※本編ネタバレ注意 魔女っ子ジュエル◆サイコオニキス

ファイル001 変質者の謎

 魔女っ子ジュエル◆サイコオニキス。

 その正体は、ごく平凡な女子高生。

 痛み一つない見事な黒のロングヘアーは夜の清流を思わせる。

 冷知と温和さの同居した面差しに、細いフレームの眼鏡がよく似合う。

 ともすれば壊れ物のようにほっそりとした体つきは、同性からすれば羨望の的であるだろう。

 彼女に関しては、美少女と形容しても恥にはなるまい。

 しかし、男子の誰も、彼女のボーイフレンドとなる事はおろか近付く事すら皆無だった。

 友達の居ない彼女は、今日も今日とて独り、教室の隅で読書に耽っていた。

 そんな折りに、

「ねえ、聞いた? この辺で変質者が出るって話」

 聞き捨てならない噂話が、彼女の耳に入ってきた。

「聞いた聞いた! ウチの学校の近くにも出るんだって! 後輩のあかりが、声かけられて、危なかったって」

「それ、ほんと!? 怖いね……。そのあかりちゃんってコ、何もされなかった?」

「腕を引っ張られて、顔をまじまじと見られたって。手を振り払って、なんとか逃げられたらしいけど。あかりだけじゃなくて、他に何人も同じような目にあったって」

「ほんと、何なのその変態! 怖いよ……。しばらくは、皆で一緒に帰ろうよ」

「そうしよ、そうしよ!」

 そうして仲の良い女子同士は連れだって帰っていく。

 一人ぼっちの少女に声をかける者は居ない。けれど彼女は平然としていた。

 むしろ、今、誰かに一緒に居られては色々と困る。

「メタモルフォーゼ・オニキスっ◆」

 サイコオニキス、出動。

 

 

 

 果たして、噂の男はあっさり見付けられた。

 不審者は、誘い込まれたとも露知らず、人気の無い路地裏でサイコオニキスと対峙した。今の彼女は、黒を基調としたワンピース型のコスチュームを身に纏い、眼鏡を外してコンタクトレンズをはめている。

 振り向いたサイコオニキスを、噂の男は値踏みするように睨み付けた。一瞬、彼女の細い腰に備わった魔法のステッキを見てぎょっとしたようだが、そんな事はすぐに些事と思ったらしい。コスプレ趣味だと思えば、そう珍しいものではない。

 それよりも、男の目は、彼女の顔を注意深く検分しているようだった。

「ねえキミ、もう少し近くで顔を見せてよ。ちょっと、薄暗くなってきてさ、よく見えないんだなぁ」

 この状況、普通の女なら一目散に逃げる。それを一応自覚してか、男はすぐにでも飛び掛かれるよう身構えながら、にじり寄って来る。

 対するサイコオニキスは、迷わず彼に近づいた。意外なリアクションに、男は一瞬面喰らうも、ここでようやく満足行く鮮明さで彼女の顔を見る事が出来たらしい。

 彼女の、黒瑪瑙オニキスを思わせる怜悧な瞳が、男の感情を即座に検知。

 ――私の顔立ちを見て、幸福度が十五パーセント低下。

 彼女は、生まれつき特異なセンスを持っていた。それは、他人の幸福度合を正確に測定・数値として算出出来るものだった。

 ここでサイコオニキスは、男の真意を一部把握。

 この男は、無差別ではあるが、場当たり的な変質者では無い。

 先の教室で、クラスメイトの噂話を聞いた時点で違和感はあった。それなりのリスクをもって声掛けをしているのに、何人もの女性が逃げ延びている――つまり、変質者の誹りを受ける危険を冒しているわりに、逃げられても深追いをしていないと言う事になる。

 多分、この人は明確に誰かを探している。

 しかし、妙だった。

 それならば、サイコオニキスが探し人では無いと分かった瞬間に、もう少し劇的な失望が、彼の内面に発生しなければならない。

 だが、サイコオニキスが求めている相手である事に、未だ望みを捨てていない節がある。

 例えば、彼の探し人が“一個人”では無いとしたらどうだろう?

 ある条件に基づいた女性を無差別に探している……としたら、辻褄が合う。

 ――リカバリーは可能。

 彼女の脳は、得た材料から即座に、適切な振舞いペルソナを構築。損なわれた彼の幸福度を、復元するためだ。

「なぁに? お兄さん。わたしに何か用?」

 普段なら絶対にあり得ない口調と仕草で、彼女は更に半歩、男に詰め寄った。

 彼我の身長差と現在の距離から、最も理想的な角度で見上げる――上目遣いで彼の顔を覗き込む角度を演算。

 桜色の唇が、日頃の彼女のそれよりもずっと緩慢で蠱惑的に動く。

 ――幸福度、十三パーセント回復。

「あ、その、えっと」

 男は、明らかに狼狽していた。最初は見間違えたが、もしかして、彼女こそが探していた相手では無いのか? そんな期待と疑念が、サイコオニキスには手に取るようにわかった。

