第1話 真っ白な空間


「……ここ何処だよ?」


 ふと気が付くと修二はそう声に出していた。

 そこは何も無い全てが白い空間だった。光は無いのに暗くは感じられない。

 身体は宙に浮かんでいるような感じを受けるが、それでいてしっかりと足は地を踏みしめていると感じられる。

 周りを見渡しても上下左右、三百六十度何も無い、唯々白いだけの空間。

 部屋の広さもよく分からない。四畳にも百畳にも感じられる。

 壁と言う概念自体が無いかのようだ。


「いったい何だって言うんだよ……」


 苛立ち混じりにそう呟いてみるが、当然のように変化はない。

 全てが分からない。理解不能。

 何時ここに来たのか、ここが何処なのか、そもそもこれは現実なのか。

 何の情報も持っていないのだから当然不安にもなるだろう。

 人間、何も分からないと自然と恐怖が湧いてくるらしい。不意に修二はそう思った。



 何も無くて気が狂いそうになる……



 自分自身の精神状態が不安定であることを修二は感じていた。



(落ち着け、冷静に冷静に……)



 とにかく気だけはしっかり持っている必要があると思い、修二は大きく深呼吸してみる。



(まずは現状把握から行うべきだよな)



 周りを見渡してみるが単に真っ白だとしか把握できない。

 修二は自分以外の存在を感じられないでいた。



(俺以外誰もいない……のか?)



 もちろん誰かここにいて声を掛けてくると言った可能性も考えられる。

 一瞬誰かを大声で呼んでみようかとも考えたが、修二は不意に思い留まった。

 もし仮に誰か居たとして、その人が善人であるとは限らないからだ。



(それがもし悪人だったら?)



 身の安全も何も保障のない現状から考えて、誰もいなかった事に修二は安堵を覚える。

 と同時に、ここに人が居ないと言った可能性に気付いた。



(もしこの先、たった一人でこのまま過ごす事になったら……)



 修二は背に寒気を感じた。冷たい汗が頬を伝うのがわかる。


「い、いやよそう。そう考えるだけで不安になるわ……」


 とにかく今は自分の置かれた状況を把握する事に努めるべきだと判断した。



(で、ここが何処で、何時からここにいるのか?)



 そう考えて修二は思わず苦笑してしまった。



(クックッ、考えがループしてやがる)



 苦笑とともに自然と肩から力が抜けたように感じた。



(そう、いつもと同じだ。自然に、楽に考えればいいんだよ)



 差し迫って身の危険を感じてはいないのであれば、落ち着いてこれからすべき事を考えるべきだろう。

 修二はもう一度大きく深呼吸をすると、手を開いたり閉じたりと試してみる。

 特に違和感を感じない。いつもと同じ様に感じられた。

 体に異常は見られない。

 修二は再度周りを見渡すが、当然そこには真っ白な空間があるのみだ。

 上も下も右も左も全てが真っ白で方角が把握出来ない。

 ならばと一歩足を踏み出してみる。


「お、おぅ……」


 地面は無いはずなのにちゃんと歩けた事に驚いた。

 地面を踏みしめる事が出来るのが、こんなに安心感を齎すとは修二も思わなかった様だ。

 修二はその事に安堵しつつもう一歩歩いてみる。



 歩く歩く歩く……



 歩きながら修二は考えに没頭する。



(なんかこんなのラノベで見た気がするわ……)



 神様転生、勇者召喚。趣味で読んでいたファンタジー小説によくあるパターンだと思った。



(考えられるのは神様がいて「間違って殺してしまったんじゃ」とか、ナンチャラ教の司祭や王女様が「勇者様、どうか魔王を退治してください」とか、王様が自己中で奴隷のように使役されるとか、そんなパターンだよなぁ)



 そうこう考えていてふと違和感を感じる。

 修二は今自分が“自分の事を覚えている事”に対して言いようのない不安を感じたのだ。

 訳の分からない事を言っているだろうとは思う。だが、記憶が曖昧になっている事も理解できる、いや、出来てしまうのだ。

 何か歯抜けのように分かるようで分からない感覚が修二を襲っていた。



(自分の名前…和肥留修二。性別、年齢、だが住所は? 職業は? この状況になるまで俺は何をしていた?)



「マ、マジか……」


 修二は唖然としつつ呟いた。

 完全に記憶が歯抜けのように飛んでいるのだ。それも何か、誰かの都合がいいように、最低限必要と思われる事だけ覚えている様な違和感を感じるのだ。

 まあ趣味は必要かどうか分からないが。

 どちらにしても思う事は一つ。

 

 

(やっぱ、俺って死んだんじゃね?)



