ファイル003 魔女のおうち

 今日は魔女のおうちでピザパーティ。

 芽琉斗(めると)は、サイコオニキスの焼いてくれた四種チーズピザを、恐る恐るかじった。

 蜂蜜の、濃厚な甘みがまず広がった。

 そしてその中に、まろやかなチーズの、確かな塩味が包み込まれている事がわかる。

 遅れて、自家製ピザ生地の、きつね色をした薫りが鼻腔をふわりと満たした。

「おいしい……」

 チーズピザに蜂蜜なんて、合うのだろうか。

 半信半疑だったけれど、やっぱり食べてみなければわからないものだ。

 何より、この“おねえちゃん”が焼いてくれたのだから、間違いは無かったのだと、幼い男の子は思った。

「こんなの、はじめて食べた」

 まっすぐにサイコオニキスを見て、率直なことを言うと、彼女は嬉しいような困ったような、曖昧な微笑を浮かべた。

 芽琉斗の他にも、子どもはたくさんいた。

 ピザも色々なものがあった。シーフードとトマトのものもあれば、照り焼き味のピザにきざみ海苔をちりばめた和風のものもあった。

 タコやソーセージのアヒージョもあった。

 今もぐつぐつ煮えるオリーブオイルとニンニクの香りが、子ども達にもっと食べるように促している。

 保育園児も小学生も、みんな夢中で食べている。

 大人は、サイコオニキスの他にもいた。

 みんな、女の人だった。

 おねえちゃん達が絶えずピザを運んできてくれるから、無くなりはしないのだけど、それでも芽琉斗はお行儀悪く、欲しいピザを片っ端からさらって行った。


 しかし。

 

 おねえちゃん達のうちの一人が持ってきた、一抱えくらいの袋を見たとき、芽琉斗は凍り付いた。

 途端に、ピザが喉を通らなくなる。

「御免なさい、今は持って来ないで」

 サイコオニキスが小声で言うと、袋を持ってきた女の人は、ハッとした顔になった。

「す、すみません!」

 そして、そそくさと袋を手に部屋から出ていった。

 袋が見えなくなって、数呼吸。芽琉斗は、少しずつ落ち着きを取り戻すことができた。 

 

「いよいよ、かな」

 サイコオニキスが、時計を見上げて呟いた。

「芽琉斗くん、そろそろ御迎えが来るよ」

 なるべく穏やかに声を掛けると、男の子は名残惜しそうに頷いた。

 サイコオニキスの言う通り、一人の女性が芽琉斗を迎えにやって来た。

 明るい金髪とは対照的に、その表情は暗く淀んでいた。

 しかし、それは穏やかにも見えた。

「帰ろう、芽琉斗」

「うん」

 男の子は、母親に手を取られて、魔女のおうちを後にする。

 あるべき場所へと、帰って行く。

 

 

 

