第15話
約十メートルの距離を置き、向かい合う泰明と雪華。
先に攻撃を仕掛けたのは、前者。
足元の岩盤を蹴り砕いて突進し、一気に距離を詰め、拳で雪華の側頭部を狙った。
しかしそれはフェイントだ。
途中で止めると、泰明は間を置かずにもう片方の拳を突き出すが、当たらずに空振りしてしまう。
直撃寸前に、雪華が上半身を横へ傾けたからだ。
響き渡る風切り音を聞きつつ、泰明は次の攻撃を繰り出した。
素早い動きで雪華の側面へ回り込み、斜め下から掌を突き上げたのである。
狙いは顎。
超高速で迫る掌打を、雪華は上半身を後方へ傾けるだけで簡単に回避。
空振りの音が鳴ると同時に、彼女は余裕の笑みを浮かべ、前進しながら片手を伸ばした。
「!?」
泰明は冷や汗を流し、岩盤を蹴って大きく後退。
構え直すと、前方の雪華へ視線を固定したまま、思った。
(奴の指には……最大限の注意を払わねばな)
雪華は指による攻撃が得意だ。
その凄まじさは尋常なレベルではなく、鋼鉄の数十倍の強度を誇る特殊金属にも深々と突き刺さるほど。
これだけでも十二分に恐ろしいが、並外れた動体視力と反応速度を活かした回避技術も圧倒的。
故に、彼女は下級魔物の中でも最強とされている。
「……」
泰明は先ほどと違い、一気に距離を詰めようとはしない。
どう仕掛けるべきかを、考えているためだ。
(回避技術が以前よりもさらに向上しているな。フェイントを織り交ぜても、普通に打撃を放っても通じない。このままでは永遠に当てられないか)
彼女の裏をかき、攻撃を当てる方法はあるのか。
様々な案を思い浮かべながら立っていると、不意に雪華が声をかけてきた。
「速さも技術も素晴らしいわ。腕を上げたわね、泰明」
一歩前進して、彼女は続けた。
「それでも、私には勝てない」
言い終えるなり、唐突に彼女は視界から姿を消した。
泰明の目でも捉えられないほど速く、動いたのである。
直後。
「うっ……!」
泰明は脇腹に激しい痛みを感じ、呻いて前のめりになった。
いつの間にか眼前まで接近していた雪華に、指で刺されたのだ。
「ふっ」
笑みを浮かべ、乱暴に指を引き抜く雪華。
傷口から鮮血が噴き出し、岩盤の上へ飛び散っていく。
「ぐぉっ……!」
痛みで冷や汗を流してよろめきつつも、泰明は怯まずに拳で反撃した。
刺された直後とは思えない速さと正確さだ。
それを雪華は一歩横へ動くだけで空振りさせると、片手の指を揃えて突き出し、肩を狙ってきた。
(まずい!)
まともに受ければ骨を貫かれ、片腕が使えなくなってしまう。
恐ろしい勢いで迫る指先に当たるまいとして、泰明は素早く横へ動こうとする。
だが次の瞬間。
鋭い痛みと共に、肩から鮮血が飛び出した。
(かすったか……!)
どうやら指先を完全には回避できなかったらしい。
切り裂かれた肩の傷口から、魔物特有の黒い鮮血が次々と流れ出ていく。
骨までは到達していないようだが、浅い怪我でもない。
「直撃だけは避けるなんて、さすが泰明。でも肩と脇腹からそんなに出血している状態で、どこまで私と戦えるかしらね」
出血は体力を大量に奪う。
二ヵ所に軽くない傷を負わされた今の状態では、動きが鈍るのも時間の問題だ。
そんなことは泰明も分かっている。
「……」
だが、この状況でも泰明の目は死んでいない。
流血が服を伝わり、岩盤へ落ちていくのを感じ取りながらも、彼は構え直した。
「勝つまで、戦うさ」
「良い気迫と執念だけど、貴方では私に勝てないわよ」
言い終えると同時に雪華は屈み込み、低い位置から手を伸ばしてきた。
恐ろしく速い。
回避しようと動くが間に合わず、片足の膝に直撃を受けてしまう。
槍のような指先が強靭な皮膚や骨を簡単に貫き、裏側まで突き抜けた。
「ぐぁぁっ……!」
壮絶な痛みで叫びつつも、泰明は無事な方の足で反撃を試みるが、遅かった。
その前に、雪華が強引に彼を岩盤の上へ押し倒し、覆いかぶさったからだ。
「勝負ありね」
「まだだ……!」
言って、泰明は仰向けの状態で拳を突き出した。
そんな体勢で放ったにしては、速い。
しかし雪華は掌で軽々と受け止め、言った。
「諦めなさい。大人しく負けを認めて降伏し、過激派に転向することを誓ってくれれば、もうこれ以上は痛めつけない」
「過激派に転向……だと……?」
「そうよ」
雪華の表情は真剣そのものだ。
「やり方こそ違っていても、魔物が迫害に怯えることなく表舞台で生きていけることを望む気持ちは、過激派も共存派も同じでしょう」
「……」
否定はしない。
確かにその点は、彼女の言う通りだからだ。
「過激派の最終目的は人間社会を支配して、奴らの上に立ってから表舞台へと出ることよ。今まで私達を迫害してきた憎い種族が、私達の存在に怯えながら暮らすようになるの。奴らには当然の罰だと思わない?」
「……」
程度の差こそ大きいが、どちらの派閥の魔物達も人間への怒りと憎しみを抱えて生きている。
泰明や昌克も例外ではない。
