第27話 闇にへだつや花と水

翌日。

ユメコは宮中へと忍び込んでいた。


ツカサを助ける為にここを訪れたのが、

随分と昔の事みたいに感じられる。


いざ戦いの火蓋が切られたら別れる瞬間なんて唐突で、

ユメコとツカサは満足に話す事も出来ず、

最後に瞳だけで挨拶を交わした。


けれど昨夜の誓いがあれば、

それで充分だと二人は分かっている。


「ユメ様、先を急ぎましょう」


以前斬り進んだ時に道を覚えていたのか、

オキタくんは迷いのない足取りで先導してくれた。


長い廊下に寄り添う庭園はとても美しいのだが、

立ち止まって眺めている余裕なんてない。

もしこちらに兵が回ってきたら厄介だ……


それに、空を見上げるとどうも雲行きが怪しかった。

雨が降り出せば、外から攻め入る解放軍の方が不利になるだろう。

できるだけ素早く決着をつける必要があった。

そしてそれは、ユメコの手にかかっている。


「お待ち下さい、ユメ様……」


気を引き締めて加速しようとするユメコを、

オキタくんの手が静かに制した。


「どうしたの?

 急ぐって言ったばかりなのに」


「どうも様子がおかしいです。

 太陽が隠れたとはいえ雨もまだ降っていないのに、

 この霧のようなものはなんでしょうか」


そう言われてみると、

先程は遠くまでしっかりと見えていた美しい庭が、

霞がかって数メートル先しか見通せなくなっていた。

昼だというのに、まるで月夜の様に怪しい光が瞬いている。


「これって……」


ユメコはこの光に見覚えがあった。

オキタくんを初めて読んだ日と、同じ光だ……


ポツポツと雨が降り出してきた。

それが合図かの様に、

番傘を差した一人の男が、

庭先からゆっくりと歩いてくる。


浮世離れした景色から優雅に足を運ぶその姿は、

まるで絵物語の様だ……


ユメコはしばしその情景に見惚れていたが、

その番傘の中にオキタくんと同じ柄の羽織りを捉え、

瞼が大きく弧を描く。


ユメコはその人を、知っていた。


「土方さん……?!」


それは紛れもなく、土方歳三だった。

一目でその人と分かる立ち姿なので、

当然ながらユメコが表現した訳ではない。

それならば、何故……?


ユメコは宮中にも巫女達がいた事を思い出した。

表現力が弱く予言書の注釈が主な仕事だったが、

力を合わせれば強い表現も可能という事なのだろうか。

つまりこれは、オムニバス土方歳三というべきか……


「でもなんで、異世界の人が新撰組を知ってる訳?!」


「流行ってるんですよ、新撰組作品……」


どこからともなく女性の声が聞こえ、

そしてそれを制するまた別の声も聞こえた。

異世界にも主張の激しいオタクは存在するらしい。


この霞のどこかに隠れているのだろうけれど、

おそらく本人たちは無害だ。

土方さんを倒せば、先へ進めるはずである。


「キルキルキルキルキルキル……」


そう思った瞬間には、もう赤信号。

巫女の方々は、おそらく新撰組のファンだろう。

それはこの見事な土方さんを見ればよく分かる。

そんな人たちにキメラのオキタくんを見せるのが、

ユメコは若干申し訳なかった。

巫女代表であるヒミコの能力を継承している身で、

お恥ずかしい事この上ない。


「なにあれ、まさか沖田くん……?」


「あれは流石に違うでしょ、芹沢さんとかじゃない?」


ヒソヒソ声がどこからともなく聞こえてくる。本当に申し訳ない。


それにしても新撰組作品って、

こちらの世界でヒミコが書いていたのだろうか。

現実世界のどこまでを、彼女は書いていたのだろう……


ヒミコの記憶を覗いた時も、転生前後の記憶は曖昧だった。

どちらが異世界でどちらが現実世界か、

もはやユメコには良く分からない。


「元気そうだな、総司」


「そりゃあ皮肉かぁ……?」


「いや、また会えて素直に嬉しいよ」


巫女の方々には通じなかったが、

どうやら土方さんにはオキタくんを認めて貰えたらしい。

良かった、流石に隊士の方にまで誰だか分かって貰えないと凹む。


「俺も会えて嬉しいぜぇ!!

