第19話

 構え直してから、時雨も神威も凍り付いたように動きを止めている。

 全身に圧倒的な闘気をみなぎらせ、鋭い目つきで睨み合う両者。

 やがて彼らは、少しずつ距離を詰め始めた。

 お互いから一瞬たりとも視線を外すことなく、遅い動きで慎重に、だ。


「……」

「……」


 そして、腕を伸ばせば相手に届くほど距離が縮まった直後。

 神威が猛烈な勢いで手刀を繰り出し、時雨の首筋を狙ってきた。

 先ほどのパンチよりもさらに速い。

 下級どころか、ほとんどの魔物は反応もできずに打たれ、気絶することだろう。

 だが時雨は慌てることなくその場で瞬時に屈み、手刀を空振りさせる。

 風切り音が響くと同時に、神威は全身を旋回させて蹴りを放った。

 手刀と変わらぬ速さで迫る足を、屈んだままの体勢で掴み取る時雨。


「はぁぁっ!」


 間を置かず立ち上がると、時雨は気合と共に恐ろしいまでの速さで両腕を振り、手を離した。

 神威の巨体は尋常ならざる勢いで投げ出され、研究所の壁めがけて吹っ飛んだ。

 そのまま激突してしまえば、魔物と言えどもダメージは避けられない。

 しかし彼は空中で鮮やかに体勢を立て直し、何事もなかったかのように着地した。


「さすが時雨。そう簡単には勝てんか」

「お前こそ相変わらず見事な体術だな」


 会話を交わすや否や、再び神威の方から動いた。

 十数メートルの距離を瞬時に詰め、拳を突き出したのだ。

 狙いは顔面。

 音速に到達せんばかりの勢いで迫るパンチに、時雨は自分の拳を素早く正確に叩きつけた。

 爆発のような轟音が響き渡った直後。


「あぁぁぁぁっ……!」

「うぉぉぉぉっ……!」


 両者は気合を入れながら、まったく同時に拳で攻撃を仕掛けた。

 単発ではない。

 極めて短い間隔で繰り出される、神速連撃だ。

 周囲の空気が激しく乱れて、激突音が立て続けに鳴り響く。

 全てお互いの急所を正確に狙っているが、ことごとく自分の拳で迎撃している。

 恐ろしい技量と言えよう。

 さらに速さも重さも互角であるため、打ち合いは拮抗し、一発も相手の頭部や胴体へ届かずにいる。


「くっ……!」

「うっ……!」


 拳が激突するたびに彼らの間で風圧が荒れ狂い、轟音が響き渡り、鮮血が飛び散っていく。

 あまりの衝撃で皮膚が裂け始めたのだ。

 いや、それどころでは済まず、おびただしい量の出血と共に骨が剥き出しになりつつある。

 どれほど魔物が頑丈でも、音速に近いスピードで打ち合いを続けていれば、十二分に起こりえることだ。

 このままでは、お互いの拳が砕け散るのも時間の問題。

 だがそうなる前に、決定的な変化が生じた。

 神威が見切りを誤ったのか、時雨の拳が彼に直撃したのである。


「がぁっ……!」


 打撃音と呻き声が同時に周囲へ響き渡る。

 殴られ、吹っ飛んでいく神威だが、空中で即座に体勢を整えて着地した。

 表情こそ冷静ではあるものの、口から少量の鮮血が流れ出ているので、ダメージを受けたことは隠せていない。

 そんな彼を見ながら、時雨は思った。


(気絶させるつもりで殴ったのにあの程度のダメージか……この拳では仕方ないな)


 骨が剥き出しになってしまうほど傷ついているのだ。

 本来の威力を発揮できるはずがない。


(しかし拳に深刻なダメージを負ったという条件は神威も同じだ)


