第45話:魔物との死闘

 魔力の膜を出ると、にわかにあたりが騒がしくなる。鳥たちが鳴きながら、上空を群れをなして南に向かって飛んでいく。


 晴れ間が広がっているが、この森に着いた時の静けさはなく、不気味さが漂う。


 杖を持ったカルダを先頭に、一行はあたりを警戒しながら歩みを進める。村人たちは、不安を紛らわすように、骨の武具を時々握りしめた。


 誰も言葉を発しない。人々が荒く息を吐く音だけが、小さくあたりに響く。


 いつなにが飛び出しても対応できるよう、僕も腰に帯びた剣の柄を握る。移動魔法もすぐに発動できるよう、集中する。


「くるぞ」

 エリルが小さな声で鋭く警告を発する。

 

 十数人の集団は足を止め、半円状に広がって、それぞれ前方を警戒した。


 重たい足音が、徐々に遠くから近づいてくる。木々のなぎ倒される音も響く。


「散れ!」

 カルダが叫ぶのと同時に、木々の奥から巨大な影が飛び出してきた。


 村人たちが横っ飛びに避ける。集団の後方につけていた僕は、慌てて後ろに下がって距離をとった。


 姿を現した魔物の全身が、浅黒い鱗におおわれている。鋭い爪をもった太い四本の足に、その巨体は支えられていた。


 人の背丈の、三倍の高さはあるだろうか。見上げなければその魔物の顔を視界におさめることはできなかった。


 獲物たちを見下ろす魔物の頭は九つあった。胴体からのびた長い首が、それぞれゆらゆらと揺れている。


 頭にはいくつも鋭い突起があり、蛇のようにも、竜のようにも見える。十八の赤く鋭い目が、逃げ惑う人々を追う。


 魔物の体からは、黒紫の禍々しい光の渦が放たれている。


「こいつは……なんだ」

 あぜんとしてエリルがつぶやく。


 困惑するエリルをよそに、魔物の首の一つがしなり、村人の一人に襲いかかる。盾で魔物を防いだ村人は、勢いを殺せず、吹き飛んで背中から木に激しくぶつかり、苦しそうにうめいた。


 のびた魔物の首に、他の村人が斬りかかる。しかしその首に横殴りにされ、村人は地面に転がった。


 魔物が叫び、九つの首がうねる。村人たちが怯え、後ずさった。


 その時、あたりに白い光がさした。


「騎士王の誓いを、いまここに果たす」

 詠唱したエリルの体が輝いていた。


 さらに輝きが増し、それが収束したとき、エリルの身は白い甲冑に包まれていた。その手には、同じく純白の剣が握られている。抜き身の刀身が、薄く光を帯びている。


 地面に転がった村人に、魔物が牙をむいて襲いかかった。エリルが、そちらへ向かって駆け出す。そのエリルに、別の頭が横から襲いかかった。


 エリルが籠手で魔物を殴りつけると、苦しげに声をあげて、魔物は首をくゆらせる。


 まさに村人に牙をかけようとした魔物の首を、エリルの剣がとらえる。刃が、肉を裂き、赤黒い血が吹き出す。


 刃は途中で止まり、首を切断するには至らない。叫んで首を引く魔物に引きずられ、くいこんだ剣を握ったままたたらを踏んだエリルが、別の頭に襲われ、吹き飛ばされる。


 剣が、魔物の首にそのまま残される。


 うめき声をあげたエリルは、さらに襲い来る別の頭を、地面を転げて避け、その勢いのまま起き上がった。


 その間にも、いくつもの戦いが同時に繰り広げられる。それぞれ襲い来る牙や爪を、村人たちは団結して数人で受け止めていた。


 メアを襲った魔物の頭は、メアの手のひらに軽くいなされ、その方向を変えて空を噛む。


 カルダは、一人で二つの首を相手にして、徒手で戦っている。盾でも受け止めきれなかった魔物の襲撃を、拳ひとつで弾き返す。メアと同じ降霊系の魔法だろうか。


 剣を失ったエリルは、手から光の矢のようなものを放ち、魔物を牽制して村人を守る。


 そんな中で、僕だけが、距離をとって戦況を見つめていた。


 エリルの魔法剣が通用しなかったのだ。僕の持つ剣で魔物に傷をつけられるはずがない。他に攻撃魔法もなく、どうすればいいのか。


 言い訳にも似た思考が頭をめぐる。膝が震え、前に踏み出せない。


「ぐあっ」

 苦しげな叫び声が響く。魔物の牙が、村人の腹を捉えていた。僕たちに反発していた、あの若い男だ。


 男が膝をつく。そこに、一度離れて距離をとった魔物の頭が、牙をむいて再び迫る。


 エリルも他の村人たちも、他の頭の相手に精一杯で、助けに向かう余裕がない。


 僕は、気づくとそちらへ向かって駆け出していた。しかし、このままでは間に合わない。魔物の牙の方が先に届く。


 集中力を高め、魔力を自らの体にこめる。景色が歪み、次の瞬間には、目の前に魔物の顔があった。


 腹から血を流しひざを突く男を背に、魔物の牙を剣で受け止める。鋭い牙から身を守ることはできたが、その衝撃に、後ろに吹き飛ぶ。


 守ろうとした男を巻き込んで、僕は地面に勢いよく転がった。体が数回転し、あおむけでどうにか止まる。


 息つく間もなく、別の頭が襲いかかってくる。僕は、側に倒れる男を抱えた。全身が恐怖に粟立つ。これは避けきれない。


 次の瞬間、本能的に移動魔法を発動していた。抱えた男も一緒に、元いたところの数歩隣に、瞬時に移動する。左肩をかすめて、魔物の頭が通りすぎていった。牙に引っ掛けられ、肩から血が吹き出す。


 右手には、根元から折れた剣の柄だけが握られていた。

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