第31話:新たな快感

「しかし、世界の危機というのは本当の話かな。転生がどうというより、そちらの話の方がにわかには信じられん」

 エリルが険しい顔をする。


「もし本当だったとして、エリルさんは僕に、どうしてほしいですか?」


「どうもこうも……別に何も」


「何も? 僕がこの世界を救わなかったら、みんな死んじゃうんですよ」


「キノコに殺されかけた男が、世界を救う? うぬぼれるな。この世界に危機が及ぶとしたら、この世界のヒトで何とかする。当たり前のことだ。お前に期待なんてしてないよ」

 突き放すようにエリルは言う。しかし、それがこのエルフの優しさに思えた。肩の荷を降ろしてもらった。そんな気がした。


 ギルド協会の一階へ戻ると、アイシャが心配そうに駆け寄ってきた。


 すべてが自分の勘違いかもしれなかったと、アイシャに説明する。悔しさで拳が震えて、後ろ手に腕を組んでごまかした。


 残念だが、戦闘でも信用力でも、クラルクに勝つ術は見つけられそうになかった。相手が悪すぎる。いまは敵の手のひらの上で、殺されないよう踊るしかない。


 アイシャはホッとしたように頷く。冒険者たちへの説明もアイシャに頼んでおいた。自分からこの話を、平静を装って何度もする自信はなかった。


 気にしないでくださいね、はじめてのダンジョンで大変な目にあったんですから誰だって混乱します、と僕を慰めてアイシャは協会の奥へ姿を消した。誰かに報告をしに行くようだ。


 今日は色々なことがありすぎた。翌日、エリルとまた協会で会う約束をして、宿へ戻った。


 雨が降り続いている。傘をさしている人はおらず、びしょ濡れになりながら走って帰った。


 魔物がドロップしたアイテムを回収できていれば宿代にくらいなったのかも知れないが、当然そんな余裕はなかった。僕は住み慣れてきた馬小屋へ戻った。


「な、なんじゃこりゃあ!」

 自分の住まいを占拠する生物を見て、すっとんきょうな声をあげた。


 巨大な黒毛の馬が二頭、馬小屋の中で藁を食んでいた。


 声を聞きつけた、宿の親父がとんでくる。


「兄ちゃんすまんな、仕事に出てた馬が戻ってな」


「そんな……じゃあ俺はどうすれば」


「いままでの半額で泊めてやろうか」


「馬と寝るのはごめんです!」


「冗談だよ」

 親父が豪快に笑う。


「宿の方を一部屋、整えておいた。そっちを使え」


「いいんですか。ありがとうございます!」

 思わぬ申し出に、自然と頭を下げる。


「礼ならエリルさんに言いな。さっき連絡もらってな。宿に泊めてやれってよ。詳しくは聞いてないが、なんか大変だったんだろ。今日はゆっくり休め」

 親父に労われ、目頭が熱くなるのを感じた。


 なにからなにまで世話になってばかりだ。見知らぬ世界で多くの人から敵意を向けられ疲れ切っていたが、こうして親切にしてくれる人もいる。救われる思いだった。


 案内されたのは、二階にある、広くはないがきれいに清掃された部屋だった。ベッドとクローゼット、それにソファと机が一つ。シャワーまで部屋についていた。宿に共用のシャワーもあったということは、ここはそれなりにいい部屋なのだろうか。


 感謝の気持ちが深まる。


 シャワーを浴びて、ベッドに横になる。まだ夕方だったが、魔法を使うまでもなく、強烈な眠気に襲われた。そのまま僕は意識を手放した。


 翌朝、親父のビンタを受けることもなく、自ら目を覚ました。朝日が窓から差し込んでいる。


 机の上に、新しい服と朝食の果物が用意されていた。誰にともなく頭を下げ、果物を口にした。それから着替えて下の階へと降りた。


 親父が勘定台の向こうにいて、あいさつをしてくる。僕は丁寧に礼を言うと、まっすぐに教会へと向かった。


 エリルが一足先について待っていた。


「遅い! トロルよりものろまだな!」

 顔を合わせてそうそうに罵声が飛んでくる。


 僕は言い返すこともなくニヤニヤと笑うばかりだった。昨日は大変な目にあったのに、その後に受けた優しさの方が心を包んでいた。


 どんなことがあってもいまなら許せるような気がする。なんなら、エリルの罵倒ですら、浴びていて少し気持ちがいい。


「なんだ、気持ちの悪いやつだな。ついにおかしくなったか」

 気味が悪そうにエリルは距離をとった。


「今日こそ、レベル上げのために、魔物退治にいきましょう!」


「昨日あんな目にあったばかりなのに、大丈夫か。採集系の依頼にしておいたらどうだ」


「いえ、早く強くならないと。自分の身も守れませんし、いつまでたっても恩返しできませんから」

 僕の言葉を聞いてなにやらエリルは少し考えているようだったが、小さく頷いた。


「しかし、まだダンジョンに行くのは危険だな。勇者の出方もわからん。郊外の依頼を探すか」

 エリルは壁面の依頼板を眺める。


 ちょうどよさそうな依頼書がないか探すが、いまいち難易度がわからない。報酬額の低い討伐系の依頼にすればいいのだろうか。


「おい、寄るな! 汚らわしい」

 依頼を決める前に、少し離れたところから声がして、僕は依頼を探すのをやめてそちらに視線をやった。


 僕たちに向けられた言葉ではなかった。声のした方に人混みができている。


 騒ぎが起きて、冒険者たちが人垣を作る。これで何度目だろうか。この協会ではそんなことばかり起きるのか。


 呆れながらも、気になって騒ぎを見に向かった。

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