 やっとあんたを、斬る事がぁ出来るんだからよ……」


仲間同士で戦わせるなんて嫌だなと思っていたけれど、

予想外にオキタくんが乗り気でユメコは拍子抜けをした。

やはり赤いオキタくんにとっては、

斬れれば何でもいいのだろうか。


「オキタくん、先を急いでるの! お願い!」


「ははっ!

 いつもは止めろとばかりぬかしやがるからなぁ。

 そう言われると気分が良いぜぇヤドヌシ……

 その願い、聞いてやらぁ!!!」


オキタくんが庭先へと跳んだ。

すかさず、迷いのない一太刀。

土方さんの差していた紫色の番傘が、

鮮やかに散った。


しかし次の瞬間にはもう、

土方さんの手には刀が抜かれている。

それは背筋が凍る程に綺麗な所作であった。

土方さんも、戦う事に迷いはないようだ。


「相変わらず素早いな。鳶の様だ」


「詩的な褒め言葉、あんがとよぉ……

 お礼に、切り刻んでやるよ!!!」


オキタくんの攻撃は、五月雨の様に止む事がなかった。

土方さんはその全てを的確に、無駄のない動きで返している。

土方さんの刃はとても静かで、そして涼しげだった……

その佇まいに、オキタくんは苛立っている様だ。


「おい、なんでぇ攻めて来ないんだ……」


土方さんは答えなかった。

その表情からも、内心は見えてこない。

まるで辺りに立ち篭めている霧とおんなじだ。

真実は、決して覗かせない……


「あんたぁいつだって、意味が分かんねぇなぁ……!!!」


言葉と共に日本刀が舞う。

ガキンガキンと、激しい音が幾たびも散った。

それは悲痛な魂の叫びにも聴こえて、

ユメコは固唾を吞んでオキタくんを見守っている。


「なんでぇ上へ行った! 上へ、上へ、上へ!!!

そこに何があった! 何が残った! 上!上!上!!!」


土方さんは、相変わらず黙ったままだ。

そもそも表現である土方さんに、

答えろという方が無理な話かもしれない。

ユメコのオキタくんと巫女たちの土方さんは、

同じ時間を過ごしてはいないのだから……

そんな事、オキタくんだって分かっているはずだ。


「答えろ!

 応えろ!!!

