第8話

 ビルの最上階にある広間。

 北と東西の壁にエレベーターのドアが存在し、南は奥へ続く通路となっている。

 調度品の類がまったくない殺風景な空間に、一組の男女がいた。

 片方は達也だ。


雪華せつか。まだ以蔵達から連絡は来ないのか?」


 達也は問いかけながら、自分の隣を見た。

 視線の数メートル前方に、短い黒髪の女性が立っている。

 かなり若く、外見年齢は十代後半ほど。

 女性としては大柄な肉体を赤い服に包み込み、編み上げの黒い靴を履いている。

 一見温和そうで美しい顔立ちだが、異性を魅了することはないだろう。

 切れ長の両目には冷酷さしか宿っておらず、見る者に恐怖を感じさせるには十分だからだ。

 達也を格段に上回る威圧感も、彼女の異様な雰囲気を助長している。


「ええ」


 雪華と呼ばれた女性は、静かに答える。


「途絶えたままよ。既に捕縛されたと考えるべきでしょうね」

「そうなると、僕達がこのアジトで活動を続けるのは危険か」


 忌々しそうな口調で達也は続けた。


「以蔵と綾乃が口を割ったら最後。共存派の魔物や、奴らと同盟関係の人間達が一気に押し寄せてくるはずだからさ」

「確かにね。おまけにあの二体は口がかたいわけでもないし、すぐに喋ってしまう可能性も低くないから、遅くとも明日には来るでしょう」

「移動するなら今、か」


 達也のその呟きに頷くと、雪華は真剣な表情で口を開いた。


「できるだけ早く動いた方が良い。これから私が神威さんに、他のアジトへの移動を進言しておくわ」

「頼む。残る問題は、地下に監禁してある実験体達をどう連れ出すか、だけど」


 一斉に数百人が移動を開始すれば、あまりにも目立ち過ぎる。

 かと言って、いつ敵が乗り込んでくるか分からない以上、少しずつ連れ出していく時間的余裕はない。


「放置しなさい」

「えっ?」


 意外そうな表情を浮かべる達也。

 そんな彼に対し、雪華は冷静な口調で言った。


「既に百人全員の検査は終わって、全員が失敗作だと判明したのだから、これ以上監禁しておく意味もない。むしろお荷物になるだけよ」

「警察に駆け込まれたらどうする?」

「もう過激派の仕業ということは知られてしまっているから、今さら証言されても関係ないわ」

「それは……そうだけど」


 達也は顔を下へ向け、気まずそうに呟いた。

 知られた原因は、他でもない彼自身だからだ。


「でもあの百人に証言されたら、誘拐の目的まで知られてしまうかもしれないよ」

「奴らの証言で誘拐の目的を知ったとしても、共存派に打てる手は少ない。全部で四百人いる実験体の所在地を知る方法がないもの。そして以蔵と綾乃に吐かせることもできない。あの二体は指示通りに動いていただけで、実験体の所在地を知っているわけではないから」


 その通りだ。

 共存派から見れば、被害者達は無差別に誘拐されたとしか思えないだろう。

 通う学校も年齢も共通点がなく、住所も遠く離れているのだから、当然である。

 誰が狙われているのかを知る方法がない以上、今まで通りの対応を続けるしかないのだ。


「できるとしたらパトロールの時間延長、範囲拡大、人員増加ぐらいでしょう。私達は今までと同じように、慎重に動いて実験体の誘拐を続けるだけのことよ」

「まあ……ね」

「ところで」


 雪華は笑みを浮かべて、問いかけた。


「貴方が誘拐し損なった少女。どんな感じだった?」

「どうって言われても……ね」


 少し困ったように両腕を組んでから、達也は答えた。


「まあ、軟弱ではない感じだったかな。僕と泰明が路上で戦い始めても無駄に騒ぎ立てたり、慌てふためいたりしなかったから、度胸もありそうだ」

「当然ね。あの泰明が育てたんだし、生半可な女であるはずがない」


 泰明は下級魔物屈指の実力者。

 それだけでなく、指導や育成に優れていることでも有名だ。

 彼の弟子になって大成した武術家も少なくない。


「かなり期待できると思うわ」


 そう呟く雪華の表情は楽しげである。

 言葉は本音だろう。


「楓が成功作か否かは調べてみるまで分からないよ、雪華。あまり期待し過ぎても良くないと思うけどね」


 言いつつ、達也は南の通路へ視線を向けた。


「さて、そろそろ無駄なお喋りは終わりにしよう。雪華は神威さんに移動の進言してきてくれ。僕は移動の準備をしてくるよ」

「ええ。任せて」


 会話を終えると、両者は別々の方向へ歩き始めた。



 ※※※



 パトカーがサイレンを鳴らしながら、町方面へ走り去っていく。

 それを無言で見送る男性がいた。

 泰明だ。


「……」


 彼が今いるのは、ビル近辺の路上。

 以蔵達と戦っていた地下道から、それほど離れていない位置だ。

 近くには数名の警官が存在し、二台目のパトカーもある。


「泰明さん」


 警官の内の一人が話しかけてきた。


「これであの過激派魔物達の拘束と連行は完了しましたよ」

「そうですか」


 淡々と呟く泰明。

 そんな彼を見ながら、警官は言った。


「それにしてもあの連中、あっさり情報を吐きましたね」

「以蔵と綾乃が嘘の情報を口にした」


 泰明は警官に視線を向けながら続けた。


「そう思うわけですか?」

「私達警察がここへ到着してから、何か質問する前に吐いたんですよ。誘拐された百人の監禁場所をね。嘘の可能性が高いと思います」


 そこで少し間を置くと、警官は両腕を組んで再び口を開いた。


「一応裏付けは取りますけどね。あまり期待しない方が良いでしょう」

「警官達を潜入させるんですか?」


 以蔵達の証言によると、町中に存在するビルがアジトの一つらしい。

 誘拐された百人の監禁場所は、その地下とのことだ。

 

「警官だけでは危険だから、共存派の方々にも協力してもらいます。もし情報が本当だったら、そのまま被害者百人を救出するつもりです」

「それなら、俺も同行させてもらいます」

「えっ?」


 意外そうな表情で警官は問いかけた。


「貴方が来てくれるなら心強いですが……娘さんの方は?」

「大丈夫です。しばらくは共存派のアジトで保護してもらいますから」

「なるほど……確かにそれなら心配ありませんね」


 納得して呟く警官だが、直後に表情を曇らせて続けた。


「せめて過激派が一体どういう基準で誘拐しているのかさえ分かれば、同じように他の少女達も保護することができるんですけど」

「以蔵と綾乃は、誘拐対象の基準については知らないと言っていましたからね」


 指示された相手を連れ去っていただけで、詳しいことは知らないらしいのだ。

 もちろん、本当にそうなのか否かは、まだ分からない。


「それについても、知り調べではっきりさせますよ」

「お願いします」


 そう言って、泰明は警官に頭を下げた。

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