?、と上体を大きくのけ反らせるオーバーリアクションの末、危うく木箱諸とも昏倒しかけたトゥムル。

 

 「な、なんですと!?未婚の男女がいきなり文を交わすなど、私の常識からは考えられません!いいですか?もっともっと価値を吊り上げ……じゃなかった、淑女は奥ゆかしさと慎ましさ、これが大事なのです!最初は代筆するのが当然です!それが嫌なら諦めてもらって結構!よこしまな方はこっちから願い下げです!さあ、早くお文をお寄越し!」

 

 さあさあ、と催促するトゥムルに、ハイランはしぶしぶ手紙を渡した。

 まあ、どんな形にせよ手紙はしっかり手渡したのだから、いずれはトゥムルを介して返事が彼らに届くだろうと軽く考えるハイランだった。

 

 その夜、トゥムルはバヤンにも手紙の代筆を手伝わせる。

 バヤンもトゥムルに負い目を感じていたから素直に従うしかなかった。二人は蝋燭の弱い灯りの下、誰にも言えない稼業に手を染める闇の請け負い人の如く作業を始めた。

 

「あれ?ボンボンケシク、あいつらの文もあるな!ははーん、ちー坊にかなりご執心だなこりゃ!わははは!さぁ~なんて返事書こうかな~っと」

 

 「ぷっ!旦那様、丞相のご子息からもお文が!これ!笑い死にしそうです!ワハハハ!」

 

 「どれ……うわ!キザっ!うわ!キッザ~!月を眺めて貴女の瞳に乾杯してます。だってよ!気持ち悪う~出会ったこともないくせに、なぁ~にが貴女の瞳に乾杯だ!こっちはお前らの気持ち悪さに完敗だ!」

 

 「ぷふっ!旦那様、今のは面白かったです!座布団一枚ですね!」

 

 「おいおい、座布団二枚はくれよ!」

 

 こうして秘密の夜は更けていった。

 

*∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 次の日、大都宮城庭園内。


 図帖睦爾トク・テムルは宦官、年かさの女官達の他に、お気に入りと言われている四人組を引き連れて庭園を散歩していた。

   彼らは親衛隊の中では特に麗しい容姿をしていたので、花の怯薛ケシク四人組と呼ばれている。その中の一人であるボアルは、天蓋てんがいの様な傘を持つ速古児赤スクルチのお役目だった。

 ボアルは不謹慎にも、皇帝陛下の真後ろでしょっちゅうあくびをしていた。夜遊びが過ぎたらしい。

 リーダーのシバンは、ボアルの耳元で注意したが、ボアルは返事の代わりにまたあくびをしていた。

それを見ていたオルダも釣られてあくびをし、直ぐ横を歩いていたジョチに頬をつねられ痛そうな顔をしていた。

  

「余の恵みを得た者達、ジョチ、ボアル、シバン、オルダよ。アスト親衛軍に入り、余の父、大ハーン海山カイシャンの栄光を高めて欲しいのだ。知っての通り、バヤンは父上の恩顧であり、余を大都に迎えるべく奔走してくれた。キプチャク、アストの両軍は父上の思い入れのある軍閥。特にアストの事はよく気に掛けておられた。それは帰化した異民族の軍隊であるからだ。なのにバヤンは文句も言わずアストを率いてカイドゥの乱で勝利に導いたと聞く。ゆえに、これまでのバヤンの功績に報わねばと思った次第である。余の気持ちをいつも理解してくれる其の方らなら分かってくれるな?」

 

  えーまじ?そんなのわかんねぇーよ!と。


 これが今の四人組が考えていることだったが、日頃から自分達を引き立ててくれている主君の期待に添うべく、とりあえずそれらしく見える様に承諾することに。

  嫌なお願いには本心は嘘でも快く魅せる!が信条の彼ら。

 好まざる女の子からのお茶の誘いにも、極めて慇懃に、そして紳士的に接している自分達のプライドから出た知恵みたいなものだった。


「はっ、我らは陛下に忠実なるケシク。身命を賭してお役目に励む所存です」

 

四人は口では調子の良いことを言っているが、あそこはノミとシラミの温床なんだろ?ったくやってられねーぜ!と心の奥底で悪態をついていた。


 「あっそうだ!!王子も入隊してもらうからみんな仲良くやるのだぞ!」


「ええ!?高麗の王子もですか?」

 

嗚呼ああ~、と落胆の声を上げ、頭を抱え込む四人組だった。





 

 

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