第2話 もしかして怒られる!?

 舞踏会での乱闘騒ぎを騎士団が鎮圧した頃には、大方の貴族は逃げるか連行されていった。

 会場には殴り合いによって出血した人の血や、割れたグラスの破片が床に散乱していて、その有り様を如実に伝えてくる。


 私の目の前に立つヘンリーは呆れを通り越して怒りに眉を吊り上げ、組んだ腕を指で叩くだけに飽き足らず地面をたんたんと叩き始めていた。


「ジュリア、君さあ、自分が何をしたのか分かってる?」

「友の恩赦を懇願しました」


 前世を含めた私の経験則から導き出すに、この場合は素直に告げた方が吉と判断する。

 だというのに、何故かヘンリーは更に目を吊り上げた。


「違う、そうだけど違う。この乱闘騒ぎだよ」

「……申し訳ありません、私にも心当たりがなくて」


 しょぼんと眉を下げて謝れば、ヘンリーは髪をぐしゃぐしゃにして頭を抱えてしまった。

 しきりにぶつぶつと呟きながら壇上の中をぐるぐると歩き回る。


「だ、だれだよコイツ……ッ!僕の知るジュリアとえらく違うじゃないか」


 顎に手を当てて考え込んでいた彼ははっと顔を上げると私の肩を掴む。

 前後に激しく揺さぶりながら問い詰めてきた。


「なあ、ジュリア。君、なにか拾い食いしたんでしょ!! ……ああ、そうだ。そうに違いない! じゃなきゃ君が罪を認めた上に他人を庇うなんてするはずがない!」


 ゆさゆさと揺さぶられながら、私は一時間前のことを思い出していた。


「おい、聞いているのか!? ……はっ、もしや悪魔にでも憑かれたのか!!」


 中古で買ったPCの乙女ゲーム『漆黒の薔薇』にどハマりしていた私は、ゴールデンウィークで学校が休みであることをいいことに、エナジードリンク片手に徹夜でプレイしていた。四缶ほど開けた辺りから記憶がないので、おそらくカフェインの極め過ぎで死んだのだろう。


 気がつけば私は『漆黒の薔薇』に登場する悪役令嬢ことジュリア・スチュワードになっていた。ばゆんばゆんの胸と吹き出物のない肌にテンション爆上げしていると、あることに気づいたのだ。


 ……あれ、今ストーリーのどこらへんだ?


 悪役令嬢ジュリアは、どのルートでも破滅するのだが殊更に酷いのが処刑エンド。

 救国の聖女であるヒロインを毒殺しようとして失敗し、芋づる式に罪がバレて処刑されるのだ。


「ああ、やはりそうだ。《あの》ジュリアがぼーっとするなんてありえない! ダグラス、早急に神官を呼んでくれ!」

「はっ、すぐにお連れします」


 ストーリーの始めであれば、友人から大好評の善性と持ち前のコミュニケーション能力を駆使して平穏無事に乗り切ってスローライフを満喫するつもりだった。

 少なくとも、断罪イベントとも表現される舞踏会でなければどうとでもなる!


 そして、現れた侍女が告げた言葉に希望は打ち砕かれた。

ーー『ジュリア様、舞踏会の支度が整いました』と。


「あ、悪魔に憑かれた方がいらっしゃるというのはここですか! 通して、通してください! 事態は一刻を争うんです!!」

「ここだ、神官どの! どうか卑劣な悪魔に憑かれた彼女を助けてくれ、これでも元は僕の婚約者だったんだ!」

「殿下……ッ! 必ずや、この命に替えましてもお救いします!」

「神官どのだけが頼りなんです! ……こんな姿になった彼女は見ていられない!!」


 ……『ああ、もうダメだ』ってその時は思ったけど、ふと母さんの言葉を思い出したんだ。

 どんな時も諦めず、常に最善の道を選びなさいって。

 だから、今の私にできる最善を頑張って考えた。


 そう、ジュリアのしたことは決して許されない。

 なにせ、人の命を奪おうとしたんだから。

 でも、だからといって許されないなら謝らなくていいということにはならないはずだ。


 自分の罪を認めることで、人は初めて更生の道を踏み出せる。


 私は自分の体を大切にしなかった、ジュリアは他人を大事にしなかった。

 きっと、これはやり直すための第一歩なんだ。


 ……ところで、これはどういう状況なんだろう?