だから雪華の言っていることにも、まったく共感できないわけではないのだ。
それでも、過激派に転向しようとは思わない。
「悪いがな……俺には過激派に入る気なんかない」
「どうして?」
「人間に対して抱いている感情が、怒りや憎しみだけではないからさ」
泰明は迷いのない目で雪華を見ながら、続ける。
「共存派と同盟関係を結んでくれた者達のように、魔物に対して偏見を持たない人間もいることを知った。そして楓のように、今まで一緒に暮らしてきた相手が魔物だと知っても、まったく態度を変えずに受け入れてくれる人間もいることを知った!」
楓に正体を教えると決意した時、本当は恐ろしかった。
何しろ拾ってからずっと、自分が魔物だということを隠していたのだ。
今さら話しても受け入れてくれるのか、拒絶されるのではないか。
そんなことを考えていたが、まったく無用の心配であった。
楓は全てを受け入れ、静かに泰明を抱き締めたのだ。
あの時の衝撃と感動は、今もしっかり覚えている。
「迫害してきた奴らは確かに憎い……だが迫害と関係ない人間にまで……憎しみをぶつける気はない」
「それが答え、か」
手と膝で泰明の動きを抑えつけたまま、雪華は言った。
「貴方らしいわ……そんな貴方だから楓の養父になるなんてことができたんでしょうね」
「……」
「何年間も一緒に暮らし、血のつながりこそなくとも信頼関係を築き上げた義理の親子。素晴らしいとは思うけど、同時に哀れとも思うわ」
「哀れだと……?」
「ええ。楓の正体も知らず、彼女のことを人間だと思っているんだもの。そして何も知らないまま、彼女の存在に希望を見出している。哀れと言うしかないわ」
それを聞くなり、泰明は困惑の表情を浮かべた。
雪華は何を言っているのだろうか。
「楓の正体だと……?」
「知りたいなら教えましょう。ただし貴方を過激派のアジトまで運んで、情報を聞き出した後に、ね」
言い終えると、雪華は泰明の喉を掴み、少しずつ力を込めてきた。
窒息という形で気絶させるつもりのようだ。
「くっ……!」
ここで意識を失えば終わりである。
泰明は肩と脇腹、膝に走る激しい痛みに耐えながら何とか腕を伸ばし、雪華の肘を掴む。
「うおぉぉぉぉぉっ……!」
力強く叫んで、のしかかる雪華を横へ倒した。
それからほとんど間を置かず動き、彼女の肘を掴んでいる方の腕に力を込める。
直後。
「うぐっ……!」
表情から初めて余裕が消え、呻き声を上げる雪華。
もう片方の手で泰明の腕を叩き、強引に肘から外すと、彼女は起き上がって大きく後退した。
「……」
少し遅れて泰明も、近くの岩石を支えに立ち上がり、雪華を見た。
片腕の肘部分が不自然に変色し、力なく垂れ下がっている。
泰明が全力で握り締めたため、骨が砕けたのだろう。
(軽いダメージではないはずだが……それでもまだ俺の方が不利か)
泰明は肩と脇腹の怪我に加え、膝にも重傷を負ってしまっている。
さらに出血も少なくないことを考えれば、ダメージは甚大だ。
(長期戦に耐えられる状態ではない……次の一撃で勝負を決めなければな)
雪華の攻撃に合わせ、カウンターで拳か足を叩き込んで意識を奪う。
できるか否かはともかく、他に勝つ方法はない。
そう思って泰明が構え直すと、雪華は冷や汗を流して口を開いた。
「どうやら私は貴方を過小評価していたようね……片腕を破壊されるとは想像もしていなかったわ」
無事な方の腕を真剣な表情で構えつつ、彼女は続けた。
「持てる力の全てを出して……貴方を叩きのめす」
「俺もだ。全力でお前を倒す」
両者が会話を終え、鋭い目つきでお互いを睨み合った瞬間。
奇妙で、大きな音が聞こえてきた。
少し離れた位置からだ。
(何だ、今のは?)
戦闘で発生するような音ではない。
困惑している泰明とは逆に、雪華は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ふっ……どうやら過激派に運が巡ってきたようね……!」
言うなり、雪華は高々と跳躍した。
着地したのは、付近に転がる岩石の上。
「これで計画も一気に進めることができる……私達の勝利も遠くないわ」
それから雪華は次々と岩石を跳び渡っていき、視界から消えた。
驚異的な身軽さだ。
とても片腕の肘が砕けたばかりとは思えない動きである。
追いかけたいという気持ちはあったが、今の彼では到底できない。
それよりも、泰明は別のことを優先した。
(今の音、何かしらの合図だったようだな)
雪華の反応から考えて、撤退以外の意味も含まれていることは確実。
楓、もしくは昌克が戦っている場所で、何かあったのだろう。
過激派の計画とやらを推し進め、勝利が近いと確信させるほどのことが、だ。
(楓……昌克……どうか無事でいてくれ……!)
痛みに耐え、片足を引きずりながら、泰明は奇妙な音の発生源へと向かった。
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