 心の中で呟きつつ、時雨は痛みに耐えながら左右の拳を構えたが、殴りかかるつもりはない。

 後は蹴り主体で戦おうと考えたが、直後に困惑した。

 神威が十数メートル前方で立ったまま距離を詰めず、片腕を大きく引いて真正面に突き出したからだ。

 もちろん、そんな位置でパンチを繰り出しても当たらない。

 だが時雨は鋭く危険を察知し、半ば反射的に横へ跳躍しようとする。

 それと同時に激烈な衝撃が彼の腹部へと襲いかかり、今までで最大の轟音が周囲に響き渡った。


「ぐぅっ……!」


 上着と腹部の皮膚が裂け、内臓まで深く浸透するほどの衝撃だ。

 時雨は激しく吐血して吹っ飛び、後方の地面へと激突。


「かっ……!」


 息を詰まらせ、呻きながらも時雨は両足に力を込め、立ち上がった。

 炎で直接体内を焼かれているかのような激痛が腹部に走り、顔をしかめてしまう。

 加えて肩の骨が外れたらしく、片腕がまったく動かない。

 それでも何とか立ち続ける時雨の姿を見て、感心したように神威は言った。


「まさか……あれをくらって立てるとはな」


 額から流れる汗を片手で拭い、彼は続けた。


「心底……驚いたぞ」

「こっちの台詞だ……今の技には驚いた」


 激しい痛みに耐えつつ、時雨は言葉を返した。


「拳圧を飛ばし、離れた位置の相手に強烈な衝撃を浴びせる技。だが接近戦で積極的に使っていけるわけではないようだな」

「……」

「先ほどの様子からすると、大振りのパンチを放つ時にしか出せず、迂闊に使えば隙だらけになる。打ち合いの時に使わなかった理由もそれだろう」

「正解だ」


 言って、神威は複雑な表情を浮かべた。


「しかし分かってもその重傷では、どうにもできまい。大人しく降伏した方が身のためだぞ」


 何も言い返せない。

 腹部に受けたダメージは甚大であり、並の魔物なら確実に死んでいる。

 時雨だからこそ、命を失わずに耐えられたのだ。


(もう一度くらったら終わり……ならば神威が拳圧を飛ばす前に一瞬で接近して攻撃するしかない)


 飛ばす際の予備動作が大きいことを考えれば、初見で困惑しない限り問題なく対応できる。

 そう思うなり、一気に距離を詰めるべく両足に力を込め、突進しようとした。

 だが呻き声と共に顔をしかめ、動きを止めてしまう。

 腹部と肩、そして内臓に激痛が走ったのだ。

 時雨は何とか無視して駆け出そうとするができず、地面に膝をつき、口から大量の鮮血を吐き出した。


「うっ……がっ……!」


 黒い液体が大量に地面へぶちまけられ、周囲に血臭が充満する。

 膝をついたまま立ち上がれずにいる時雨に対し、神威は穏やかな口調で言った。


「もうやめろ。これ以上続けたら、いかにお前でも死ぬぞ」

「……」

「お前には一時的に行動不能になってほしいだけだ。別に死んでもらいたいわけではない。今の技も、お前なら一撃で死ぬことはないと確信していたから叩き込んだ」


 時雨の方へと静かに歩み寄りながら、神威は続けた。


「他のメンバーがどう考えているかは知らん。だが少なくとも私は、あまり魔物が死んでいく姿は見たくないのでね」

「奇遇だな……それに関しては……私も同意見だ」


 苦痛に顔を歪めつつも、時雨は言った。


「倒すとは言ったが殺すつもりで戦ったわけではない……対立している派閥のリーダー同士でも同じ魔物……どうして殺せようか」

「そうだな」


 同意する神威。

 やがて時雨の眼前で立ち止まると、彼は再び口を開いた。


「しばらくの間、気絶していろ。次にお前が目を覚ました時には全てが終わっているだろう」

「何……?」

「先ほども言ったが、もうすぐ楓がここへ来る。そうなったら後は簡単に事を進められる」


 そう言って、神威は片腕を振り上げた。


「もう眠れ。全てが終わるまで、な」


 直後に時雨の首筋めがけ、超高速で手刀が振り下ろされた。

 今の状態では、回避や防御が間に合うはずもない。

 無防備に手刀を受けてしまい、時雨は呻きながら意識を失った。

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