オタマジャクシズ!!!

三箱

第一章 「初めての部活、初めての舞台」

『僕の5月1日』その1

 僕は思わず立ち止まった。


 そこは大学内の食堂と林に挟まれた脇道にある只の道のはずだった。

 だが今、その場所には異常なものがあった。

 8割以上の部分が白く覆われていて、その下からチョコっと足が二本はえている。

 全体的に縦に長く、真ん中の下が太く上の方になると少し細くクビレがあり、また頂点は少し大きくなり丸く収まった形をしていた。

 明らかにおかしく異様なものであった。

 僕は勇気を持って、止めていた足を一歩前に踏み出した。


「あの。道を空けてくれませんか」


 すると白い生物はビクッと上下に震えた。そして静かに白い体を回転させて振り返ったのだった。





 親元を離れてから一ヶ月、一人暮らしの生活にも慣れてきた。

 洗濯、掃除、それに光熱費と家賃の支払いの仕方や月の金銭管理など、今では苦はなく、それなりにこなせるようになった。

 でもいなくなってから気づく。

 親がどれだけありがたい存在であることに、こんなにも大変な作業を毎日毎日行っていたとは……。

 右手でお椀を持ち上げ味噌汁を啜る。全部飲みきる前に手を止めて、静かにお椀をテーブルに置く。

 容赦なく襲いかかるしょっぱさと辛さに、思わず口の中から舌を出す。


「ま、まずい」


 味噌を入れすぎたか、料理はまだまだ練習が必要だ。

 失敗作の味噌汁を一度横に寄せて、目の前のデジタル時計に視線を移した。


(8時30分)


 一時限開始が9時だからもう出発しないといけない時間だ。

 僕は失敗作の味噌汁を二度に亘って見てムムっと考えた後、そのまま飲まずに残したまま、他の空になった食器ごと台所に片付けた。

 味噌汁は、まだ練習が必要だな。

 再度挑戦することを決意し、壁に掛けてあったバックを提げてそのまま家を出た。

 二階建てのアパートの階段を駆け足で降りて、駐輪場に停めていた自転車に乗り込み、車道に漕ぎ出した。


 家から大学までの間は基本的には平坦な道だが一箇所だけ小さな山があり、そこだけは急な勾配の坂がある。

 今まさにその坂にさしかかった所だ。

 見上げると壁のような錯覚に陥る。

 斜度何パーセントとか聞かれても僕にはあまり分からない。だけどノンストップで登るには辛い坂だ。

 ペダルに力を込めて、慎重に登っていく。一ヶ月の間に色々試したけど、ゆっくり漕いで登るのが、途中で足を止めずに登りきる成功率が高かかった。

 そうと分かってから、ずっとここを登る時はゆっくり漕いで登っている。一・二・三と心の中で数字を数えながら進んで行く、気がつくと上り坂の終着点だった。

 少しの達成感と優越感に浸り、軽くフンと鼻を鳴らした。

 あとは下り坂だけ。体の力を抜き、風を体全面に受けて涼しさを感じながら降りていった。


 大学内の駐輪場に到着してホッと息をつき、腕時計を見て時間を確認しながらバックを籠から取り出す。キャンパス内へ続く階段を小走りで駆け上がっていく。

 周りの木々に目を向けると、桜は散って緑一色になってしまっていた。

 少し湿っぽい葉の匂いを感じとり、むず痒さに少し憂鬱な気持ちになった。

 これから梅雨の湿っぽさと、その後の暑い季節が来ると想像してしまうと何とも気怠くなってしまった。キャンパス内に入ると、人はほぼ居なかった。

 ほんの三日前まではサークル勧誘で、道の半分は部員達で群がっていた。

 約二百も部活とサークルがあるらしい。

 そのせいで、部員確保のための部員たちが、躍起になって獲物でも捕らえるかのような視線をしていた。そんな視線の網を潜り抜けるのは、精神にそこそこのダメージを受けた。

 勧誘時期が終わったことで、忽然と消えてしまった活気に少し寂しくも思えた。

 でも、僕にとってそんなことはどうでもいい話であるが……。

 教室に入ると、もう半分の席が学生で埋まっていた。教室内をぐるっと見回し、窓際の後ろから二列目の三人掛けのテーブルの席が空いていたので、小走りで一番窓際に近い席を確保した。

 溜まっていた体の力が一気に抜け、テーブルの上に顎をのせた。

 半ば疲れた目でジーッと教室内を見渡した。

 座っている学生達は、ワイワイガヤガヤと友達同士おしゃべりをしている。それを眺めながら、口から深く重い息を「はー」と吐き出した。


 入学してから一ヶ月、友達といえる友達が一人も出来ていない。高校時代もあまり友達がいなかったから、人との会話も慣れてない。大学という全く新しい世界に入った瞬間、何もできなくなってしまった。

 過去に何度か試みたけど、思いつく話題が「今日はいい天気ですね」だけ。緊張すると余計に思い浮かばず、また話しかける勇気すらできず、チャンスはどんどん過ぎ去っていった。

 そして一ヶ月経ち、ある程度グループができて入る隙がほぼ無くなるという、絶望的な状況に立たされていた。

 一人暮らしに慣れても、大学生活に慣れてねえ。

 日に日に苦痛は大きくなるばかりであった。


「ここの席、空いていますか?」


 突然、ふわっとした空気と、優しい声が僕の皮膚と耳を刺激した。

 ジトーっとしていた目をゆっくりと右に向けた。

 脱力気味だった瞳にギュッと力がこもった。

 サラッと流れるような黒く長い髪に、クリッとした丸い瞳、口は小さく、ほんのり光る化粧は女性の綺麗さを引き立てていた。甘いラベンダーの香りがする。

 服装は派手ではなく薄い水色の長袖の服に、紺の丈の長いスカートを履いていた。

 少し背が高く、とても清楚な女性だった。


 一瞬見とれてしまった。


 時間が止まったように引き込まれていく感覚、それほどの魅力を全身から醸し出していた。

 妙な間が出来てしまい彼女の質問に答えられていないことに気づく。

 何とか我に戻り、慌てて体を起こし「どうぞ」と言った。

 その人はにっこりと微笑んで「ありがとう」と答えた。僕の座っている席から一つまたいで次の席に座った。

 しばらくの間、僕はジーッと女性の横顔を見ていた。気取ることもなく、内から美しさがにじみ出ていた。

 僕の視線に気づいたのか女性はチラッと視線を向けてきた。


 全力で僕は目線を逸らし、前方に集中した。


 だがそんな集中なんてすぐに消え去り、完全に隣の女性の人を意識してしまった。

 妙に頬が熱い、普通に心臓の鼓動が早くなっている。

(この授業であんなに綺麗な人を見た記憶がない、いやたまたま見ていなかっただけか、そんなことはどうでもいい。今この状況は、たぶん間違いなく千載一遇のチャンス、今まで友達一人できなかったからここでなんとしても友達を作らないと)

 そう意気込んだ瞬間に授業の開始のチャイムが鳴った。教授がドアを開けて教室に入ってき、授業が始まった。

 だけど授業は一時間半もある。どこかこの隣の女性と話ができる機会などいくらでもあるはずだ。


 友達作り成就へと僕は静かに闘志を燃え上がらせたのだった。

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