 救生会日色(にちしき)病院。

 そこは、何の変哲もない大きな総合病院である。

 そして同時に、正義のヒーローが治療を必要とした時の為の非公式な施設でもあった。

 ヒーローが治療を必要とする……と言うのは、自身の事では無い。ヒーローが「治療が必要な悪人」を連れて来るのだ。

 何故なら、特撮に改造手術は付き物だからだ。

 もっとも、魔法少女であるサイコオニキスには理解の及ばない事ではあるが。

 しかし、今の彼女にとっても、この病院が必要な事に変わりはない。

「母親の方は順調なようだよ」

 初老の柴崎医師が、気軽な調子でサイコオニキスに告げる。

「まあ、当初は鬱になりかかったようだけど」

「そうなのですか?」

 サイコオニキスは、珍しく意外そうな顔をした。

「そりゃまあ、突然、生殖機能を奪われれば、若い女性としては落ち込むでしょうよ」

「私には解りませんが」

「君は、まあ、若すぎる……からじゃない?」

 飄々とした面持ちとは裏腹、柴崎の口調は歯切れが悪い。

 自分が言ったサイコオニキスへの評価に、自信が無いのだろう。

 そこは、今は本題ではない。

 二人が話している患者は、先日、サイコオニキスのもとでピザを食べていた男の子……芽琉斗の母親の事だ。

 サイコオニキスは、この母親に「画期的な美容手術」を謳い、この柴崎医師に引き渡し。

 そして、避妊手術を施させた。

 今後、母親が妊娠する事はほぼ絶望的となった。

「本能的なものかはわからないが、期せずして、心の支えは芽琉斗君だけになったわけだ」

「御父様の方は、どうですか」

 サイコオニキスの、あまりに情感の無い調子に、柴崎医師はわざとらしく肩をすくめ、

「そりゃ、暴れに暴れているよ。ふざけんなってね。

 まあ、突然騙されて去勢されれば、若い男は皆怒り狂うでしょうよ。

 犬や猫の去勢手術とは違って、気性までは刈り取れない」

 それがどうしてなのか、サイコオニキスには理屈でわかっても、体感的には理解できなかった。

 犬や猫だって、必要なら生殖機能を諦めなければならないのは同じではないか、と。

 犬や猫は、去勢すれば穏和な性格になる。

 とは言え、現実に芽琉斗の父親が暴れているのでは仕方がない。

「では、御父様は脳神経科の方に回して下さい」

 サイコオニキスは、些事のように言った。

「ああー……やっぱり“あの手術”をやれと申しますか。ノーベル賞の実績もあるからね」

「はい。芽琉斗くんの命と人生……そして、ご両親の本当の幸せの為に」

「それ、全く嘘偽りが無いのが余計に恐ろしいねぇ」

 仕事柄、柴崎医師も様々なヒーローを見てきている。まともな仕事では無いのはお互い様。

 余計な詮索は差し挟まず、自分の仕事に専念するに限る。

 柴崎医師は、サイコオニキスの指示通りに、芽琉斗の父親を脳神経科へ送ることにした。

 

 

 

 芽琉斗は両親から虐待を受けていた。

 ろくに食べ物を与えられず、思い付きで猫砂を食べさせられた。

「アンタがデキなければ、タッくんと二人でもっと過ごせたのに!」

「ぼくは邪魔物ですと100回言え!」

 そうして、家から閉め出された。

 命令通り100回そう言ったが、

「ウソをつくな!」

「オマエは数も満足にかぞえらんねぇのか!」

「もう100回追加だ!」

 

 それでも芽琉斗は、両親を憎めなかった。

 不条理を憎む発想が身に付くより先に、万事、自分が悪いと思うようにそだっていた。

「パパ、かっこいいね」

 正しいレールに乗れる方法を、限られた知識の中で必死に模索した。

「あァ? 嫌みかそれ? なぁ、嫌みか? なぁ? なァ!」

 

「ちなみにアンタの名前の由来、ゲンパツのメルトダウンだから」

「コイツにそんなコト言ったって理解できるオツムねぇよ」

 ゲラゲラゲラ。

 

 このままでは、早晩、芽琉斗は殺されてしまう。

 正義の魔法少女と言う立場以前に、人として、緊急性を感じた。

 だが。

 両親を社会的に抹殺して、芽琉斗の人生から取り除くのは簡単だ。

 けれど、それで根本的な解決になるのか。

 外力で親を奪われた芽琉斗は幸福なのか。

 正当な刑事罰など、たかが知れている。

 芽琉斗から引き離せたとしても、両親はまた、別の子供を生んで同じことをするだろう。

 そして何より。

「普通に生きて居るだけで、自分の子供すら憎まなければならないなんて。とても生き辛い。

 とても可哀想」

 だからサイコオニキスは。

 全ての元凶たる“病巣”を切除させた。

 

 

 

 芽琉斗が一家でやって来た。

 車椅子に座る父親を、母親が押している。

 サイコオニキスが日色病院の脳外科医から受けた報告によれば、術後の父親に、身体的な後遺症は一切無かったと言う。

 ただ、彼からはあらゆる自発性が失われたようだとの事だ。

 立って歩けるのだが、その後どうすれば良いのか判断できないので、他人の押す車椅子に身を委ねているのだ。

「ママと芽琉斗の思った通りにすればいいよ」

 そう、虚ろに繰り返すのみ。

 流石のサイコオニキスも、これで解決だとは思っていない。

「おねえちゃんって、もしかして魔法つかい?」

 男の子が、無邪気に訊いてくる。

 おねえちゃんの作る美味しいご飯を食べて待っていたら、パパもママも、人が変わったように優しくなったのだから。

 ただ、サイコオニキスは。

「これだけは覚えておいて。

 魔法はいつか解けるもの。

 この先は、全て君次第」

 それしか言えない大人(わたし)を、どうか許して。

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