 堪えろぉああああ!!!!」


どんどん強く。

更に苛烈に。

もっと、もっと激しく。


届くまで……


オキタくんの日本刀は幾たびでも弧を描いた。

もはやそれしか出来ないカラクリ人形の様だ。

一体何と戦っているのだろう。

それは本当に、斬れるものなのか……


遂にオキタくんの刀はその矛先を見失い、

土方さんの刃によって弾き飛ばされてしまった。

結果自滅となってしまったが、

あの猛攻を全て返した土方さんが異常なのだ。


「オキタくん、気をつけて……!!!」


ユメコの心配とは裏腹に、

土方さんは不思議とオキタくんに攻撃をしかけない。


弾む息で膨張していたオキタくんの熱を、雨が冷ましていった。

打って変わっての静寂に、地面を叩く水の音だけが響く。

まるでここは、波間のようだ……

そこを漂う土方さんは、何を想っているのだろうか。


「……なんで、置いて行ったの?」


俯いていたオキタくんの瞳が、黄色に移ろい天を仰ぐ。

その表情は、泣いているかの様に見えた。

まるで、生き場を失くした子供みたいだ……


もしかしたらそれは、

雨粒が悪戯をしただけなのかもしれない。

けれど涙の可能性は、

混濁の様に何も透けなかった土方さんの瞳を動かした。


土方さんが僅かながらも唇を開こうとした、その刹那……


強烈な右ストレートが、土方さんを吹き飛ばす。

これには巫女の方々からも小さな悲鳴が上がった。

無茶苦茶なのは承知の上だ……


ユメコはオキタくんがキメラだった事に感謝した。

私のオキタくんは、刀が弾かれても腕力があるのだ。

そうか、武器……


「待ってたのに」


先を急かすかの様な雨音が、オキタくんの声をかき消そうとする。

その声を拾おうと、ユメコは再び目の前の戦いへと意識を戻した。

今は考えるよりも、オキタくんの言葉が聴きたい……


オキタくんはふらつきながらも土方さんの元へと歩み、

唇から辿る血を拭うその姿を見下ろした。


「土方さんも、近藤さんも、私も。

 ……みーんな一人ぼっちで、死んだね」


オキタくんは、土方さんの胸ぐらを思いっきり掴んだ。

もう一度殴り飛ばす気なのかとユメコは思ったが、

オキタくんは、そのまま土方さんの事を離さない。


「今度こそ、一緒に死んで?」


オキタくんが凄い力で、土方さんの体を宙に浮かせた。

そしてくびり殺す為に、ギリギリと両手に力を込める。


土方さんは苦しそうに顔を歪めながらも、

決してオキタくんから目を逸さなかった。


その瞳が何を想っているのかなんて、

汲み取る事は到底出来ない。

そんな事は、他人が知るべき事じゃない……


ただ一つ、分かるのは。

土方さんはオキタくんの事を、しっかりと見ていた。


「もう、楽になれ……」


土方さんの一言で、

ユメコの全身に嫌な予感が駆け巡る。

この感覚は嫌いだ。

いつだって何かを失う。


ユメコが制する間もなく、

形容しがたい嫌な音が、ユメコの鼓膜を貫いた。


この音は、前に聞いた事がある。

あれは初めて赤いオキタくんと出会った時だ。


ビチャリ、という湿っぽい音が、

命運を分けるかの様に水溜りで撥ねた。

オキタくんの視線が、その先を追う。

ユメコはその正体を本当は分かっていたが、

信じたくなかった。嘘であって欲しかった。


けれど。


そこにはオキタくんの右腕が……

落ちている。


「オキタくん!!!!」


土方さんは容赦なく、オキタくんの右腕を斬り落としたのだ。

ユメコは悲鳴に近い声でオキタくんの名を呼び、

心の底から拭えない後悔をした。


本当はとっくに、答えなら出ていたのだ。

けれどオキタくんの為にならないのではないかと、躊躇していた。

自分の妄想の産物に対してでも遠慮してしまうのが、

ユメコの良いところであり、甘さでもある。


「総司……」


オキタくんは斬られた右腕を無感情に一瞥すると、

緑色の瞳で土方さんを睨みつけた。

痛まない訳がないのに、足掻き悶える事は決してしない。

他にもっと、痛むところがあるのだろうか……


「……すまなかった」


その一言を最後に、

土方さんが幕斬れの刃を振り下ろす。


オキタくんの日本刀は届く距離にないし、

どちらにせよ片腕で簡単に扱えるものではなかった。

腕力だって、振るう腕が一つ足りない。

オキタくんには既に、戦う力が残されていなかった。

このままでは、オキタくんが殺されてしまう……


考えている暇はない。


ユメコの迷いは消え、最後の武器を呼んだ。

それは引き金となり、

オキタくんに残された左手へと収まっていく。


使うのは、人差し指ただ一本。

なんと軽いものだろう……


雨の中を静かな破裂音が通り過ぎた。

こんな無機質な音が、死の響きだというのか。

たった一粒の鉛の破片で、土方さんは倒れていく。


「……ユメ様って、意外と残酷なんですね」


オキタくんはこちらを見て少しだけ苦笑いをした後、

足元に転がり、徐々に消えていく土方さんの姿を見つめた。


気付けば巫女たちの声も聞こえなくなっている。

おそらく土方さんが倒れた事により、

以前のユメコみたいに気を失ったのだろう。

オキタくんが勝ったという事だ。


「こんな武器に、敵う訳ないじゃないですか。

 馬鹿な土方さん……」


そう言ってオキタくんは銃を投げ捨てると、

自分の日本刀を取りに歩いていった。

そんな事よりも、腕は大丈夫なのだろうか?


外は雨が酷い。

オキタくんがこちらに戻ってきたら、

フローラちゃんを読もう。


そう思っていた、矢先……


「ユメ様、ごめんなさい」


オキタくんは拾った日本刀を、

自らの腹に向かって突き刺した。


ユメコは自分の目に飛び込んできた光景を、

到底現実だとは思えない。


片腕のせいで上手くいかないのだろうに。

不格好ながらもオキタくんは手を止めず、

刃が進む度にその身を切り裂く不協和音が生まれた。


いや、生まれたのではない。

これは、葬送曲だ……

オキタくんが、連れていかれてしまう。


「オキタくん!!!!!!」


意味が分からずパニックになりながらも、

ユメコはオキタくんの元へと一心不乱に駆け寄った。

薄暗い中でも鮮やかに、血の花が咲いていく。

水溜まりを広がり、流れ、止まる事は決してない。

それを堰き止めたいのに、ユメコにはその術が分からなかった。


「いったい何してるの?!?!