 考え方をしていたら、気がつけばいかにも生真面目そうな青年がペタペタと私の体を触ったり顔を覗き込んだりしていた。

 しまいには吐息が混ざるほど近い距離まで顔を近づける。近い近い近い!!

 ひえええ、この人顔がいいよお……!!

 こわい、こわい!!


「……殿下、大変申し上げにくいのですが。彼女に悪魔は憑いていないようです」

「な、なんだって!?」

「それと、毒物の類いを服用した形跡もありません。至って健康です」

「そ、そんな筈は……!? はっ、神官どの。聖水だ、聖水を掛ければ怨霊とかそういう悪しきものが消えるはず!!」


 半眼になった神官から聖水を奪ったヘンリーはきゅぽんと栓を外す。

 つかつかと私に歩み寄ろうとしてーー、


「わわっ……!」


 あろうことか、ヘンリーは途中で自分の足に躓いた。

 咄嗟に顔を庇うため、彼の手は聖水の瓶を勢いよく手放す。


 バシャッ!!


「きゃっ!」


 ……結果、突然の出来事に目を丸くした私は頭から聖水を被ってびちょびちょになった。

 静まり返った会場に瓶が割れる甲高い音が響く。


「ぃっつ……鼻ぶつけた、うへえ、血が出てる」

「えっと、大丈夫? ちょっと座った方がいいんじゃない?」

「な、なんか調子狂うから優しくしないで……」


 起き上がったヘンリーはポケットからハンカチを取り出し、強かにぶつけた鼻を押さえると絹のハンカチに紅の染みができる。

 私はというと、前髪から滴る雫をぼんやりと眺めながらこれからどうしようと悩んでいた。


「ヘンリー、事情を説明なさいっ! さきほどの騒ぎはなんですか!?」


 その時、会場の扉が蝶番が吹き飛ぶほどの衝撃を伴って何者かが転がり込んできた。


「あなたが婚約者を粗雑に扱い、挙句処刑するなどという根も葉もない……噂……が…………」


 会場の中に転がり込んできたのは王妃だった。

 乱れた息を整えるまもなく、私の姿を見、そして隣に立つヘンリーに視線を止める。


 ……あ、やばい! これ、私が殴ったって疑われるんじゃあ!?

 ちょ、ちょっと周りの騎士やら神官から説明してよ!!


「し、仕事を思い出しました」

「殿下が怪我をしないように瓶を片付けなきゃ……ッ!!」


 って、逃げるなぁぁあぁぁ!?

 私が『やってません』なんて言っても好感度低いのに信じてもらえるわけないじゃんかぁぁああ!!


 ええい、こうなりゃ自棄じゃい!!

 この世の全ての罪を背負って謝罪してやる!!


「ごめんなさい、王妃様ッ!!」

「ジュリア、何故貴女が謝るのです?」

「わ、私がもっとしっかりしていれば……ヘンリー、さんの体を傷つけずに済んだのに……ッ!! おまけに、こんな格好になってしまって……!!」


 誠心誠意心を込めて謝ると王妃様に真心が伝わったようで私に駆け寄るとそっと肩にかけていたショールを掛けてくれた。

 ふわあ……いい匂いしゅる…………!


「まあ……っ! そうだったのね。とにかく、ドレスが濡れているから風邪を引く前に移動しましょう」

「あ、あのっ、母上っ!」

「ヘンリー、暫く部屋で大人しくしていなさい」

「母上ッ!?」


 ぐりんっと体の向きを変えられると、そのまま会場の外へ連れて行かれてしまった。

 あの……これ、居城ってところに向かってませんか!?

 どんどんお城の奥に連れて行かれるんですけど!?

 た、たすけてーー!!

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