 恐らくはそういう事だろう。そう考えると何か納得いくのだ。まぁ神様が殺したかは定かではないが。

 そんな中で修二は自分が自分の死について冷静に捉えていることを感じていた。


「もっと、死んだら焦ると思ってたんだけどな……」


 ある意味修二は安堵していた。

 死んだ事で痛みや苦しみといったダメージを負って、のたうち回るイメージがあったのだが、思ってたよりも死は苦痛ではないのかもしれない。

 まぁ実際に、痛みや苦しみも無かったのだが。


「死後の世界って、こんな感じなのかね?」


 周りを見渡せど相変わらずの白い空間が広がるのみ。



(今度は下? かどうか分らんが、歩いてみるか?)



 修二は不意にそう思った。

 判断が出来ない自分が死んだかどうかより、今まで出来なかった事をやってみようと思ったのだ。



(俺って結構楽観的に捉えてるよな)



 修二には他人事のようにそう考える余裕さえあった。


「おぉう!」


 初めての感覚に修二は戸惑いと歓喜を覚えた。

 下といっても、実際には上も下もよく分からないのだが、ただ進めたことに感動すら感じていた。



 歩く歩く歩く……



 修二はぼぉっとしながらただ歩き続けた。

 どの位歩いたのだろう。感覚自体がマヒしたように感じる。そして歩く事になんら疲れを感じていない事に気づいた。

 

 

『……助…て…』



 不意に誰かに声を掛けられた気がした。

 何処から聞こえてきたのか、方向は定かではないが、修二は立ち止まって声の主を探すように辺りを見回す。


「誰だ?」


 声を上げてみるも返事はない。

 聞き間違えかと首を傾げてみるも、歩調を変え、確認するかの様にゆっくりと歩き出す。



『…お願…誰か……』



 間違いなく声が聞こえてくる。弱々しい声だが間違いない。



(子供……なのか?)



 酷く幼い声のように感じた。

 声は聞こえるが姿は見えない。周囲にも人がいる様子もない。

 だが、聞き間違いでは決してない。


「何処だ!?」


 再び問いかけてみるも、やはり返事は返ってこない。


「もう一度、話してみて。ちゃんと聞くから」


 子供だったら大声を上げると怖がってしまうかもしれないと思い、修二は優しく諭すように問いかけてみる。

 そして目を瞑ると、声の方向を探るように耳を澄ましてみる。



『誰か助けて!』



(上か?)



 反射的に目を開くと、空を仰ぎ見る様に上方に視線を向ける。

 やはり何も見えないが、修二はじっと目を凝らして見続けた。



(いや、確かにこっちから聞こえたのは間違いない……はず)



 何気に自信がない感もあるが、探るように見続ける。



 見る見る見る……



 と、何気に気付く。



(ちょっと待てよ、此処って距離感を感じないよな? もしかすると……様はイメージだよな……こんな場合)



 方向は間違えていないはず。となれば、遠くを見るようなイメージで見ればいい。

 そう考えた修二は再び目を閉じ、徐に目を開ける。



(あった!)



「そこに居るのかい?」


 空間が歪んで見える!? 修二自身は移動していないので、やはりこの空間は距離の概念が無いのかもしれない。



『! ……誰? ううん、誰でもいいから助けて!』



 声が反応を示した。漸く話が出来そうだと安堵しつつ声を返す。


「聞こえてるよ。何があったの?君は誰だい?」



『ぼ、僕はサコィ。早く助けてお兄ちゃん!』



 物凄く焦った声で答えてくる。だが修二にとっても、現状把握すらままならない状態でどうすればいいか直ぐには判断が出来ない。



(とにかく歪んで見える空間に行ってみれば……)



 そう考えた修二は恐らくは少年と思わしき、サコィと名乗った声の主に返事をした。


「サコィ君ね。りょーかい。今からそっちに行ってみるから、待ってて!」


 距離感が無いのであれば、移動も出来るはず。確信は無いが行動あるのみ。修二は目を閉じると前へと一歩踏み出した。

 目を開けると案の定空間の歪みが目の前にあった。


「今、おそらく君が居る場所の前に来ている……と思う」



『何処、何処なの?』



 そう言われると修二も困ってしまうが、サコィの側から何らかのアクションを起こしてもらえば良いのではないかと考える。


「俺の声が聞こえる方に、手を伸ばしてみて!」



『う、うん。やってみる』



 空間の歪みに何かが見えたのが修二には分かった。

 目を凝らして見ると小さな掌。伸ばされた腕は子供の腕で……


「離すなよ!」



 ……掴むと光が溢れていった。



 物語はここより始まる。

 戦乱の世に綺羅星の如く現れたある男の物語。




 これは幻想に至るまでの合成獣の物語である。






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