 待って!!!

 そうだ、フローラちゃんを呼ぶから!!!」


「いらねぇよ……

 隊士の私闘は、切腹だぁ……」


「何バカな事言ってるの!

 オキタくんは私の妄想ごった煮キメラなんだから!

 そんな事は気にしないでいいの!」


こんな時まで御法度だなんて言わないで欲しい。

だってオキタくんは、現実じゃないんだから。

私の表現なんだから。なんでも有りの筈なんだ。

今までだって、無茶苦茶だったじゃないか……


ユメコは散々自分の新撰組像を疑ってきた。

それなのに、今更融通が効かないだなんて……

そんな馬鹿な話があってたまるか。


「ならヤドヌシよぉ、

 あんたは死なねえ俺を見た事があるかよ……?」


痛いところを突かれて、ユメコの唇は震えた。

先程からフローラちゃんを呼びたいのに、

まったくもって読める気がしないのである。


オキタくんは私の表現だ。銃だって出す事ができた。

きっと私なら、死なないオキタくんを読める筈だ。

それなのに。表現だからこそ。


「腕がねぇんじゃ、闘えねぇ。

 戦えねぇなら、生きられねぇ。

 俺を否定すんな、ヤドヌシ……」


今までの人生で、沢山触れてきたオキタくんの生き様。

戦えなくなったら、彼の幕は下りる……

それがオキタくんの物語だ。


どんなに何でも有りだって、

根底だけは決して覆らない。


「でも! だって! オキタくんがいなくなっちゃう!!!

 大丈夫だよ、最近はね! オキタくんが生き残る作品だって……」


「でもあんたは、そんな俺が好きか?」


なんでそんなに嫌な事ばかり言うのだろう。

オキタくんは意地悪だ。


確かにユメコは、そういった作品があまり好きではなかった。

ユメコの好きなオキタくんは、いつだって刹那を生きていた。

それが、こんな時に現れてしまうだなんて……


表現は、心の底から信じていなければ決して思い通りになる訳ではない。

解釈は、自分の理想通りにすれば良いというものではないのだ。

根底を覆したらきっと、それはもう別人になってしまう。


「だからってさ、オキタくんはこんな死に方しないよ!

 いや、どんな死に方もイヤだけど!

 嫌だよ!!!」


嫌としか言えない自分が、ユメコは情けなかった。

どうしてこんな事になってしまったのか……


私は人生の中で、沢山のオキタくんに出会った。

そして何度も、何度も。

嫌だ、死なないで、と思ってきた。


それならば最初から、

死なないオキタくんを表現出来ていれば良かったのか?

でもそれはやっぱり、オキタくんじゃない。

私が好きになったオキタくんじゃ、ないんだ……


「好きになってくれて、ありがとう」


黄色い目をしたオキタくんが、

少女の様に可愛らしい笑みを浮かべた。


そう。私が好きになったオキタくんは……


いつもどこか儚げで、寂しそうだった。


「素敵な死を、ありがとう。

 布団の中なんて、イヤ……」


そういってオキタくんは、土方さんの方をチラリと見た。

土方さんの亡骸は、既にほとんど消えかかっている。

最期に残った誠の文字が、淡い光となり天へと昇っていった。


どこまでも、上へ……


それを見届けて安心したのか、

オキタくんは再びユメコへと視線を戻す。

緑色の眼差しが、微笑んでいた。


「これで、ユメ様の中でずっと生きていけますね」


「生きていけるって、何言ってるの?!

 死んじゃうんだよ?!」


「……死なねぇよ。

 死んでねぇから、あんたのとこまで届いたんだろ?」


まるで壊れる直前の機械みたいだ。

初めて会った夜みたいに、赤・黄色・緑がチカチカと。

けれどあの時とは違う。

きっとこの色が消えれば、存在ごと消えてしまうのだろう。


「生きてるだけが、命じゃないよ」


ユメコの顔に、オキタくんの左手がそっと触れる。

こんな時まで、私の事を心配してくれるのか。


「伝わり、辿り、ユメ様の時代まで届いた。

 ユメ様に出会えた。たくさん、愛して貰えた……」


もうその瞳は、何色でもない。

オキタくんは、目を閉じてしまった。

きっともう、二度と開かずに消えていく。


「大好……き……」


それはどのオキタくんの声だったのか。

分からないまま、ユメコは初恋の人を失った。

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