 けれど、自分ではここまで擦り合わせるのが限界だ。彼女は、早々に見切りを付けた。

 これ以上は、彼自身から真実を探り出して根源的な解決をはかるしかない。

 その為には恐らく、ここまでやれば充分だろう。

「あの、さ、俺んち、来る気無い?」

 逃げるどころか無防備に寄ってきた女を前に、不審者は欲望を抑えきれなくなっていた。

 少女はこくり、と控えめな首肯を見せた。男の、望み通りに。

 

 

 

 こう見えてサイコオニキスのコスチュームは、高い防弾防刃性能と筋力アシスト機構を内蔵したパワードスーツでもある。

 また魔法のステッキは4135スチールカーボン製の警棒であり、魔女っ子たる彼女が成人男性一人に力負けする要素は無い。

 だが、正義の使者には一切の流血沙汰は許されない。

 元よりサイコオニキスには、そんな、相手の幸福を損なうような真似は出来なかった。

「きゃっ」

 そんなわけで、男の部屋に入り込むや否や、彼女は即、押し倒される事態となった。

 サイコオニキスが男にとっての探し人であろうとなかろうと、ほとんど同意の上で部屋に上がり込んだのだ。男の、純然たる男性的欲望のタガが完全に外れ切ってしまっていた。

 けれど。

 ここまで、彼女の狙い通り。

 もう“この男にとっての理想の少女”を演じる必要は、これ以上無かった。

「ねェ、シてもいいんだよねぇ? いいから、うちに来てくれたんだよねェ?」

「それが、本当に貴男の望みですか」

 先程までとは打って変わった、体温の無い声。

 据え膳が土壇場で後悔し、今更喰われるのを恐れたか。だが、既成事実がほとんど出来上がっている以上、ここで止めるメリットは男にはない。

 その、はずだったが。

「ぅ……?」

 目が、合った。

 黒い、黒い、黒瑪瑙のように綺麗で、そして、冷たい瞳が。

 男は、組み敷いていた女から逃げるように、飛び退いた。

 何が、と明確な説明は出来ない。

 だが、この女を構成する要素ひとつひとつが何か、男の即物的な情欲を消し去って余りある恐怖心を醸し出していた。

 ――彼の幸福度が三十パーセント低下。

 ――でも、これで良い。

 他人の幸福を誰よりも願う、サイコオニキス。

 他人の幸福が損なわれると、彼女はとても悲しい。

 しかし近頃、一つの事を悟りつつあった。

 今現在、三十パーセントの幸福が彼から損なわれようと――、

 

 最終的に百パーセントの幸福度に引き上げられるなら、必要な犠牲だ。

 

 だから、このようにした。

 自分の態度によって、彼の幸福度が三割も落ちると言うショックを与える為に。

 得体の知れない――本来の彼女という素顔に、戻って見せた。

「教えて下さい。貴男が本当に探して居る相手の事を」

 

 

 

「夢に、出てきたんだ」

 サイコオニキスの対する得体の知れない恐怖と、ほんの少しの勇気から、男はぽつりぽつりと話し出した。

「夢に出てきた女の子と、すげー楽しく遊んでたことが、どうしても忘れられなくて。

 だからさ、夢に出てくるってことは、現実のどっかで出会ってるはずなんだよ。なあ、そうじゃないか?」

 サイコオニキスは、全てを理解した。

 夢に出て来た彼女の可愛らしい仕草、微笑み、自分の腕に組み付いてくる無邪気さ。

 それが、目覚めてからも忘れられなかった。

 だから、彼は探して居たのだ。現実に居る筈の、その彼女を。

「私、解りました」

「ぇ……?」

「彼女は……誰よりも貴男の近くに居たんですよ」

 

 

 

 ユング心理学に“アニマ”と言う言葉がある。

 端的に言えば、世の男性が内面に持っている“女性的な心理”とでも言うべきだろうか。

 アニマは時に、夢の中で彼の“理想的な女性”として具現化する。

 さもありなん。自身の望みを材料に構築された異性像に、魅力を感じないわけがない。

 普通ならば“夢の産物だから”と諦めてしまえるところだが、男は決して諦めなかった。

 彼は、夢に出て来た彼女の存在が確かなものに感じられるほど、夢を明晰な意識で見られる性質があったのかもしれない。

 だから、サイコオニキスは、

「私なりに、貴男が何時でも“彼女”と逢えるよう、アドバイス出来ると思います」

「本当かッ!?」

 彼に、

 意図的に明晰夢を――夢を自分の思い通りに――見られる訓練を施した。

 一ヶ月、彼の為に付きっきりで、教えた。

 そして、ある日を境に、男は誰とも――明晰夢の体得を勧めたサイコオニキスとも会わなくなった。

 まどろみの中、愛しの彼女と居続ける人生を、男は選んだのだった。

 

 

 

「そういえば、結構前に、変質者が出るって話あったよね?」

「あっ、そう言えば。最近、そんな事全然なかったから、忘れちゃってた」

「逮捕されたのかな?」

「どうだろ? それなら、噂がまた来てそうだけど」

「でも何にせよ、怖いやつがいなくなって安心したよね」

「ほんとにね。あかりも、あの時のトラウマが治ったみたいだし、本当に良かったよ」

 友達の居ない少女は、今日も今日とて教室の隅で読書に耽る。

 あの男性も、今しがた噂話をしていた彼女達も、前より幸せそうで本当に良かった。

 皆が幸せなら、私はそれで良い。

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